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ジブリ汗まみれと、ジブリ本

誰のために作るのか

ときどき聴いているラジオの一つに、『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』という番組がある。ジブリの鈴木さんがパーソナリティを務めるラジオで、業界人から表現者まで、様々なゲストも登場し、対談のようなことも行っている。ちょっと前の放送回では、鈴木さんが、『スタジオジブリ物語』『歳月』など、近著をもとにジブリや宮崎駿監督に関する話をしていた。

その回の鈴木さんの話のなかで、興味深かった部分が、ジブリに世界戦略があるか、というものだ。海外でも評価されているジブリ作品だけに、映画制作に当たって、海外を意識して行っていることはあるか、という点に関して、表現者の人などからも質問を受けることがあると言う。

しかし、鈴木さん曰く、「一切ない」とのこと。考えているのは、日本のお客さんのために映画を作っている、ということだけだと言う。確か、以前どこかで宮崎監督も、同じようなことを言っていたような気がする。最初から、世界を意識して作品を作るのではなく、あくまで日本の子供たちのために作る。『千と千尋の神隠し』に至っては、制作当時十歳くらいだった友人の娘さんたちのために作った作品だと公言していたし、スタジオジブリや宮崎監督の作業場のすぐ近くには、ジブリスタッフの子供を預かるための保育園「三匹の熊の家」があり、その子たちの存在が、宮崎監督にとって大きいといった話も聞いたことがあるように思う。世界を見据えたグローバルの視点ではなく、この子たちのために作るんだ、といった視点が、基本の軸になっているのではないだろうか。

「世界戦略もへったくれもない。僕のとこへ、世界へ進出するためにどうすればいいか訊きに来られる方が多くて。作品のなかで、どういうことを心がけているのですか、とか。作品を作っている方が訊いてくるわけですよ。なにも考えてないですよ、(制作段階ではマーケティングなんて)一切ないですよ。とにかく日本のお客さんのために、日本人のために映画を作る、それが根本にある。」(鈴木敏夫)

『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』

世界の情勢を意識したり、 制作後の宣伝に関しては色々と考えることはあっても、表現の段階では、あくまで自分たちのなかに根ざしたもの、培われてきたものをもとに作り、また身近な人、手の届く範囲の人に向けて作る、ということなのではないだろうか。鈴木さんは、「企画は半径3メートル以内で生まれる」ともよく書いている。

表現は、基本的にガラパゴス的でいいような気がする。もちろん、ガラパゴスと言っても、別にもう文化自体が閉ざされているわけではなく、部屋に閉じこもっていたとしても色々な世界に触れることはあるから、必ずしも閉じた狭い空間ではない。ただ、僕が何かを表現しようと思ったら、規模が小さいからというのはあるにせよ、基本的にまずは「自分」であり、利他性があったとしても、身近な人や、家族や、かつての自分や、自分のような誰かに宛てる。その延長として、もっと広い対象もあるのかもしれないが、自分に出発点がない上に、頭だけでこしらえた対象や、最初から広すぎる場所に届けようとしても、少なくとも、表現としての力は持たないのではないだろうか。

あるいは、自分の奥にあるものが、結果として普遍性に辿り着く、という順序なのではないだろうか。

規模の大小は問わず、そんな風な「表現」で溢れる世界は、豊かなものになるのではないかと思う。

豪華な遊び

ジブリ本

今は、ちょうど鈴木敏夫さんが、宮崎監督や高畑監督のエピソードを書いている『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』という本を読み終わったところで、鈴木さんの思い出話として語られる宮崎さんや高畑さんの言動は、変わり者で、歪で、素直で、魅力的な、とても活き活きしている存在であり、人間観察に長けているからか、鈴木さんの語り口も面白い。記憶力や再現力も高い。

たとえば、読んでいて印象的というか、豪華な「遊び」だなと思ったのは、脚本や絵コンテなどを宮崎さんが担当し、監督は若くして亡くなったアニメーターの近藤喜文さんが担った、『耳をすませば』の企画が始まる前夜の話のこと。

宮崎監督は、義理の父親が信州にアトリエを持っていることから、夏になると宮崎家で長野の山小屋に行くことが多く、スタジオジブリ以降は、鈴木さんらも同行するようになったと言う。息子の宮崎吾朗さんや、また一時期は押井守監督、庵野秀明監督なども訪れていたそうだ。人里離れた場所で、電話も新聞もない。夜になるとしんと静まり返り、何もすることがない空間。ある夜、何かないかと、宮崎監督が部屋の奥を探して持ってきたのが、数冊の少女漫画だ。姪っ子たちが遊びに来ることもあり、その際に持ってきた漫画『りぼん』のなかの『耳をすませば』の第二回を、「ちょっと読んでみてよ」と鈴木さんに勧め、押井さんや庵野さんも読み、それから宮崎さんは、「この話の始まりはどうなっていたんだろう?」と言う。そして、この第二回をもとに、話の始まりと、その後の展開をみんなで想像を膨らませながら話し、ストーリーを展開していく、という「遊び」が毎晩行われたそうだ。

その後、宮崎監督は、『耳をすませば』の続きを実際に読んだ際、「話が違う!」と怒ったと言う。「あたりまえですよね。宮さんの頭の中にあったのは、あくまで自分たちでかってに作ったストーリーなんだから(苦笑)」と鈴木さん。『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』では、こんな風に宮崎監督や高畑監督との思い出の光景が、鈴木敏夫さんの主観を通していくつも描かれている。ちなみに、まだ読み始めたばかりだが、もう一つの『スタジオジブリ物語』のほうは、客観的なスタジオジブリの歴史を描いたジブリの物語となっている。


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