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Love Song

瀬を早み岩にせかるる滝川の
われても末に逢はむとぞ思ふ
崇徳院(77番)『詞花集』恋・228

こちらのnoteでは俳句や短歌、狂歌などあらゆる古典、国文学に精通されているツワモノが数多いらっしゃるので、そんな御方々にとっては耳タコ、ポピュラー過ぎて何を今さら感の失笑を買ってしまいそうだがザックリお浚いしますれば、離れ離れになった愛しいひとを想う激しい I miss youソングだ。「せかるる滝川」「岩」といった強い語句は相手への想いの深さもさることながら詠み人、崇徳院自身の気性の激しさも表れているとかいないとか。この空前の大ヒット曲の句碑は京都の白峯神宮に、そして崇徳院の寵愛を受けた阿波内侍は出家後、大原の寂光院に入寺している。兵庫・尼崎には氏ゆかりの地として「崇徳院」というそのままの地名が残っているそうだ。崇徳院が目を瞑った1164年からトコロ変わり時を経て、ロマンチックな恋の唄は江戸の若者たちをトキメかせていた。実に600年後のフォークリバイバル、一体何周したのかムーブメントの壮大さに驚く。

お互いに強烈な一目惚れをしたのに相手がどこの誰だかわからないまま別れてしまい重度の恋煩いに苦しむ一組のお若い男女。まわりの大人たちがその相手探しに翻弄される滑稽噺、古典落語の名作「崇徳院」だ。ムスメさん探しの唯一の手がかりは、かの「瀬を早み〜」のウタだけ。甚だしいムチャブリだ。その二人が運命的に出会ってしまった場所が上野・清水観音堂。

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清水観音堂へお参りに来ていた若旦那と、どこぞのご大家のお嬢様。境内脇の茶屋でひと休みしているまさにそのとき、目と目が合った途端に吸い込まれるように見つめ合い秒殺で恋に落ちる二人。

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お互いに何も言えないままお嬢様はお供の女中たちと帰路へ立つ。と、そのとき茶袱紗を落としてしまったが気づかぬまま歩いていくお嬢様。すかさず「落としましたよ!」と届ける若旦那。お嬢様、顔を真っ赤に蚊の鳴くような声でお礼を言ったかと思うと紙と筆を取り出して、件の崇徳院のおウタ「瀬を早み岩にせかるる滝川の」までの半分「上の句」を書き、決死の覚悟とばかりに若旦那へ差し出すと、名残惜しむ間もなく去って行く。恋のウタを渡された若旦那も帰宅後は何も手がつかず恋患いの具合は酷くなるばかり。そんなわけで江戸中の「このウタのファンの女のコ」を捜索するという雲を掴むような無理難題を任命された八五郎。毎日足を棒のようにして探し回りヘトヘトだ。

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ウタの半分ばかり渡すなんてシミッタレたことしてねぇで、名前や住所を書いとけってんだ、最近の若い人のするこたぁわかんねぇな、なんてボヤく八っつぁん。お察しします。けれどコントロール不可能になった、どうしようもない気持ちをきっとハードなラブソングに乗せるしか術がなかったのだろう。単に「スキです!」とひとことで収めきれないほどの溢れんばかりの狂おしい想い。

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恋する気持ちを「大好きだ!」「会いたい!」とダイレクトに放つ強烈な一矢も急所に突き刺されば手っとり早く何よりわかりやすい、八っつぁんの手間も省けるってもんだ。けれど、まどろっこしくとも、ゆっくりと穏やかに育む当人同士だけが掬い取ることのできる密やかな交歓の、なんと風流なことか。恋する江戸町人たちも想いを寄せるあのコへの告白の手段は専ら自作の和歌や小粋なポエム、流行りの都々逸なんかにその想いを乗せた「コイブミ」だ。もちろん紙に筆だけでなく三味線で小唄をやるなんていう弾き語りも多くの女子のハートを掴んだという。どの時代でもミュージシャン人気は根強い。

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清水観音堂では広重名所江戸百景「上野山内月のまつ」と見紛う光景を目にすることができる。もちろん本物の月の松は明治初期の台風被害で失くなり、こちらは江戸風景を再現しようと復元されたものだ。

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神社仏閣が最たるデートスポットであった時代に想いを馳せて、恋の機微にちょいとばかり疎かった八っつぁんに、ここはひとつ現代のラブソングを届けてやろうじゃないかと数千曲ある心のプレイリストを巡らせるものの、やっぱりラブソングといって即座に迷いなく思い浮かぶのはThe Damned の「 Love Song」なんだよなぁ。風流人への道は程遠い。




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