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心に届く言葉を伝えたい


「孤独であること、誰かと交わること」

これは親交あるnoterさんの記事のタイトルである
私にとって彼はSNS上の関係でしかないけれど、なぜか心にかかる人の1人でもある

以前に私は「誰か」を求めているという記事を書いた時、彼もまた心のどこかでは求めているのかもしれないと言っていた

孤独を好み
孤独でいることを強いて
枷のように繋いで
他者との関わりを避けるようにしている
本当は関わりを求めて
寂しさも感じているのに



確かに人は孤独であると私も思う
人と何かを分かちあっているのは錯覚だと言う彼の言葉を否定できない
ひとつの事をまったく同じ思いで感じることなどできないからだ

それぞれに生きてきた中で経験したことや感じたこと
それらがベースとなってできあがった思考や価値観ではどうあっても同じにはならない

私が思うのは
錯覚かもしれない分かち合う感覚ではなく
同じような事を考えられる人がいた、という事実
そのことに安堵しているのだと思う

人との関わりは
傷つけ傷つけられる関係を繰り返してきた私たちにとって、とても怖くて素直に受け入れ難いものであると私は思っている
それでも私は人が好きだ
どんなに傷つけられても苦しめられても、そんな人ばかりではないと信じたいし、信じてもらいたい

何度も裏切られてきた私が言うのもおかしいけれど


例えば
疲れた時、椅子を差し出されたら座るでしょう
休みたい時、ベッドがあれば横になるでしょう
寒い時、暖かい部屋があればそこへ入り
暑い時、涼しい部屋があればそこへ入る

人との関係、そんな感じではどうだろう

もちろん自分に対して好意をもたない人は例外にはなるが、友好的な相手に対しての思いをこんなふうにもってもらうことはできないだろうか

あなたに好意を持っている人は

あなたの座る椅子の背もたれであったり
ベッドのマットレスや布団であったり
暖かい部屋の暖かな風であったり
涼しい部屋の爽やかな風であったり

あなたのそばに寄り添うことはできないだろうか

あなたの求める「誰か」ではないけれど
本当の孤独は私たちの中にはしっかりと息づいているけれど、私たちの心の外側で関わる人たちに

あなたに近づくことを少しだけ許してもらえないだろうか


あなたも私も孤独で
いつか必ず死を迎えて
そのあとは「無」になるのなら

死を迎えるその前に

目の前にある花を一輪摘んでもいいのではないだろうか



そして私は
あなたの言葉も埋まって欲しくないと思うし
私の言葉も心に届いてほしいという願いを込めて
書いてます




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写真お借りしました♡︎
ありがとうございます(ㅅ´ ˘ `)☆*。


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