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脳内バングラデッシュの旅-”バウルを探して”を読んで-

旅をするのも好きだけど、本を読むのも好き。だって自分の知らない世界の中で揺蕩うという意味だとどっちも同じじゃない?
この本を読んでいる間、開けてある窓から秋雨がさぁぁっと聞こえる日本の部屋の中にいるはずなのに、時折雨音が消え、バイクや車のクラクション、埃と人と香辛料の匂い、トーンが高めの耳慣れない言葉が聞こえてきた。だから、読書は旅。

このnoteはバングラデッシュへ行った時の(≒バングラデッシュの本を読んだ)話。

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バウルを探して、という本がある。ユネスコ無形文化遺産に登録されている「バウル」という吟遊詩人の歌を探しに旅するノンフィクションの本だ。

表題になっているバウルとは?と聞かれても、本を読み終えた私でも答えるのは難しい。ある哲学の下で修行し歌う人々、というのが近いのだろうか。バウルは考え方ひいては生き方だから、特定の宗教を信じていても、どのカーストに所属してもバウルになれる。

といっても堅苦しさ一辺倒ではない。時代の流れのせいか昨今はいろんな種類のバウルがいる。「歌う修行者バウル」が本物らしいが、ただ歌うだけの「ミュージシャンバウル」、瞑想して修行するだけの「修行者バウル」、週末起業家ならぬ「週末バウル」もいる。なんて自由で、なんてカオスな世界。

そんなカオスな世界で本物のバウルを求めて元国連職員の川内さんはカメラマンの中川さんと通訳のアラムさんと一緒に2週間ほどバングラデッシュを旅する。バウルにまつわるスポットや有名な歌手の元を訪れたり、バウルが出るというお祭りに参加したり。

「バウル」がなかなか見つからなくて、本の終盤に本物のバウルと感動的な出会いがあるのかと思いきや、旅開始早々にバウルに出会ってしまうこの御一行。でも、出会うことがゴールではなく、出会うことが旅のスタートだったんだ、と思う。だって、出会うだけじゃバウルとはなんぞや、の問いに答えられないから。

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奇跡的な芋づる方式でいろんなバウル達に出会う川内さん達。バウルに出会う度に彼らに「バウルとは?」と尋ねる。社会の型破りな存在な彼らが大切にしているものはなにか、彼らの行き着く先はどこなのか、彼らが歌う揶揄的で意味が分かるようで分からない歌にはどういう意味があるのか、と。

何人かのバウルに出会い、少しずつ答えのピースを集めていく川内さんたち。そして迎えた全てがつながる瞬間。すっかり旅の一員となっていた自分の体にも流れてくるカタルシス。

旅の一員としての気持ち、旅を文字として追っている読者としてのメタな気持ち。そういうことか、という気持ちと、「答え(のようなもの)にたどり着けてよかったね」という気持ちと「果たして自分はどうなんだろう」と様々な次元の感情にもみくちゃにされる。

どういうこと?という気持ちとなかなか読み終えたくない、という気持ちがごちゃまぜになりながら最後までページをめくっていく。本を創った(旅した人達、書いた人、写真を撮った人、製本した人)人達からの愛情が流れ込んできて、すごくすごく幸せな気持ちで本を閉じた。私はかなり本を読む方だけど、こんな気持で本を閉じれることって、そう滅多にない。

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既に単行本、文庫本で販売されているのも関わらず完全版として3度目の刊行されたこちらのバージョン。ページが180度開くコデックス装という綴じ方で、背表紙はない。ベンガル文字で”バウル”と表記された顕が鮮やかな糸で綴じられている。3度目の刊行にも関わらず、なぜここまで手が混んでいるか。

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一緒に旅をしたカメラマンの中川さんは残念なことにこの本の初回出版時には既に亡くなられていた。バウルを探す旅路で中川さんが撮った写真が存分に残るように今回刊行された版には写真をつめこんだそうだ。

彼がファインダー越しに覗いた世界を紙という媒体を通して見る。このシーンで中川さんの心を捉えたのはなんだったんだろう、と。ページに印刷された写真はあまりにも鮮やかで、自分の知らない世界がまだまだあって自分のちっぽけさに胸がきゅっとなる。

景色から流れるゆっくりとした時間、被写体とレンズ越しに目があった瞬間に流れる爆発のようなエネルギーの応酬、知らない人に向けられたレンズでも信用してみようとする人の率直さ。

バウル探しの旅に出た中川さん視点の写真と、川内さん視点の文字と、その2つが絶妙に補い合って紡ぐ物語がこの完全版なんだ。文章を読んで写真を見返すと、ああこの瞬間の写真なんだな、と思うし、写真を見ていると同じシーンを中川さんはこうやって見たんだ、と感じる。それを同時に頬張るころができる読者という立場の贅沢さたるや。

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写真はこの本を出版元の三輪社さんのサイトから。

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1年ぐらい前に見かけていつかほしいなぁと思ってたこの本。本が手元に届くまでの話を著者の川内さんが以下のnoteで書かれている。こんなにたくさんの人達の手を介して本って手元にやってくるのか、と手元にある本をそっと撫でたくなる。

川内さん、故・中川さん、アラムさんのバウル探しの旅は、本としてこの世に記録されるべきだ、と世界が、バウルの神様(そんなものがいればだけど)が仕組んだんじゃないかって私は思ってる。言葉越しにその旅をご一緒できた時間は本当に幸せだった。素敵な世界を見せてくれて本当に本当ありがとう。

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本を読んでる間、私はずっとバングラデッシュにいたよ。



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