見出し画像

その壁、自分で破らないと前に進めないですよ

某中小企業で営業をしていた前職で、入社当時から退職までの約7年、本当にお世話になった先輩がいた。

その先輩は私の3歳年上(当時29歳)で、社歴は2~3年ほどだったと思う。それなのに営業マネージャーをしていたり、営業以外の業務も任されていたり、幅広く仕事をしていて常に忙しそうだった。

そんな先輩が私の教育係に任命されたのだが、異性だからということを差し引いても、お互い人見知りがひどすぎて会話がぎこちなく、スムーズにコミュニケーションが取れるようになるまで半年くらいを要した。先輩の商談に同行したときも、電車ではひどく離れたところに座られ、満員電車で致し方なく隣に立ったときも、何か少しくらいは会話をした方がいいのかなと考えて喋りかけるも、先輩はすでにAirPodsを耳にはめて音楽を聴いていた。駅と往訪先の道中も小学生の登校時のように縦に並んで歩き、もちろん無言。車での出張時も、会話は片手で数えられるくらいしかしないし、その会話も3分もしない、そのうえラジオも音楽もかけないからなんとも言えない微妙な空気が常に車内に充満していた。傍から見たら険悪な雰囲気のカップルにでも見えていたかもしれない。

いくら先輩が私と話してくれないとはいえ、私は先輩に仕事を教えてもらわなければならない。ろくに喋ってくれない先輩に、隣の席から「手空きました、次何しましょうか」「その資料、作ります」など、苦手だと思っていた先輩にひたすら話しかけた。どうやら先輩は先輩で教えるのがあまり得意じゃないらしく、そこに人見知りも加わり、さらに教育係が初めてだったらしく、どうしたらいいのかわからなかった部分もあったらしい。

私が頑張って話しかけたことで少しずつ打ち解けていき、ご飯に連れて行ってくれたり、へこんだときはスタバやコンビニスイーツを買い与えてくれたり、誕生日にはゲームソフトを買ってくれるまでに溺愛してくれるまでになった。ゲームソフトを買って渡されたときはさすがにびっくりしたし、何より周りも若干引いていた。


私は営業職だったけれど、本音をいうと営業はしたくなかったし、本当に向いていなかったと思う。人見知りだし、話すのが苦手だし、数字を扱うのも苦手だった。それは今も変わらない。

営業が自分に向いてなさすぎて、入社して1年経つまでは精神的に本当にしんどい時期が続いた。研修期間が終わってからも先輩に教えを乞いながらなんとか業務をこなしていた。

それでも新規案件は取れないし、売上成績も思ったように伸びない。与えられた予算も達成しないどころか割りまくりで、毎月締め日が近づくたびに胃がキュッとなっていったし、どんどん居心地が悪いと感じるようになった。

私のこの会社での存在意義って、なんだろう? 営業なのに予算も達成できないなんて、いる意味ないんじゃない?

ネガティブな考えが頭のなかの大部分を占めるようになり、会社の人たちといく飲み会ではお酒を飲んではよく泣いていた。そのたびに他の人から「おいー、お前の教え子、泣いてるでー」「なんとかしろやー」と先輩が責められ、さらに申し訳なさが増えて、さらに泣いたのだった。


そんな時期がある程度続き、また先輩がご飯に誘ってくれた。先輩とご飯に行ったとき、気を使ってなのか何なのかはわからないが、先輩は私にあまり仕事の話を吹っ掛けない。先輩の家族の話とか、私の恋愛相談とか、ゲームやアニメの話とか、友達のようにくだらない話で盛り上がることが多かった。

しかし、その頃の私はあまりにも仕事に対しての自己否定が強すぎたので、先輩に「私は今の会社にいる意味があるのだろうか」とボロボロこぼし始めた。

新規開拓が苦手、かといって既存顧客の売上を伸ばすのが得意かと言われるとそうでもない。営業である以上、新規開拓が得意な突破力や、与えられた予算を達成できる力量がないと存在価値がないと思っていた私は、そのどちらも苦手かつ自分が得意になれるとも到底思えなかった。先輩をはじめ、一緒に働く同僚たちのことは好きだったから踏ん切りがつきにくかったが、会社に利益を与えられない私は辞めた方がいいのでは、とまで考えていた。

私の話を聞いた先輩は「でも、その壁を川端さん自身で破らないと、前に進めないですよ」と言った。

「そうやって自分で向き不向きを考えるのはいいけど、不向きに対して『自分は不向き』で終わってしまったらもうどうしようもないじゃないですか。不向きなのはわかったうえで、じゃあ自分には何ができるのかとか、それをカバーできるものは何なのかとか、そうやって考えながら乗り越えないと、これから先もずっとそこで止まっちゃってしんどいままですよ」

「入社したてのとき、僕にめちゃくちゃ『仕事教えろ』『仕事分けろ』って圧すごかったじゃないですか。あれ、僕いいなと思いましたもん。しかも、それでちゃんと一人で仕事できるようになった。だからできます。困ったら助けます。だから大丈夫」

私が頑張って話しかけてたの、あれ「圧が強い」って思われてたんか……と思ったものの、今までとは違う意味で目頭が熱くなった。けど、涙は出なかった。私、まだこの会社でできることがあるし、何もやりきっていないと思った。自分の存在価値を否定するのは、壁を破るためにできることを全部やって、それが全然できなかったときにしようと思った。

それから私は自分の壁を破るために、それまでより仕事に励んだ。
新規開拓はやっぱりどうにも苦手でストレスだったので、既存顧客の売上アップに力を入れた。今までより先方の話を聞き、提案の仕方を変え、連絡頻度も増やし、自分で重点取引先に設定した先にはさらにアプローチを加えた。他の部署からも情報を仕入れて、ただ営業職に集中しているだけでは難しい提案もできるようになり、さらにそれを先方にも受け入れてもらえるようになった。売上は劇的に良くはならなかったが、少しずつ予算達成できるようになった。いつのまにか「会社での自分の存在価値がうんぬん」など、考えなくなっていた。

ある日、全社員の前でスピーチをする機会があった。そのときに、この話をした。そのスピーチでも「これからも壁を破りたい。何か新しいプロジェクトが始まるときに、私の顔を浮かべてもらえるような人になりたい」と宣言した。そのスピーチの直後、違う部署の2人から新しい業務に声をかけてもらえた。別の人からは「話すの上手だよね」と言われた。話すのが苦手、という壁も、いつのまにか打ち破っていた。

ちなみに、先輩は「そんなこと言ったの、覚えてない」と言っていた。照れ隠しなのか本当に覚えていないのかはわからない。


残念ながらその会社は辞めてしまったが、いろんな壁にぶち当たったとき、いつも先輩のこの言葉を思い出す。

現在、私はデンマーク留学中。
そして言語や人間関係の壁に絶賛ぶち当たり中。
この壁、どうやって破ってやろうか。

#心に残る上司の言葉


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集