12年前の今日も東京は雲ひとつない青空でした
ご覧いただきありがとうございます。
今日は3月11日。
東日本大震災から12年経ちました。
あの日のことは忘れもしません。
私は東京の自宅にいましたが
それでも
強く長く続く揺れに
恐怖しかありませんでした。
被災地の方々は
想像を超えるレベルだっただろうと思います。
過去の写真を見ていたら
宮城県亘理郡山元町にある
中浜小学校の写真が出てきました。
私は2016年と2019年にここを訪れています。
私が行った時は
津波の被害に遭ったそのままの校舎がそこにあり
勝手に外から見る感じでした。
ガラスのなくなった窓から
ぐちゃぐちゃになった教室や職員室が見えました。
今は震災遺構としてきちんと保存がされ
一般公開もされているようです。
仙台湾の海岸線に立つ中浜小学校は
津波の被害に遭いつつも
一人の犠牲者も出しませんでした。
地震発生後10分で
高さ6mの津波が到達するという警報。
避難できる高台まで子供の足で20分。
当時の校長は垂直方向に
つまり校舎の屋上へ
避難することを決心したそうです。
奇跡的に津波は屋上まで到達することなく
そこにいた教員、児童、地域住民90名全員
翌朝自衛隊のヘリコプターに無事救助されました。
校舎の壁の上の方に
「津波浸水深ここまで」と書かれた
プレートがあります。
屋上ギリギリのところです。
迫り来る津波の音
絶えず続く余震
氷点下の寒さ
どんなに長い夜だったでしょうか。
どんなに恐ろしかったでしょうか。
言葉が出てきません。
2011年3月11日
東京は今日のように穏やかな春の日。
当時2歳だった次女と近所の公園にでかけ
一緒にブランコに乗りました。
ブランコに揺られながら見上げた空は
雲ひとつない美しい青空でした。
忘れられない日
忘れてはいけない日。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。