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三つの洋菓子店

千早茜『西洋菓子店プティ・フール』を読む。ピュイ・ダムールという、パイ生地の器のなかにたっぷりのカスタードクリームをつめて、表面をキャラメリゼしたフランスの伝統菓子が気になった。いつか食べてみたい。

ふたくちめを口に入れた瞬間、薄暗い店内にふわっと薄ピンクの幕がかかった。

『西洋菓子店プティ・フール』


冬子は今までなにかを食べて、薄ピンクの幕がかかったことはない。ピュイ・ダムールのカスタードクリームの下から真紅の薔薇のジャムがにじみでてきた時、自分はどうなるのだろう。この女性のように流行りに敏感で、自らを飾りたて続ければ見えてくるのだろうか。感じるのもひとつの才能だと思う。冬子は薄ピンクの幕が見てみたかった。

主人公の亜樹はじいちゃんの洋菓子店で働いている。坊主頭や自分のことを菓子職人と呼ぶじいちゃんとある人が、冬子の頭の中で重なり始めた。

昔、熱心に読んだものは忘れないらしい。本棚から昔のクウネルをひきだし、そのページに目を通す。こういうときは誰と分かち合えばいいのだろう。物語のなかのじいちゃんと雑誌のなかの人はかちりと一致した。

若い頃、冬子は電車を乗りつぎその人の店に行った。半円形の窓に沿ったカウンター席で、ケーキやアイスクリームを嬉しそうに食べる人々を見る。ケーキ、パン、ホールのままのタルト、コンポート、ジャム、ボンボン、ヌガー、チョコレート。あのタワーのような菓子はなんだろう。

たしかケーキをふたつと小さい焼き菓子をいくつか買った。レモンのウィークエンドに惹かれたが、大きかったのでまた今度と買わなかった。それから二十年の月日が経った。

その店のひとくちサイズの菓子、プティ・フールを調べていたら、生ケーキのセットは赤い箱に入っていた。物語のなかでは朱色の重箱だ。勝手な答え合わせはどこまでも丸がつく。

あとふたつ、物語のなかで気になるものがあったので書き留めておく。駒込の明治からある店の南蛮焼は黒糖のどら焼きのようなもの。もうひとつは、じいちゃんがクリスマス前に作るブランデー漬けのドライフルーツが入った濃厚なケーキ。こちらは冬子が昔働いていたパン屋が作るケークオフリュイに近いと思った。


嗜好品ってのは、はけ口の対象になりやすい。けれどね、どんな食べ物も口にする人の幸せを願って作られているんです。だから、楽しく味わってやって欲しい。

『西洋菓子店プティ・フール』


モヤモヤするとき、悲しいとき、さびしいとき、甘いものが欲しくなることがある。昔はお酒を飲んだ。父に似て強いと思っていたが、それは思い込みだった。父も決して強くはなかったと今ならわかる。取り返しのつかないことがあった。後味がわるい、思い出したくない飲み方はもうたくさんだった。

いまあの店に行ったら、どんな菓子を選ぶだろう。生ケーキよりケーク・アングレのような地味な焼き菓子が好きだ。色や華やかさは見るだけでいい。母が退院して落ち着いたら、電車を乗りついで行ってみようか。病院から駅のあいだにある、じいちゃんの店みたいな古い洋菓子店が前から気になっていた。読みおえた記念にと理由をつけ、冬子は思いきって店に入った。


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