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私は「本当の父」と対話した...認知症の父に怒鳴られても。~親の変化にどう向き合うか~
突然の認知症診断、そして入院へ
「認知症の親に暴言を吐かれて辛い。もう面会に行きたくない。」
そんなツイートを見て、父が入院した時のことを思い出した。
半ば騙して病院へ連れて行った父は、アルコール性認知症と診断された。
まずはアルコール絶つ必要があるということで、入院することになった。
いわゆる措置入院というもので、父には告げずに入院の手続きを進めたのだが、
いざ入院するというその瞬間、人生で一番怒鳴られた。
「誰の許可で入院させるんだ!俺は帰る!」
かつて「絶対的な存在」だった父が…
父は数学教師で、親族の司令塔のような存在だった。
子どもの頃から父の言うことは絶対で、いつも正しかった。
思春期を過ぎても、私は「父の判断は間違いない」と思っていた。
迷ったときは、父に相談した。
それは私だけでなく、父の兄弟や甥・姪たちも同じだった。
いつも誰からも頼りにされる父。
そんな父が「アル中」になるとは、想像もしていなかった。
だって、理性的で自制心のある人だと思っていたから。
依存症と性格は関係ない、頭ではわかっているのにね。
「もう、あなたがお父様を守る番です」
入院時、主治医にこう言われた。
「立派なお父様でしたね。でも、これからその役割はあなたが担うのです。
もうお父様の庇護の中にはいません。むしろ、お父様を守る立場になったのです。」
主治医の「でしたね。」という過去形の発言にハッとした。
もう、立派な父は過去のものなのかと。
それでも、父に耳元で怒鳴られ、私はひどく落ち込んだ。
父の姿で、父の声で責められると、自分が間違っているように思えて苦しかった。
けれど、心の中で自分に言い聞かせた。
「私の父は、もう亡くなったのだ」と。
変わり果てた父と、心の中の「本当の父」
父の入院や、母の治療で判断に迷う時も、
父に「帰りたい」と泣かれて辛かった時も、
私は、心の中の「本当の父」と対話し、勇気をもらった。
「本当の父」はいつも、私を応援してくれた。
「大丈夫。お前に任せたよ。」と
1年余りの闘病の末、父は退院することなく亡くなった。
今振り返っても、入院時にはすでに「私の知っている父」はいなかったと思う。
最後の会話がいつだったのか、父の理性がいつまで残っていたのか、もう分からない。
「家族が知っているその人」と「病気で変わったその人」
認知症は、その人らしさを奪っていく。
奪われていく本人が一番つらいはずだ。
でも、家族もまた苦しむ。
だから私は、「病気になって変わってしまった父」と「記憶の中の父」を分けて考えるようにした。
お腹が空いた、体が痛い──そんな身体的な欲求にはできる限り応える。
でも「家に帰りたい」「娘に会いたい」──そういった精神的な要求には、「できる範囲で」応える。
冷たく聞こえるかもしれない。
けれど、もう父は、私が知っている「父」ではないのだから。
見知らぬ人でも、血を流して倒れていたら助ける。
それぐらいの気持ちでいいと思う。
親を助けるために、子どもが倒れる。
それを良しとする親は、果たして親なのか?ということだ。
親が変わってしまったとき、どう向き合うか
認知症の家族と接するのは、苦しい。
「親子なんだから」と心を縛られるとつらい。
暴言を吐かれ、否定され、どうしていいか分からなくなることもある。
でも、私は「本当の父」との対話を続けたことで、少しずつ整理ができた。
「病気の父」と「私が知っている父」を分けることで、心が軽くなることもある。
もし今、認知症の親との関係に悩んでいる人がいたら、そんな視点を持ってみてほしい。