当たり前すぎて気づかなかった〜結婚52年目にして夫婦別室
前回↓に続いて、実家の両親のエピソードです。
自分だけの部屋がある喜び
「生まれて初めて〈自分の部屋〉ができた」
と母が嬉しそうに話してくれたとき、私は不思議に思いました。
母は、かつて私の妹が使っていた部屋をパステル画を描くアトリエにしていたからです。
でもそれは、アトリエであって、〈自分の部屋〉ではなかったのですね。
母にとっての〈自分の部屋〉は、〈夜ひとりで眠る場所〉を意味していたのでした。
5人きょうだいだった母は、独身時代に個室などあったはずもありません。
結婚当初は、社宅だった団地暮らし。
家族4人、和室で川の字に寝ていたように思います。
3LDKのマンションでは布団を、4LDKの一軒家ではベッドを並べて、両親は同じ部屋で眠っていました。
娘ふたり(私と妹)が家を出てからも、それを続けたのは、
「同じ部屋で眠るのが夫婦として当然のこと」
と、両親ともに思っていたからです。
「当たり前」すぎて気がつかなかった
寝室を分けた後、父が私に話してくれたことがあります。
「〇〇さん(母の名前)には悪いことしてた。
寝るのに苦労してたなんて、思いもよらんかったから」
早々と就寝する父を起こさないよう、母がかなり気を遣っていたことに、父は初めて気づいたようでした。
ひとり部屋で眠るようになった母は、
「寝る前にベッドの上で好きなだけ本が読める」
と大喜びです。
きっと父も、母のいびきがなくなって、熟睡できていることでしょう。
(父からいびきの話を聞いたことがないので、以前から熟睡していたかも知れませんが ^^;)
「当たり前」も変化するのが「当たり前」
私の両親は、寝室に関して同じ認識を持っていましたが、
「夫婦とはこういうもの」
という認識って、そもそも夫婦で違っていることもあるんですよね。
また、子どもの成長、家族構成の変化、自身の体調や心境の変化によっても、「こういうもの」という「当たり前」は変わってきます。
ですが、1940年生まれの父や1948年生まれの母にとっては、「当たり前を疑う」という意識がなかったのでしょう。
「コレはこういうもの」と所与のものと考えることで、お互いに不満をぶつけなかったというメリットもあったかもしれません。
(一人でゆっくり休みたい私には、考えられないことですが)
たとえ違和感があったとしても、
「夫婦とはこういうものだろう」
と考えて、お互いにそれを言わずに過ごしていたこともあったように思います。
夫婦のことは夫婦で決める
・よく眠れない
・食事を楽しめない
・なんだか体調がすぐれない
そうした変化があったときに、夫婦で対話ができるといいですよね。
「私はどうしたいのか」
それに対して、
「あなたはどう思うのか」
ニュートラルに話ができると、お互いにとって心にも身体にも優しい時間を過ごせるように感じます。
「いい/悪い」とか、「”ふつう”はどうか」なんて、関係ない。
夫婦それぞれが、何をどう感じ、どう考えるのか。
それを伝えあい、共有し、着地点を見つけることが大切だと思うのです。
自分の気持ちに正直に
もしもあなたが、パートナーシップに関して心がざわつくことがあるとしたら、
「〇〇はこういうもの、と思ってきたけれど、本当に?」
と、質問を投げかけてみましょう。
まずは、自分の気持ちに正直に。
私の父のように、
「全然、気がつかなかった!言ってくれたらよかったのに」
という円満な結果が待っているかもしれません。
あなたが、心も身体も健やかに、パートナーと過ごせますように♪
「私が私である」ことの確信へ導く魔法使い
御影石 千夏
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