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自分を愛そうとする人は、みんなのことも愛せる人だ _ (6)休職中の振り返り_お仕事でのたくさんのコンフリクトたち

■読んでほしい人
・企業で管理監督者としてお仕事していて、家庭では家事・育児に奮闘している方

■このシリーズでいちばん伝えたいこと
・一番大切なのは、自分だ だからこそ家族や他者を大切にできる
・自分を愛そうとする人は、みんなのことも愛せる人だ

■読んだ後どうなってほしいか
・心軽く、心豊かに生活する工夫をみんなで楽しめるようになってほしい


(この回について)

これは休職が明けて復職した直後に書いたものです。
復職から半年たったいま読み返してみると、かなり冗長で整理されていないものだと感じます。
たくさんの事柄を並べて、そこにあったコンフリクトたちをなんとか言葉にしようとしています。つまりは、当時ぼくは、無自覚にたくさんのことを背負い込み過ぎて疲憊してしまっていた、下記の長い文章はその証左なのではないかと振り返っています。

自分がどんなマネジャーだったか。どんなマネジャーになりたかったか。
どんなマネジャーだとみんなが安心してお仕事できるのか。
それらについては今も振り返ったり考えて整理したりしている最中です。

まとまっていないままで申し訳ないのですが
当時の記録として読んでいただけると幸いに思い、
そのままをUPしようと思います。
(この回について 終わり)

>> ぼくはとある営業チームをあずかるマネジャーだった

休職に至る前の数ヶ月間にわたって、
何かものすごい、びっくりするような揉め事が起こらないかな、なんて思っていた。
すべて消えてなくなってしまえばいいんだ、とも。
いま思い返せば異常なんだと思うけど、本当にそう思っていた。

テスト勉強をしなくてはならないのに、机の上の整理を始めてしまう。
これはある種の逃避行動なんだそうだ。

嫌気がさしている日常業務から目をそむけたくて
すべてをひっくり返してしまうような大事件が起こって
そこに注力せざるを得ない日を待ち望んでいたのかもしれない。

休職する10か月くらい前、ぼくのいた営業チームに別の営業チームが合体した。
別の事業部から、メンバーも商品も得意先もその他のものも、
本当にすべてのものを抱えてやってきた。

大きくなった営業チームで、改めてぼくはマネジャーとなった。

>> 負のレガシーたちも一緒に加わった

加えて、終息させることも、健全に進めることも、変化させることも困難な、
つまりは「にっちもさっちもいってない」負のレガシーたちも一緒に加わった。
過去にそれらがたくさんの貢献を産み出し、うちの会社を支えてくれたことは確かなんだけど、
今となっては「やめたいがやめられないフォルダ」に仕分けされているものたち。

メンバーと一緒になって、それらを休止すべく整理に取り掛かろうとした。
営業セクションなら当然のことだけど、その分の売上補填を求められる。
当期内でのカバーは到底無理だと思い、3年程度を費やす計画を立てた。
完全な絵に描いた餅なんだけど、一生懸命にスキームとその資料を作って決裁をとった。

が、なんでだろうな。
やめた方がいいに決まっている(ってぼくや複数のメンバーは思っている)のに
このまま続けた方がいいなんて反論してくる勢力も。なかには得意先から猛反発を受ける案件も。
よく考えてよ! 今となってはこれがエンドユーザーに貢献できているとは思えないよ! って方々に叫び続けることになった。

変化を嫌う人々にはもっと他の方法でアプローチすべきだったのかな。
途中で離脱してしまったけど、ぼくたちの訴えは少しはみんなに響いていたのかな。

>> コンフリクト : 他部門との期待値の異なり

合体してきた営業チームは事業部を越えてやってきた。
抱えている商品の製造についてはもとの事業部の製造担当が引き続き担うことに。
なぜ異なる部門(ぼくら)の売上となるものに取り組まなければいけないのか、というあちらの不満。
売上が計上されない人たち、つまりは人事評価につながらない人たちに作業負担を強いている、こちらの遠慮。
ぼくには特に遠慮はなかったが、製造担当たちの仕事ぶりを知らなくて不便だったのと、他部門のぼくが急にいろいろと変えようとしたことでいくかの反発を浴びることになった。

>> コンフリクト : 新旧メンバーのあいだのマインドセットの異なり

以前からぼくが所属している営業チームは広告営業で、毎日が文化祭の前夜みたいな日々だった。時間関係なく連絡が飛び交って、自主提案という文化もある、献身が当たり前に求められる世界だった。それに既成の商品は存在せず、顧客のニーズにあわせて企画を立案して提案していくスタイルだった。
対して、新しく来たメンバーたちは、営業のためのリソース(商材や販売ツール、顧客ルート・販売網など)はすべて会社が用意してくれるという大前提に立っていた。
つまりは新旧メンバーで営業スタンスやスタイルがあまりにも異なっていたのだが、それはそれとして把握しつつも、それを変容させていくことが極めて難しいことであるとは当時のぼくは認識できていなかった。
うかつにもすごく気軽にこちら側のスタンスに取り込もうとしたんだけど、それはまったく機能しなかった。
新しく来たメンバーたちが「そちらで成功したパターンがこちらで成功するとは限らない。再現しようとしないで欲しい」と思っているようだと第三者から伝わってきた。

>> コンフリクト : 新旧メンバーのあいだの営業体制・姿勢の異なり

加えて、新メンバーたちの営業スタイルも変えたかった。
特に、属人的な営業をどうにかして止めさせたかった。顧客リストも共有されておらず、交渉状況もすべて担当者それぞれが抱えている。今のままでは得意先とどんな関係状態になっているのかもわからない。
個々の判断や努力に任せていては、チームとしてどこに力点を置くべきかを見失ってしまうのではないかと強く危機感を覚えていた。
また、納品活動や既存顧客への対応にかまけて、新規案件を獲得していこうとしない姿勢も変えたかった。

まずはセールスの成功パターンを抽出したくて、みんなには活動を記録して共有することを求めた。
また、インサイド、フィールド、バックヤードに分けて、それぞれ専門担当が分担する意義を説明し、まずは仮にでも実施してみることにトライし始めた。
個別の努力に頼らなくても商談がうまれ、課題聴取から施策提案、そして受注へ。
それぞれのメンバーにポジションを設定した団体戦を繰り広げたかった。

しかし、記録を共有することで、実は人事評価・査定に使われてしまうのではないか?とか、確度の高い案件は成約まで会社には伏せて見込みには含めずにおき、目標達成できそうにないイザというときに計上するんだ、なんてぼくからするとド昭和の営業魂を見せて反論するメンバーもあった。

>> コンフリクト : 古いOSと新しいアプリケーション

■そして、ぼくの上司たちとも折り合わないことも。
いちばん考え方が異なったのは、課題の見出し方やその解決方法について。上司は属人的に、対してぼくは構造的に考えようとしていた。例えば、商談数が増加しないのは、メンバーの努力・奮励が不足してるからだと上司は考え、一方でぼくはアタックリストが整備されておらず、どのようにアプローチしたらいいかが不確かだからだと考えた。こんなふうに上司とぼくとで、物事の解釈が大きくズレたままメンバーと向き合っていた。

■リモートワークの推進についても、新メンバーのなかに抵抗があった。いつでもどこでも便利に仕事できるよう変更していきたいぼくを含めた旧メンバーと、さまざまな理由を挙げて結局は何も変えようとしない(つまりはこれまでの出社勤務を続けようとする)新メンバーたち。議論は「よりよく仕事するためにはどうしたいか」というよりも、「現状を変えるか・変えないか」という域を出なかった。

■新しく預かった商品たち
担当者が属人的に頑張ることでなんとかランニングできている。同時に、よくよく確認してみれば、関係する権利者たちとの連携について法的な安全性が担保されていない。また、売上規模は大きいが利益率は徐々に悪化している。そして、その商材の一般的な価値は下がっているが、特定の採用先の意向で終息させられない。
その時に抱いたイメージは、こっちを改善しようとするとあっちが崩れる、にっちもさっちもいっていないというものだった。

>> コンフリクト をやりくりすること マネジャーの務めのひとつ

休職する前の数か月、何かマジの揉め事が起こらないかな、なんて思っていた。
日常をひっくり返すくらいの大きな問題が明るみに出ないかなと。
その記憶から振り返ると、きっとぼくも嫌気がさしていたんだろうな。

これは休職してから気付いたことだけど、
ぼくとメンバーそれぞれとは、対話を積み重ねることで信頼はできつつあった。しかし、メンバーどうしの相互理解や信頼は結局なにも変容させられていなかった。これではいくらルールやツールを導入したってみんなが足並みそろえて協働するのは難しい。

何か不具合が発見されたとき、もとを辿るとただのディスコミュニケーションが要因だったなんてことも散見された。

こんなのもう消えてなくなってしまえばいい。そんなふうに思ってた。

例えるなら、古いOSと新しいアプリケーションとのコンフリクト。
これについては、少しずつでも継続的にそれぞれと話す機会を作って
こちらの意図を粘り強く話してきた。その時間を本当にたくさんとってきた。

理想とする営業としての姿を整えるため、自分から行動して例示したり、具体的な作業もこなしたり、駆けずり回っていた。

結局、チームの変容を見ないまま休職してしまった。

振り返ってみれば、ぼくはマネジャーだったのに
マネジメントではなく、ディレクションやプレイングに明け暮れていたように思う。

ぼくはマネジャーとして、ありとあらゆるコンフリクトをやり繰りするのが務めであったのに、そうはできていなかったのだ。

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ここまで読んでくれてありがとうございます。

これからこんなふうに続けていこうと思っています。
よければお付き合いください。
・(1)はじめに
・(2)診断・休職まで
・(3)休職のはじまり:しんどいよりも、痛くて重い
・(4)休職のはじまり:感情・思考の記録と、仕事・職場への思い
・(5)休職のはじまり:ぼくの前にも後ろにも
・(6)お仕事でのたくさんのコンフリクトたち(この記事)
・(7)仕事とプライベートのコンフリクト、だけではなかった
・(8)休職期間中に学んだこと・発火したこと
・(9)最後に

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