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イジメられてた話

中学2年のとき、イジメにあってました

中1に上がったときは、小6からのクラスメートがたくさん一緒だったので割と平穏な学校生活だったんだけど、中1から中2へ上がった時クラスの中はほぼ全員知らない子だらけ

その中にやたら声がデカく圧を発して、オマエ何様?ってくらい人を小バカにする態度で馴れ馴れしい奴が居て、近くに来られるだけで嫌悪感max、とにかくその子が嫌いで嫌いで仕方なかった

夏休みが終わって新学期が始まった頃だったろうか・・
わたし嫌いな人間に対しては「オマエめっちゃ嫌い」オーラを思いっきり発するようで、それが気に食わなかったのか、毎日何かにつけ徹底的に攻撃された

罵声や蹴り、汚物扱い、落書きやデマの流布、集団で無視とかまぁ普通に(笑)人格破壊行為を受けてたけど、一番の悲しい記憶は美術の時間に作った工作物をそいつにぶっ壊されたこと
先生にも褒められ、当時好意を抱いてた子からも褒められた私にとっての最高の自信作だった
もう悲しさよりも悔しさのが強くて何日も立ち上がれなかった

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「もう学校行きたくない」

勇気を出して母親に泣きついたことがある

「なにかあったの?」

そういう返答を期待してたけど私の家庭の現実は無残だった
そのとき返された言葉は

「なに情けないこと言ってんの」
「学校ぐらい行きなさい」

晩ご飯の支度で忙しいのか、仕事終わりで疲れてるのか、私の方を振り向くことすらなく吐き捨てるように言われた

あぁやっぱり頼っちゃいけないんだよね
私はなんて情けないこと言ってるんだ
自分で解決しなきゃ

素直にそう思った

この言葉を受けてから、もう自分が死ぬかイジメ相手を殺すかの二択しか頭になかった

自死することは自分を情けないと認めること
だったら殺してやろう
殺すことは自分の素直な欲求なんだ
一緒にイジメてた連中をビビらすためにも学校で殺してやろう
みんなは私がイジメられてること知ってるから殺っても私は同情される
そして私の苦しみを汲み取ってくれなかった母親への恨みの気持ちもあった

だんだんと殺すしかないなって感情が心の中を支配し始め、その時からカバンに家の包丁を忍ばせて登校するようになった

3学期のある日、授業中に先生が投げた問題に私が答えた後、そいつ私のしゃべりを口真似してからかいやがった
みんな笑った
先生まで笑った

もう耐えられなかった
私の中でカチャンって音を立てて安全装置が外れた瞬間だ
カバンから包丁取り出して、そいつの机に向かい髪の毛掴み上げて包丁振りかざした

幸い未遂で終わってお互い大事には至らなかった

警察沙汰にはならず、すべて学校内で処理されたんだけど、それからは私は学校中からドン引きされてることを実感した
けど誰からも干渉されないってことが、こんな楽なんだってことに気がついたのはすごい収穫だった(良いのか悪いのかわからないけど)

あ、母親は泣きじゃくってたね
そりゃそうだ、家ではおとなしくて親に従順な子を演じてたから、それがまさかの殺人未遂だもんね
ざまぁって気分だったかな、何となく私の気持ちが晴れた(歪みきってる)

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イジメやハラスメント、マウントに明け暮れる輩は、子供だけでなくいい歳こいだ大人になってもたくさん居る
どれもみな人の心をズタボロにする立派な傷害罪
しかも人のその後の人生を狂わせかねない重罪なのだよ

私はそういう人間を絶対に許さない
被害にあわれてる人には、私に何が出来るってわけじゃないけど気持ちだけは寄り添ってあげたい

メンタルは目に見えない
だからこそもっともっと人の心を理解しあえる世の中になってほしいし、もし被害にあったら抱え込まず表に出してほしい
聞いてくれる人は必ず居る
手段なんて何でもいい
そうすることで必ず何かが変わるから

とりま、
あおり運転の行為そのものを罰する法律が出来たんだから、同じようにイジメそのものを罰する法律を作ってほしいと願うばかり

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ちょっと盛ってる部分もありますがノンフィクションです。
性の話とかダークな自分を書いても、みなさん去らずにやさしく受け入れてくださった。
私にとって黒歴史ですが、この想いはいつか語ろうと思って眠らせてた記事でした。

最後までお読みくださりありがとうございました。
いま苦しんでおられる方が、生きづらさから早く開放される日が訪れますように。

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ま➖
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