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下書き発掘、「夏物語」を読んだ話

産む産まない問題を考える日々の中で、以前読んだある小説のことをふと思い出した。

川上未映子さんの「夏物語」。

読了した当時いろいろと思うことがあったはずで、それはnoteに綴っていたような…?と過去記事を遡ってみたけど見つけられなかった。

そんなはずは…と探してみたらスマホのメモに書きなぐりのような文をみつけた。
読みにくいけどそのまま載せちゃう。


女であるということ
子どもを産み育てるということ

今まで生きてきた中で、ずっとしっくりこなくて重苦しかった。

この本を読んだら何かヒントがあるかもしれないと思った。

なんで子供を産むことが普通なのか?
普通って何

なんでそんなにまでして子供を産みたいと思うのか?

産まなければいけないという刷り込み

選ばれる対象、ものとして扱われる
なんで女ばっかり辛い思いをしなければいけないのか

生きるのって、総合的に見てしんどいことばっかりじゃないですか?
そんなところに 眠っている命を起こして放り投げること

産むことは壮大な 掛け だ。

多様化
選択
間違いは無い
理解はできなくても認める
自分の意思を持つこと

この物語の中にはさまざまな考えを持ったさまざまな人たちがいた。その人物一人ひとりが順番に(ときには順番を無視して)私の前に現れて疑問を投げつけてくる。
読んでいて頭の中をぐちゃぐちゃに引っ掻き回されているような気持ちになってかなりしんどかった。

結果、
まだわからないし、決断もできない
余計にわからなくなってしまった

夏子は結局ああいう決断をしたけど(作者の言うところの 一番難しい選択)、そのまま逢沢と結婚したら良いじゃん!てかそれが一番普通じゃない?(単純かつ深く考えようとしない性格が表されている考え方だな我ながらw)
って思ってふと考えた。

普通って何??

一番理解できない結末にしたのはきっと、私たちが勝手に 普通 としていること について問題提起をしているのではないかな。
答えのない「普通」がどれだけ無責任で、自分で考えるということを放棄しているという現実を今一度よく考え直すこと。そして多数決から漏れた「普通じゃない」に目を向けるということ。
人と違って当たり前。
あなたはそういう決断をしたよね、私はこう思うよ、っていうのは悪いことじゃない。というか、それをするのは必要なこと。
全ての人が自分で考えて、自分の気持ちに自信を持てるように、色んな人がそれぞれに生きやすい世の中にしていきたい。

どうやら読んだのは5年前。
今よりも産む産まない問題が他人事だった当時。5年の時が経ってもう「産むことはないだろう」と結論付けつつある現在の私。
5年の間に、わたしの周りではたくさんの新しい命が生まれた。そのたびにわたしは自問自答を繰り返して、出所不明のチクチクとした細い針を心に刺してきた。

でもやっぱり、基本的な考え方は変わってないな。

自分の変わらなさを情けなくも感じると同時に少し安心した。
ブレてないなって。
というか、この本を読んだことで今の自分の考え方の土台ができたのかもしれない。

今また読んだら、もっと解像度の高い感想を持つだろう。
本は引っ越しの時に手放してしまったけど、また読んでみたいと思った。

そんなことを考えていた最近。
会社の忘年会で後輩が「私早く結婚したいし早く子供が欲しいんです~!」と少しの淀みもなく楽しそうに話すのを見てただただ眩しいと感じた。

「結婚する」ための相手探し、見たこともない存在しない子供を産みたいと思うこと。わたしはそのどちらの考えにも全く共感はできなくて、シンプルに「すげぇな~」としか思わなかったけど、多分逆も然りなんだろう。
「そんなにマイナスなことばっかり考えてすげぇな~」的な。

わたしはわたし、あなたはあなた。それが普通になっていくといいね。


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