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記憶のない結婚(1)


本来なら書く事すら躊躇わなければならないだろうことを悩んだ末に書いてみる


私は結婚を2回経験している
今はシングルなので離婚経験も2回
1回目についてはいつか書けるかもしれないけど、今はまだそこに向き合う強さが足りない


子供の頃から今の病気であったとは思うが、診断されたのは大人になってから
初めて病院にかかったのが1回目の離婚の後

このあたりからの記憶がほぼ抜け落ちている


2回目の結婚相手となる男性と出会ったのは、病状もひどくなってきていた頃
正直パッとしない感じではあったけど、とにかく優しかった
傷ついていた私が寄り掛かりたくなるには、それだけで充分な理由だった


付き合い始めてどれくらいの時間がたったのだろう
ふと息苦しさを感じていることに気づく

彼は私の行動すべてを束縛していた
『なぜそこまで?』
という疑問すら、その時の私の思考では浮かんでくれることはなかった
ただ窮屈さを感じられただけ

そんな生活でも、私は楽でいられてる
そう思い込んでいたんだと今では思う
その頃はもう、考えること自体から離れて放棄してしまっていたから


結婚の話は付き合い当初からされていて
私はするつもりはなかったが、なんとなく話を合わせてきてしまっていた
寄り掛かる人を失うのが怖かったから

だから彼が『一緒に住もう』と言ったとき
私の中の何かが警鐘を鳴らしていたのにも気づかずに『うん』と答えてしまってたんだ

その時、私には保育園に通う娘がいて
漠然と『父親が必要なのかな』っていう気持ちがあった
彼は娘に対してもとてもよくしてくれていたように思う
娘も知らなかった「父親」という存在を知れて嬉しそうにしているように見えた

『これでいいのかな』

私の中のしこりのようなものを明確にして考えていくよりも、今のこの形できっと何も問題ないんだ
そんなふうに考えて自分を納得させるほうが楽だった

その後辞めることになってしまう仕事だが、その頃はなんとか働けていて
それでも帰宅してからや、休みの日は当たり前のように動けなくなり横になる日々だった
そんな私を前にしても、彼は甲斐甲斐しく世話を焼き、娘の面倒もみてくれ、とても助かっていたように思う

その半面
私への束縛はひどくなり、私は友達と会うことすら許可をもらわなければいけなくなり
携帯を見せる見せないで喧嘩になり、挙げ句携帯を壊されるといった事もあった
新しい携帯には、彼が認めた人しか登録させてもらえなかった
そして私は、彼に携帯をチェックされることを許してしまっていた

何かあるたび『私が悪い』という説教をされ
納得のできないことでも話をすり替えられ
結果的に私に非があると言い続けられて
私は反発することが怖くて仕方なくなっていた

やがて私は

反論することができない
『うん』としか言わない「私」になっていた

反論するだけの言葉を
考えることができなくなっていたから

私は考えることを完全に手放した




『じゃあ行くよ』

ある朝言われた言葉
ぼんやりとした思考のままの私が顔を上げた
そこからの記憶

『どこに?』

頭の中ではそう質問していたが、なにを聞こうがなにを言おうが彼の言う通りにしなければ怒られることを学習していた私は

『うん』と答えた

あぁ…そうか…
とうとう…
とうとう婚姻届を出しにいくんだ

本来それは幸せなカップルたちが、喜びの中行う行為

だけどその時の私は
車の中、外に目を向けながら
涙を流していた




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イラストお借りしました♡︎
ありがとうございます(ㅅ´ ˘ `)☆*。


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