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脳内をノートに書き出したら小さい字でみっちりになった
私には、どうも脳内だけで思考をぐるぐるさせすぎてしまう癖があるようだ。
あれやりたい、これやりたい、が頭に浮かんできて、それを実現するにはどうしたらいいだろう? も脳内を巡るようになり、でもその脳内会議が行われているのは大抵電車の中だったり、ボーっとしている時だったりなので、すぐに行動に移せないことも多い。あれやこれやと考えて、それらで脳内がパツパツになるのだけれど、良いのか悪いのか、それを脳内から吐き出す前にまた新しいあれやこれやが生まれて、古いあれやこれやはいつのまにか消滅していく。でも、何かの拍子に「いや待てよ、古いあれやこれやも、これをやる上では重要なんじゃないか?」と思い出し、古いあれやこれやと、新しいあれやこれやで脳内が渋滞する。そして処理しきれなくなって、結局「もう何からやればいいのかわからん」状態となり、ゲームに走る。非常に良くない。
冷静に考えて、「いや普通に脳内を定期的に整理すればいいだけやないか」と気付いたのは、我ながら恥ずかしいがここ数日のことである。
SNS上ではあれこれ呟くこともあるし、noteに記事を書くこともあるが、所詮「誰かに読まれても良い範囲」のことしか書いていない。そこに私のこれからの野望や、ドロドロしまくっている感情は、そのまま載っけてはいない。かと言って嘘を書いているわけでもなく、本音を書いているのだが、誰かに読んでもらえるものに昇華させて書いているつもりだ。
私の脳内を整理するのに、人様の目に触れるツールは使えない。私は、3ヵ月前を最後に書かなくなった、ジャーナリング用のノートを取り出した。
ジャーナリングは知っている方も多いかもしれないが、自分の思っていることや感情をノートに手書きすることである。実際に手を動かして書くことで、自分が考えていたこととより向き合える効果がある。私がジャーナリングを始めたきっかけは、約5年前に会社で受けさせてもらったコーチングがきっかけだった。当時のコーチに勧められて始めたのだが、日記ではないので、私は毎日書いていない。自分の中の何かを吐き出したい時に書くようにしていた。ジャーナリングで思いの丈を吐き出すたびに、現状は何も変わっていないのにスッキリした気持ちになっていた。
そのジャーナリングも、1人暮らしから実家暮らしに変わってから手をつけていなかった。なぜ存在を忘れていたのだろう。今までと違い、家の中には常に話し相手がいるので、それでスッキリしていた部分もあったのかもしれない。でも、やはりどうしても、家族にも言えずにモヤっとしていることもあるし、脳内会議の内容をすべて共有するのもしんどい。思い出すには遅くないかと思ったが、私はノートとペンを手に、ジャーナリングをした。
普段ほぼ手書きをしないので、字は乱れていた。そして、前のぺ時までに比べて、字が小さい。そう思いながらも、ノートをすべるペンはまったく止まらなかった。息つく間もなく、私の手はペンを走らせ続けた。脳内会議の議事録でも書いているのかと思うほどに、ノートはすぐに小さい字でページを埋め尽くした。書き終わった……! と手を止め、書いたページを見て、そのあまりの小さい字のみっちり具合に、自分で書いておきながら驚いた。私、脳内にめちゃくちゃ溜め込んでたんやなぁ……と思わざるを得なかった。
ネガティブな感情じゃなくても、それを脳内だけに留めておくのは良くないのかもしれない。適度に吐き出して、自分の感情や思いを整理してあげないといけないのだと感じた。自分の頭の中にある「何か」たちを、言葉で吐き出して、客観視して、「あ、こんなこと思ってたんだ」と気付かされることもある。ジャーナリングは、自分で脳内会議を行ったことを、書き出すことで改めて考えさせてくれたり、気付かせてくれたりする、有益な手段だった。
ジャーナリングをしたおかげで、やっと脳内で溢れていた諸々が整理され、今やるべきことが整理できた。それもしっかり書き出して、1つずつ消化させようとしている。
デジタルが主流の時代になったが、これからもノートとペンは必須。脳内がなんやかんやで溢れ出す前に、いざジャーナリングをした時にノートが小さい字でみっちりになってしまう前に、定期的に、ノートにその時のありったけの私を吐き出さなければならない。
できるだけ物は減らしたいが、これは私にとって必要なものらしい。
自分の保ち方を再認識した出来事だった。