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日本に生まれ、日本で夏を越すときに、必ず心に引っ掛かることを解消する 📚 永遠の0

夏、必ず耳にする言葉が戦争である。
原子爆弾の投下や終戦などが、8月に当たるからだろう。

わたしはとにかく戦争の話に弱い。
学問的な意味で弱い。

言い訳 of 言い訳だけど、学生時代はド理系だったので、戦争に限らず歴史に弱い。嫌いというよりは、学問として興味がなかった。当時は。


読書が趣味になってから少しずつ歴史に興味が出てきたけど、「歴史=興味のなかった学問」という昔の自分に縛られて、なかなか学ぶ気になれずにいる。
そこで、毎年8月に戦争小説をピックアップされている波に、今年こそ乗ってやろう!と決めて「永遠の0」を読むことにした🌊🏄

「永遠の0」に決めた理由は、有名な小説だから。これなら読みなれていないわたしでも読めるんじゃないかという軽い気持ち。

結果的に600ページ弱ある小説を2日で読み切ったので、挫折しそうなジャンルは有名作からという決め方はあながち間違ってないなと確信している。

余談だけど、戦争ものでいうと「同志少女よ、敵を撃て」も読んだことがある。本屋大賞ノミネートを毎年読み切っているので、その際に読んだもの。実はこれも、読む前は「戦争ものか〜、絶対に読みきれなさそう‥」なんて思っていたけど、2・3日で読み終えた。

案外、相性がいいジャンルなのかもしれない。


「永遠の0」は映画化もされて、知っている人も多い作品かと思う。

作品の概要はこんな感じ。

「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1つの謎が浮かんでくるーー。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。

Amazonより


主人公は現代を生きる20代の男性・健太郎。祖母の死をきっかけに、健太郎は祖父と血が繋がっていないことを知り、血の繋がりのある祖父「宮部久蔵」について調べていく物語。

健太郎は祖父母に愛されて育ち、本人もおじいちゃんを尊敬している!と話すシーンもあるので、血縁についての悲壮感などはなく、横道に逸れずに「宮部久蔵」の生涯にフォーカスされているので非常に読みやすい。

宮部の生前を知るものたちの話を聞きながら、健太郎が宮部という男の輪郭を想像していく。すでに亡くなっている宮部視点で語られるシーンはないので、戦争の悲惨さは想像させられるけど、読みきれないほどということもない。

まさに、戦争もの初心者におすすめの小説だった。


この本を読んで戦争を知った気になるのは怖いけど、出来事を学ぶきっかけにはる人は多いんじゃないかと思う。

生前の宮部を知る数名の人に会いにいくので、それぞれの視点での戦争についての話も聞ける。もちろん物語の流れとしては「宮部久蔵」に焦点が当たっているが、各々が自分の体験した戦争を語っているので、読んでいて色々と考えざるを得ない。

そして、組織としてのあり方は今に通ずるところもあるなと感じる。
もちろん、言葉通りに命懸けであった戦争を、今の働き方に当てはめられるわけがないと言われてしまえばそうかもしれないけど、根っこにあるものに、変わらない組織のあり方を感じてしまう。


特に印象的だったのは、日本の日本人に対する命の軽んじ方だった。
この物語が戦争の全てを、戦争の真実を描いているとは限らないので、一概には言えないところなのだけれども‥。
やっぱり、やりきれない気持ちになってしまう。

「米軍は人を大事にし、日本軍は人より飛行機を大事にしている」という旨の内容があったし、そう感じさせる描写が何度も出てきた。

新しいものが使いやすいか否かはさておき、技術は進歩していくものなので、今の機器がなくなったら新しいものを作ればいい話。物資が〜という問題も一旦さておき。(さて置いてばかりだけど)

零戦は日本の技術を詰め込んだ凄い戦闘機だったのかもしれないけど、それを操縦する「人」をあまりにも蔑ろにしている。
一流の人材が育つのに時間が必要なのは、きっと戦時中も今も変わらなだろう。一人いなくなったら一人補充すればいい。そういう単純な計算では絶対に賄えないのが人である。

それでも日本軍は零戦の方を大切にした。そして操縦士たちの命を軽んじるばかりか、操縦士を軽んじた結果大切な飛行機までも失っている。

本末転倒ここに極まれりという感じだ。


他にも、戦地に出て無事に帰れないと悟ったら自爆しろという話は、だいぶショックだった。
もちろん、そこにも理由はあるだろう。下手にキレイなままの零戦が相手に見つかれば、どんなことが起こるかは想像に難くない。

わたしが本当にショックだったのは、自爆してこいという指示単体ではない。

空戦で敗れて飛行機から脱出した米兵を撃った宮部が、味方である日本兵から糾弾にあい、軽蔑されたことがあったからだった。

宮部は「すでに戦力外となった人間を撃ち落とすなど、武士の情けはないのか」というような言葉を投げられ、罵られていた。

武士の情けとは?戦力を失った味方に自爆をすすめ、戦力を失った敵は撃たないことが武士の心なのか??

もちろんわたしだって、撃っていいと思っているわけではない。そりゃそう。平成という平和な時代に生まれ、令和をぬくぬくと生きている今のわたしには、そもそも戦時中の考えを理解できるわけがない。
できることなら、みんなが楽しく平和に暮らしてほしい。

それでも、ぬるま湯に浸かった脳みそをフル回転させても、味方軍へ死をすすめ、敵軍の死に憤慨する理由が全くわからなかった。


今でも人材が軽んじられているなと感じる時がないこともない。

AIが発達すると人の仕事が奪われるというけど、それを不安に感じるのは、「人は機械よりも大事にされない存在」という考えが根本的に染み付いているからかもしれない。人材軽視を遺伝子で感じている‥というと大袈裟だけども。

仕事において身内(社内)の人材を特に軽んじるのも、もしかしたらずっと続いている風潮なのかもしれないなと思った。
相手に失礼があったらいけないから、と相手ファースで考えてしまうのもわかるけどねーーーーーー!!わたしも仕事してるし、それをわからないわけではないんだけどねーーーーーーーーーー!!!!(突然の取り乱し)


もう一つ印象的だったのは、井崎と小山の話だった。
飛行機乗りらしい死に方とはなんなのか。
井崎・小山の話だけではなく、さまざまな場面で出てきた死の選択が、ちょうど先日読み切った、平野啓一郎著「本心」でも出てきた内容だったからかもしれない。

「本心」という小説は近未来の話で、そこでは「自由死」が合法化されていた。自分で死を選択できる世界。

どんな時でもどんな人でもどのような形でも、必ず訪れるからこそ、死というのはどの時代の小説を描いてもテーマになるんだな。

宮部は生きることに重きを置いていたからこそ、それぞれの中にある死に方についてより色濃く書かれているのかもしれない。


読書をするようになって15年が経つけれど、実は初めて読んだ日本の戦争にまつわる小説。
夏になるといつも心に引っかかっていたので、ようやく解消された気持ち。

これを機に、日本史も学んでみようかなと思ったり。(思うだけ)


さいごに‥。
わたし、お姉ちゃんがすごく嫌いだった👐

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