残像日記6
八月某日
頭木弘樹『自分疲れ』を読む。
「個人的な」心と体のことを考える本が紹介されている。トラックにぶつかって、意識不明になった人が36日目で初めて意識が戻った、「病院で目が覚めた」と感じる。でも、じつは事故から14日目には意識が戻っていて、会話や食事、囲碁やピアノを弾いていた。アイスが食べたいと会話したのはいったい誰になるのか。「私」は目覚めていないのに、意識は目覚めていて「私」を動かしていた。
容姿に恵まれない女性が、容姿に恵まれた女性に、こう言う。テレビドラマの脚本のワンシーン。印象に残る。
八月某日
百閒、夏子と鳥や爬虫類とふれあえる「いきもの探検隊」に行く。文鳥が二羽、手に留まったまま寝てしまい、たいへん癒される。温かく、重みを感じながら、ここにいる鳥たちは飛べないようにされていると意識しては、すぐに忘れてしまう。みなが自分の指に留まって欲しいと手を差しだし、私も嬉々として差しだしてしまうことを忘れないように書いている。
八月某日
近くの畑でとうもろこしを収穫させてもらう。家に帰ってさっと洗い、そのままかじる。あまく、みずみずしい。いちど生で食べてみたかったのが叶った。この食べ方がいちばん好きかもしれない。
九月某日
千種創一詩集『イギ』を読む。
先日、文鳥を手に乗せながら、もう肉はいいんじゃないかと思ったのに、帰りのマクドナルドでてりやきチキンバーガーを食べた。圧倒的な空腹ですっかり忘れ、途中で思い出した。
千種さんはこの詩の中で「僕が人を殺さない保証がどこにあるん、」といい、飛べなくされた鳥によろこんで手を差しだしたり、うっかりチキンバーガーを食べた私も保証はどこにもなく、自分への信用もない。矛盾していることだらけで、いろんな自分が混在していて、肉の味を知っている。
九月某日
佐々木中『らんる曳く』を読む。文体に身をまかせ、するすると読んでしまう。ちゃんと読めてなさそうだけど、たのしく読む。長い詩のように。京都が呼んでいる。