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働くということいわないこと①
働くって大変ですよね。
何を今更なことを。ですけどね。
特に私は頭があまりよろしくないので、人のやっていることを見てハッとすることが多いのですよ💦
そんなやり方があったんだ!って。
それでも、指導には入っていなかった、先輩たち独自の仕事のやり方を真似していったら、いつの間にか仕事が楽しくなってくるので不思議ですよね。
実はそんなわたしが最も苦労するのは、いつだって人間関係なんです💦
最近、この2、3年ほどでしょうか。
職場でモヤモヤすることが多くて、意識していないと、そのことばかりを考えそうになります。
しばらくは気持ちを整えるためにも、飽きるまでお仕事のお話をしてみようかなぁ。と思いまして。
うん。もちろん、私が飽きるまででございます。
どうぞお付き合いくださいませね。
私の初めてのお仕事は地元の玩具屋さんでした。
私が住んでた町は凄く田舎だったし、昔、石炭の運搬で凄く栄えたんですが、その後のエネルギー革命で凄く廃れてしまったんです。
勿論、わたしが生まれたのはエネルギー革命よりもずっと後ですからね!
人もどんどん減っているところだったかな。
空き家も増えてきていました。
子供の頃は学年があがるたびに、学年数が減っていってましたね。
きっとどんどん転出していってたんですよね💦
それでも何故か、自転車で10分くらいの駅の近くに玩具屋さんが3軒もあったんです。
まだ若かったし、気がきかないし、あたふたしているうちに、仕事のほとんどはパートさんがやってくれていました。
パートさんの娘さんと同級生だったりなんかしてたせいか、凄く親切にしてくれてたんです。
私はほぼ裏方で、売れた商品の補充や、プレゼント包装。
今までやった仕事の中で一番楽で(笑)面白かった。
区別が本当に難しいんだけど、私の中では楽しいとはまた別。
楽しむほどにはまだ仕事というものが身についてない感じでした。
実は別の区で、本屋さんに勤めてる従姉妹の話を聞いて、本屋さんに勤めたかったんだけど、人見知りも激しいし、方向音痴でよく道に迷うので、できれば地元で探したかったんです。
坂道の多い、交通手段も限られている田舎だから、本屋は数軒あったものの、どこも店主だけで回していて、従業員募集は出ていなかったのが残念です。
数年後に大きな本屋さんが出来て、そこは連絡したらもう既に決まっていたんですよね😢
本好きって多いですもんね。
たまたま募集の出ていたその玩具屋さんは、4階建だったのかな。
1階にゲーム、玩具屋、インテリア、アクセサリー、文具が並んでいて、ボイラー室?みたいなところが従業員の更衣室を兼ねていました。
2階に倉庫と従業員用トイレ。
3階が店長の住居。
4階がまた倉庫と屋上。
1階が不思議な組み合わせだけれど、どうも店長の娘さんが、いずれインテリアのお店を出したかったみたいで、仕入れてきた商品を玩具屋で販売していました。
いま考えると、私が店長と思っていた人が店長なのかどうかもよく分からないんだけど💦
私が店長だと思っていた人は、皆、「奥さん」と呼んでいました。
私も右に倣えで。
これってもしかして「店長の奥さん」って意味だったのかな?って今では思ったりなんかしたりなんかして。
奥さんの旦那さんはたまにふらーっと現れることはあるけど、仕事はしないし、仕事に口出しもしないんですよね。
ふらりと外に出て行って、数時間すれば戻ってくる。
奥さんのお孫さんも現れる。
小2の男の子で空手を習っているらしく、奥さんの視界の外で空手をしかけてくる。
これが地味に痛い。
あっちは全力だから。
まだ若くて子供のあしらい方をよく分かっていない私は、ダメだよー。痛いよー。と言いながら、後ろから両手を捕まえて、片足を絡ませておさえつけてたけど、これ大丈夫だったのかな。
虐待とかイジメじゃないですよね💦
飽きずに毎日来てたけど。
そして娘さんのことは「若奥さん」って呼んでいました。
家族はその4人。
きっとお店を持ちたいというのもそのへんが関係してるのかな。なんて勝手な憶測。
数年後にはその玩具屋から車で30分くらい、電車で5駅先の駅近くに本当にお店を持って、お店を出て行きました。
といっても、お子さんもいるし、学校もあるからか、住居はそのまま。
海外への買い付けとかは、今までは奥さんがお店を管理していたからなんとかなっていただろうけど、その後はどうしていたのかな。
ここの仕事で一番好きだったのは商品の補充。
文具の倉庫。
インテリアの倉庫。
玩具の倉庫。
全部好き。
時々、お店に出されてない商品が隠れていて、それも面白いのです。
色違いのものがバラバラに残っていたり、残りわずかで新商品との入れ替えがあったりすると、年末年始に福袋に詰めるらしく、そんなふうになってから、こんなのがあったんだー?って気づいたりします。
昔の福袋ってこんな寄せ集めでしたよね。
シンバルを持ったお猿さんや、ポンプで跳ねるカエルなどもありましたが、これは流石に福袋にも詰められませんでしたね。
今は逆にレトログッズとしてインテリアに使えるかもしれないけど。
一度、笑い袋を見つけて、おかしくておかしくてお店の棚にこっそり並べたら、来る人来る人、動かしては笑って、ついには売れて行ってしまったことがありました。
人の笑い声って人を笑わせるんですね。
お客様がいなくて、補充なども終わっていると、埃を払ったり、お客様が動かされた棚を並べ直したりします。
玩具のコーナーで1番好きだったのはリカちゃんのコーナーかな。
色々なお着替えが見れて、使ったりはできないけれどウキウキしてました。
わたしが子供の頃は、今のジェニーちゃんは、バービーちゃんと呼ばれていたんですよね。
私は、リカちゃんではなくバービーちゃんを持っていました。
バービーちゃんは洋服が割とカジュアルな物が多くて好きだったな。
途中で海外からバービーって見るからに外国人なお人形が来てましたね。
その頃、バービーちゃんはジェニーちゃんになったんですけど、自分が購入した時にバービーちゃんだった子のことを、販売されているバービーたちゃんがジェニーちゃんに変わったからといって、いきなり我が家のバービーちゃんのことをジェニーちゃん呼ばわりしてもいいのか。
これはかなり悩みましたね。
なんていうか罪悪感みたいな不思議な気持ち。
1番惹かれた商品はゴジラ!
電動で歩行し、咆哮もあげる。
でも2万円くらいしたのかな。
ちょっと大きな買い物で思い切れなかった。
その少し前にインテリアショップで見つけた50cmくらいのヨーダのフィギュアも、母に気持ち悪いからダメだって叱られたばかりでしたしね。
一応続く予定です。