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生きていこうと思いました
最近の私は死ぬことばかり考えていた。
10月頃から主に精神面で体調を崩し、
1ヶ月休職、その後退職した。
原因についてはまた別で書こうと思うが職場ではない。
続けたかった。だからすごく悔しい。
これまでにもメンタルの不調を起こしたことはあり、
というか10歳くらいから死にたいと思っていたし、
わりと幼くして生きる気力を持てずにいた。
そんな中でも特別どん底を感じたことが数回ある。
18歳、23~24歳、28歳、そして32歳の今回。
今回は今までで一番「死」の近くまで手が伸びた。
どうやってどこでいつ死のうか、必要なものは何か、
など具体的に計画を立て始め、そのための買い物までしていた。
ところが2月9日の夜。
私は音がないと眠れないのでいつも何かラジオ感覚で流しており、
その日はピース又吉さんのYouTubeチャンネルから「百の三」という企画を選んだ。
1つの質問に対し100個の答えを出すことで普段出ないような「才能を超えた3つ」の答えを出す企画「百の三」
今回のお題は【自分を大人にしてくれた名言・迷言】
過去に何本か(といっても20本以上ある)に分けて配信された動画の完全版として、2時間ほどのものが最近上がっていた。完全版も2時間×3本に分かれる濃い企画である。
この日選んだ【中編】では俳句や歌詞が多く紹介されていた。
又吉さんの着眼点や思考は大変面白く、名言・迷言の一つひとつをただ紹介するだけでなく、クスッとするようなエピソードやそんな視点があったのかという驚きをくれる。
それを聴いているうち「言葉っていいな」と思ったのだ。
鬱状態になってから本が読めなくなっていたが、
やっぱりもっと色々な言葉に触れたいなと思った。
そのとき「生きていこう」と思うことができた。
そう思った瞬間、涙がドカンと溢れてしばらく止まらなかった。
この日のスマホのメモには「生きていこうと思えたことが嬉しくて泣いた」と書いてある。
しかしあらためて考えると、それは本当なのだろうかと疑問が湧く。
その後も何度かあの瞬間を思い出し、「生きていこう」と心で呟くのだが、その度に涙が出る。
その正体は、結局生きていく方に舵を切ってしまうのかという苦しさかもしれないし、
どうやって生きていくのかという不安かもしれない。
でもそういえば、あのとき「生きていこう」と思えた直後に感じたのは確かに、よかった、という安堵だった。
大事な人を悲しませる選択から外れることができた、その安堵感。
熱しやすく冷めやすい性格は自覚している。
まだメンタルの問題を解消できたわけじゃない。
嫌なこと、苦しいこと、面倒なことがあったらまたすぐ死にたくなるかもしれない。というかその可能性の方が高い。
けど、死ぬ計画や準備までしていた今、やっぱり生きようと思えたことは予想していなかったのもありかなり心を揺さぶられた。
そして、今まで生きる方向を向く理由はいつも「身内を悲しませないため」といういわば「仕方なく」だったのが、「もっと言葉に触れたい」という前向きな理由でそう思えたことが本当に嬉しい。初めてかもしれない。
次の職のあてもないけれど、貯金だって残高レベルだけど、もうちょっと生きてみようと思う。どうせ死のうとしていた人生だと思えば、なんだかもう何でもいいやという気持ちだ。