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1965年のボブ・ディランと同い年の俺が、2025年に『名もなき者/A Complete Unknown 』を観た

音楽の話をしていて、すぐにボブ・ディランの逸話を持ち出す人は苦手だ。

ビートルズ然り。エルヴィス然り。これ以上名指ししても敵が増えるだけなので自重するが。

まだ俺も若いのだから、新しいアーティストで興奮したいとずっと思っている。8時間のドキュメンタリーシリーズ『Get Back』も観たし、バズ・ラーマン監督『エルヴィス』も観たが、どちらも「教養」として観た部分がやはり大きい。

いつ頃だったか忘れたが、ティモシー・シャラメ主演、ジェームズ・マンゴールド監督によるボブ・ディランの伝記映画の企画が発表された。

「2020年代にボブ・ディラン?」と思った。でも、あの大好きなジェームズ・マンゴールド監督。何かあるに違いないとは思っていた。

俺はずっとソウル/R&B側の人間だと自覚していたが、それでもボブ・ディランのことは知っていた。作品も、『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』、『追憶のハイウェイ 61』、『Blonde on Blonde』くらいは聴いたことがあった。ノーベル文学賞を受賞したときのスピーチ(というかメッセージ?)も、英語の文法的にそれを解説する本が高校の図書館にあったので、休み時間に読んだりしていた。今回の映画に関して言えば、彼がエレキを持った衝撃も知識として知っていた。しかしそれも、あくまで「教養」として興味があったからにすぎなかった。

今回の映画のためにボブ・ディランを聴いてみようと思ったが、ディスコグラフィが多すぎる。俺は新しいアーティストを聴き始めるとき、大抵の場合はデビューアルバムから聴き始めるのだが、それにしても多い。

ボブ・ディランをこれから聴き始める人へのおすすめの方法として、今の自分の同じ年齢の頃のボブ・ディランが出した作品をまず聴いてみるのがいいと目にしたことがある。なるほど、と思った。

それで言えば、俺は今年の秋で24歳になる。ボブ・ディランが1965年のニューポート・フェスに出たのも24歳の時。期せずして、俺は自分の姿を、60年前のミネソタの青年の姿に重ねながら、『名もなき者/A Complete Unknown』を観ることになった。


観終わった。何から何まで素晴らしい映画だった。何よりも、ボブ・ディランという生き方に、2025年現在と同時代性があると思わなかった。

恥を承知の上で白状すると、タイトルにもなった有名な一節“Like a complete unknown”を含む「Like a Rolling Stone」は「名もなき者/持たざる者の美しさ」についての曲だとこれまでずっと思っていた。おそらく、ボブ・ディランの作家性に影響を受けた後人たちが作り上げた歌詞のイメージが一人歩きして、俺の元にも届いてしまったからだと思う(それはそれでポップカルチャーの面白い部分だが)。

そんなツイストがある中でも、この映画ではボブ・ディランはずっと「名もなき者」に見えた。彼は定義されることを拒み、答えを出さず、変化し続ける。それが彼の生き方だった。

しかし最近の俺は「何者」かになろうとしすぎているのでは、自分で思った。俺だけでなく、若い世代はみんなそうなのかもしれない。VineやYouTubeといったコンテンツが出てきて以降だろうか。スマホひとつで有名になれる時代を、俺たちは生きてきた。

それが今はさらに加速し、社会的な意味でも、経済的な意味でも、多くの人に知られる「何者」かになろうと必死だ。生き残りをかけた戦いとも言えるだろう。だから何かに生かすための「教養」を摂取し、いろんなプラットフォームでいろんなことを試みる。みんながディランの「着想」を聞いて必死に真似しようとしていたみたいに。

「何者」かになることを拒絶するという生き方は、2025年の今でも検証の余地があると思う。


日本では3年前の2022年に公開された『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の主題は、ポスト・トゥルース(これリベラル用語ね)とそれに紐づく(アンチ)キャンセル・カルチャーだった。2021~22年の空気感があの映画には全て詰まっていた気がしたから大好きだった。

2025年。今はポスト・トゥルースとか言ってる場合ではなくなってしまった。嘘だろ。時代の変化が早すぎる。あの頃はなんて単純で幸せだったんだろうとすら思う。あの頃の俺には、「The Times They Are A-Changin'」は決して歌えなかった。

1964年のフェスで「The Times They Are A-Changin'」を歌って大喝采を浴びたディランは、数秒間観客をニヤつきながら眺める。体感では4~5秒くらいあった。

『名もなき者/A Complete Unknown』は、ずっと「眼差し」の映画だった。マンゴールド作品の特徴でもあるが、今回はより一層その演出が前傾化していた。

「The Times They Are A-Changin'」を歌うディランを、ピート・シーガーは誇らしげに見つめる。彼が尽力してきたフォークを大衆音楽にするという試みが、シャベルを持った新星によって叶えられようとしているからだ。しかしその同じ姿のディランを、シルヴィ・ロッソ(≒スージー・ロトロ)は悲壮感漂う眼差しで見つめる。ジョーン・バエズとの浮気を疑いつつ、ビッグアーティストになっていく彼にやるせなさを感じているからだ。

そして当のディランは、ただ観客を見つめている。この映画を通して、彼の眼の焦点はずっと合っていない。そういう人だからだ。しかしこのシーンでは、彼は確実に観客の方を向いて何かを感じている。それは、時代が変わる予感に他ならない。

急速に変化していく世の中を生きていくには、何に眼差しを向けるかだと思う。その点でディランは鋭い眼を持っていた。2025年に、ディランほど鋭い眼を持った人はどれだけいるだろうか。俺たちにサングラスは必要なのだろうか。


この映画はウディ・ガスリーで始まり、ウディ・ガスリーで終わる。代表曲の一つ「Dusty Old Dust」だ。

この映画の主題は、この曲の歌詞にすべて込められている。

So long, it's been good to know yuh
This dusty old dust is a-gettin' my home
And I got to be driftin' along

Dusty Old Dust - Woody Guthrie

じゃあな、出会えて良かったよ
この砂嵐が家を吹き荒らすから
流れに任せてうつろうしかないんだ

※筆者訳

アメリカ特有の災害的な砂嵐を終末論的なナラティブで語ったこの歌は、暴力的なまでに変わりゆく時代と、それに対するディランの生き様を見事に反映している。うつろう(be driftin')ことはつまり定義されずに動き続けることで、「Blowin' in the Wind」や「Like a Rolling Stone」に顕著なディランの流動性(風と転石)とも重なる。

形を持たず、答えすら持たず、ただうつろい彷徨いゆくこと。完成したばかりの「Blowin' in the Wind」を聴いたジョーン・バエズは、ディランに「これは何?(So this is what?)」と尋ねる。彼は答える。「わからない(I don't know.)」と。

2025年、西洋占星術で言えば「風の時代」に突入した。今俺たちは、「わかる」と「わからない」の狭間を漂っている。そもそも「わかる」とは?『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』のマチュだって、「よくわかんないけど、なんかわかった!」って言ってた。星野源だって「Eureka」で、「妙に綺麗で 泥臭い わからない中で」って歌ってた。

ボブ・ディランは、最高に2025年的だ。ボブ・ディランは、2025年の俺たちだ。


なぜそこまで現代との接合をしたくなるのか。それは、「現代ポップカルチャーの最大公約数」こと、ティモシー・シャラメが主演を演じている説得力が大きい。

2017年公開(日本は2018年公開)の『君の名前で僕を呼んで』は、俺らの世代の映画好きが避けては通れなかった作品で、初めてと言っていいほど、後世に残る“わかりやすい”傑作をリアルタイムで目の当たりにした(あの映画は名作の風格があるザ・名作じゃないですか)。

その後も多くの作品で重要な役を演じていき、「NEXT ディカプリオ」などと呼ばれるようにもなった。『デューン』シリーズでは、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は確実に彼のことを「救世主」視している。アラキスを、劇場体験を救うスターとして。

しかし一方で、そこまで彼のことを盲信できない俺自身もいた。Z世代を代表する俳優としてはゼンデイヤやフローレンス・ピューの方が遥かに格上だと思っていた。身体ガリガリの中性的(個人の感想です)なスターなんて、2010年代~20年代のスター像として完璧すぎて認めたくないという逆張りもあった。

『名もなき者/A Complete Unknown』は、彼の存在をまた一つ上に押し上げた。彼がディランを演じているからこそ、ここまで説得力を感じられる映画になったし、俺は自然に「2025年の映画」として観られた。この映画は、少なくとも俺にとっては、ティモシー・シャラメの戴冠式映画だった。


1965年の夏に、ディランがエレキを持った。60年経った今、俺たちにとっての「エレキ」は何なのか。

AI?教養?発信力?ネットリテラシー?カネ?博愛主義?

わからない。その答えは風に吹かれている。



ディランを半分憑依させて、一人称を「俺」で書いてみたんだけど、あんまり上手くいってないね。

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Masaaki Ito
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