【シネマでおジャマ】 ナマステ🙏ぼりうっど④ 〜 ボリウッド・スーパースター展〈ケ・ブランリ美術館〉 前編
いつかはインド映画に関する総体的な記事を書きたいな〜、書いたほうが毎度映画のお話をするときの参考になるな〜、姐さん書かないと💪と思っていた矢先! (と言ってももう冬の一時帰国前の寒い時期でしたが) パリのケ・ブランリ美術館にてやってくれましたよ。
「ボリウッド・スーパースター展」!!
パリさんぽもしばらくご無沙汰なんですがあの頃は寒さも厳しかったので、こちらの展覧会でアツく!あはん♥な気分に。
とはいえ、実は行くかどうか迷ってました。
と言うのもこの美術館、できた時から展示品が「民俗学」でイクのか「美術品」でイクのかで色々論争がありまして。
今回の展覧会も姐さん個人も、やはりも「どっちでイクのん?」と疑問を感じましたが、そこはタイトルを見て判断。
「ボリウッド・スーパースター」ってアータ。
ハイハイ。コレね、姐さん的に言わせてもらえればもうココでアウト。
単なる客引きタイトルでしかない...
ボリウッドと言えば、ヒンディー語圏の旧ボンベイ(今のムンバイ)中心地方の作品を指し、豪華絢爛な歌えや踊れやのお祭りエンターテイメント映画の代名詞。世界興行的にもトップのインドを揺るがす重要文化財。
一方、スーパースターとは一般にまあ有名な俳優などのことを指しますが、インド映画でスーパースターと言ったらこの方!
ハイ。ラジニカーント。
ジャパ〜ンではこちらの映画が有名らしいですね。
しかし、ラジニカーントはインド南部タミールナドゥ州を中心とするコリウッドの「神」。旧マドラス(今のチェンナイ)地方 では正に、スーパースターなんですわ。
タミールナドゥは一番下の緑色のところ。
そら、東京と大阪ぐらいは違いまんがな。
それを知ってか知らぬかこのタイトルで、
「あ、こりゃきっとどっちつかずでしょうがとりあえず覗いてみるか。」と。
まずは馬鹿デカイ映像にて来場者の目を釘付けに。
後ろにちらりんと見えるのは、従来の美術館所蔵のタントラじゃな。
本来であればこちらがメイン...
『Khal Nayak』(1993) Hindi
コレもう、圧倒的なトランス感。
♪チョリケ ピチェ キャヘ〜
ク・セ・に・なります〜。
『Rajaraja Cholan』(1973)
コチラはタミールの伝統的な踊りバラタナティヤムが良く解かる(?)ダンスシーン。リズムの刻みも南を感じます。
♪タガダタガダダガダッ
ちなみに姐さんシンガポール時代に、娘ちゃんに習わせたのもこのスタイル。
また主演のシヴァジ・ガネサンは「タミールのマーロン・ブランド」と呼ばれ生涯に250本以上の映画に出演。タミールのもう一人のスーパースター。
そしてこちらも少分割でイキましょう。
Dadasaheb Palke
ダーダーサーヘブ・パルケー監督
どやっ。
いかにもオドロオドロしい名前でっしゃろ。
しかしこの監督今でも「インド映画の父」と慕われ、インド映画最も権威ある賞として、
ダーダーサーヘブ・パルケー賞、
という賞まであるんです。
頂いてますよ。スーパースター、ラジニカーントそしてシヴァジ・ガネサンも!
画学生に始まり、写真を始め、1892年に産業展示会にて金メダル受賞。そのご褒美に映画撮影カメラを貰ったんがきっかけで映画製作へ。
長編95本、短編27本を発表。
家庭内工業的に作った、1913年の無声映画がこちらの『ハリシュチャンドラ王』(22分)。
これは、初のインド映画、初のインド長編映画、初のマラティ語映画という三冠王。
(ちなみにマラティはヒンディーのすぐ南の地域)
こちら最近になって素晴らしい音楽が付き
見やすくなっておりますのでご一見を。
ちなみに音楽担当はアヌシュカ・シャンカール。
インド音楽の神でシタール奏者の
ラヴィ・シャンカールの娘。
(ジャズのノラ・ジョーンズは異母姉妹)
そしてそんな偉大なダーダーさん(以下略)をインド映画界が放っておくわけないじゃないですか。
やっぱり2009年に『ハリシュチャンドラの工場』っていう映画作ってるじゃないですか。
こちら「3分で解かるダーダーさん」です。
そのダーダーさんが若い頃、門下だったのが、今じゃこの絵を見たことのない者は居ない、と言うぐらい有名なラヴィ・ヴァルマ画伯。
ちなみに画伯はラジャ(Raja 王様)の称号をお持ちでございます。
かつて戸川純女史も歌っておられましたが。
主演・監督をしたラジ・カプール。今でもカプール家はボリウッドの中でも重要な役者ファミリーですが、女優ナルギスと共に50年代を代表する大役者。「インドのチャーリー・チャップリン」と呼ばれ、TIME誌でも「史上最高のパフォーマンス」にランクインしています。
その中でもこの曲は、超大ヒット。
♪おいらの靴は日本製
はいてるズボンはイギリス製
頭にロシアの赤帽子
それでも心はインド製
1957年の「Mother India」はインド版「おしん」。
初のテクニカラー作品で現在のボリウッドとは程遠い社会派。
当時インド人なら必ず見て泣いた、というこの作品。姐さんも軽く20年位前にパリ・ギメ美術館のインド映画サイクルで見て以来、圧倒的な印象で脳裏に焼き付きました。
主演は前作と同じ女優ナルギス。「水仙」を意味する彼女の名前ですが、今では「インドの母」と言ったらこの女優さんを思い浮かべます。
ちなみに先程 ♪チョリケ ピチェ キャヘ〜 と歌ってたMVの中で、片目でタバコ吸ってた俳優さん(サンジェイ・ドゥット)の「ホントの母」ですが。
1955年の「Devdas 」は、今のボリウッド映画の原型ともなった作品。
身分違いの恋への嘆きからアル中になり破滅してゆく男の話を、伝統的な踊りをはさみながら見せてくれます。
主演のディリップ・クマールの酔いどれシーンは今でも伝説的シーンとして語り継がれています。
また、彼はあのダーダーサーヘブ・パルケー賞を受賞しております。
1948年の「Pyasaa」は主演・監督がグル・ダットのロマンティック悲恋モノ。
インドでいかに詩人が高貴な職業であるかが垣間見れます。
いずれもインド映画の基礎を固めたクラシック。
それぞれのメロディは何度も歌い継がれ、姐さんも聴けばカラダが動き出す!
インド映画が長丁場、と決まっておりますが、姐さんの記事も長丁場😅
まだまだ終わってはおりませんが、ちとこの辺でお休みタイム。
日印合作アニメ映画『ラマヤナ』をご紹介しながら、また次回へ続きますん。
そしてこちらは実写版。
いやん♥
ナマステ🙏ぼりうっど。