タイの山奥のお寺で瞑想修行してきた話。そこで得られたもの。
こんにちは、あゆみ(@ayumiueda_)です。
世界中の人から注目を集めている瞑想というものに興味を持ち、お寺で瞑想修行してきました。
タイのチェンマイより北へ車で5時間、ミャンマーとの国境近くの山奥に、世界各国から旅人が集まる瞑想寺ワット・タンムア(Wat Pa Tham Wua)はあります。
私は2泊という短い期間しか滞在できなかったのですが、これがとってもとっても素敵な経験だったので、ちょっと(いやかなり)長くなるけれど、ぜひ共有したいなと思います。
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まずこのお話をする前に、お寺に辿り着いた時の私の心身の状態について触れさせて頂きたく。つきましては下記の通り。
チェンマイからこの瞑想寺へ行く途中、立ち寄ったパーイという町で、うっかり片足がほとんど使えなくなるケガをしてしまいました。
タイでケガしてエマージェンシーに搬送され、海外で人生初手術した話。
予定外の出費も。そして、
うっかり目的地を40キロ通り過ぎてタイの山奥で野宿の覚悟をしていたら、タイの人が泊めてくれた話。
。。。うっかりが多いな私。
まぁそんな訳で、ケガで満身創痍な上に、バスで目的地を豪快に通り過ぎしてしまい予定日に到着できず、いろいろな人にお世話になりながら翌朝に再出発。
そして、ようやくお寺へ辿り着いたわけです。
最近、巨木かのように「図太い」やら「動じない」やら言われる私も、痛い片足を引きずりながら山奥にひとり取り残された時はさすがに「日本帰りたい」と思いました。
さて、当時の私の心情をお察し頂いたところで本題へ。
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(昨日通り過ぎていたらしい)お寺へと続くタイの山の小道。
その先に、噂の瞑想寺はあります。
着いてみると、驚きの光景。
小道を進んで入っていった奥の開けた場所は、山に囲まれ、川が流れていて橋が架かっていて、かわいいコテージが並んでいて、秘境の楽園かのような場所。
壮大な自然に囲まれ、設備もちょっとしたリゾートのように綺麗で、ここが修行志願者を無料で受け入れていて寄付で成り立っている施設とは、とても思えません。
そう、ここは滞在するための料金は設定されていないのです。(最後に気持ちの分寄付を置いていくものですが)
お寺に着いてまず最初に出会ったのは、このお寺で一番地位の高い住職さん。
会った瞬間に温かさが伝わってくるような、こちらも自然とつられて笑顔になるような、とってもとっても素敵なお方でした。
足の悪い私を見て、快適に過ごせるよう、素敵な1人部屋のコテージをあてがってくださいました。
それから、ボランティアスタッフさんからオリエンテーションを受けます。
偶然日本人の女性の方がボランティアスタッフをされていたタイミングだったため、その方から日本語で説明を受けました。
スケジュールはこんな感じ。
お寺の朝は早い。
朝6時には大広間へ集まり、托鉢に参加することになっています。
夜8時には解散。
疲れ果ていたけれど、その環境の美しさにただ癒されて、疲れも忘れてわくわくしながら注意事項などのお話を聞き、登録を済ませました。
この日本人のボランティアスタッフさんは、以前このお寺を修行のため訪れて以来ここが気に入り、毎年4ヶ月ほどこの時期にいらっしゃり、このようにお手伝いをされているそう。
毎日数十名の修行志願者が訪れるので、ボランティアスタッフさんは大忙しです。
周りを見渡すと、側の本棚には仏教関連の本がずらりと並んでいて、この本は自由に持ち出していいとのこと。
下には、くつろぐ犬のプイちゃん(タイ語でふわふわという意味)。
男性の人が好きなようで、私にはあまり寄り付いてくれませんでしたが、たまに目の前を横切るだけでなんだか癒し。
日本人のボランティアスタッフさんが日本から来る度に寄付で持ち寄られているという日本語の本もたくさんあります。
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普通は瞑想修行というと、10日間人と話せなせれば目も合わせてはいけない、本も読めない、紙に文字も書けないし、もちろんスマホも没収という感じ。
しかし、ここはルールがかなり緩いです。
でも本格的に人と話さず常に瞑想に打ち込みたいという人は、「話しかけないでください」と書かれたバッジを借りてつけています。(つけている人を毎日2〜3人ほど見かけました)
大体の瞑想修行ができるお寺では基本的に期間は10日間くらいと決まっていて、途中で抜けることは許されないことが多いですが、ここは最短2泊から、最長で10泊まで滞在することができます。
瞑想の時間も長くないので、かなり初心者向きなお寺だと思います。
ちなみに、タイのSIMカードさえ買って行っていれば普通に電話もできます。(ただ、そういうのが嫌な人もいるので、通話は自分の部屋の中でのみという事になっている)
私はネットは使えない状態で行きましたが、寝る前にその日あったことをメモを残すため、あと写真を撮るため(参加者に迷惑をかけなければ、写真を撮るのも構わないとのこと)にスマホを使いました。
ご飯は、朝食と昼食を頂けますが(肉は出ません)、夕食はありません。
そして参加のために支払う料金はなく、最後に自分の気持ちの分をこっそり寄付して帰るシステム。
施設の維持費などは寄付により賄われており、置いてあるありとあらゆる物は過去の訪問者から寄付された物です。
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オリエンテーションの後は部屋へ案内して頂き、またびっくり。
こんな素敵な森のコテージに住めるなんて。。。
何十人と同部屋の狭ーい男女混合ドミトリーでも平気な私にとっては、立派すぎました。
無償だし、修行で住まわせてもらう私はどんな場所でもいいという気持ちでいたのですが、質素だけれど十分すぎるくらいに快適なお部屋、そしてシャワー室も前にここに住んでいた方の掃除が行き届いていて綺麗です。
しかも昨日は水シャワー、しかもシャワーでなく桶くみ方式だったのに(それで十分だったけれど)、ここに来てまさかの温水シャワー。
マットレスを敷いて荷物を少し整理し、借りた白い服に着替えた後は、先ほどオリエンテーションをした建物の広間へ。
ちょうどお昼前の時間で、お昼の托鉢前の住職さんのお話が始まるため、広間には人数分の座布団が並べられ、少しずつ白い服を来た修行者たちが集まって来ます。
座る場所は、前半分は男性で、後ろ半分は女性と決まっています。全員で70名ほど。
先ほど一番初めにお会いした一番偉い住職さんが、前でニコニコしながら訛りの強い英語、でもゆっくりとして聞き取りやすい声でありがたいお話を聞かせてくださいます。
この方が本当に優しいオーラを纏った方で、お話の内容や話し方からもそれが溢れ出ていて、私はここまで苦労してようやく辿り着いた経緯もあり、一番後ろの隅っこの座布団の上で正座してお話を聞きながら、何だか目が潤んできました。
後からこのお寺に長くいるボランティアスタッフさんから聞いたところによると、お坊さんにも、瞑想の上手なお坊さん、お経を読むのが上手なお坊さん、お話の上手なお坊さんと色々な方がいるのですが、この住職さんは特に徳の高い方で、外国人を積極的に受け入れて仏教の教えを快適な環境で学んでもらいたいという思いがあるそうで、そのお人柄で人が集まり、この素敵な施設が出来上がっているのだそうです。
その後は、全員で並んでお坊さん達にお昼ご飯をお渡しする托鉢。
高くなっているステージには先ほどの住職さんが始終優しい笑顔を絶やさずに、並んで順番にご飯をお渡しするみんなの相手をされています。
足の悪い私も最後に並んで見よう見まねで自分の番を済ませ、一番後ろに戻って、再び始まる住職さんのありがたいお話を聞いていました。
ところが、なぜかお話を聞いていたら涙が止まらなくなってしまい。。。
一番遠い席で涙を堪え切れずにいる私に気付いてか、スマーイルスマーイルとおっしゃったり、お話の中で「ありがとう」と日本語の言葉を話してくださって、私はさらに涙が溢れてくるのでした。
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そしてお昼の時間。
頂いたご飯は、健康的で、文句なくとても美味しかったです。
肉のように見えるのは肉ではありません。
ちなみにこちらは翌日の朝食。
パパイヤが甘くてとっても美味しい。
こちらは翌日の昼食。
カレーではなく、かぼちゃで出来た優しい味。
ちなみに、お昼の前の時間になると調理の係の方々が外のコテージの奥にある調理場で食事を作ってくださっているのですが、ボランティアスタッフの日本人の方は、初めに参加者としてお寺に来た時は、毎日ここで調理を手伝いながらタイ語を学んだとおっしゃっていました(その方は今はタイ語がペラペラ)。
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お昼の後は2時間くらい自由な時間があるので、自由に飲める甘いコーヒーを飲みながら、スタッフさんにおすすめしてもらった本を読み始めました。
『反応しない練習/草薙龍瞬さん著』
これが本当に分かりやすくて、仏教と絡めた人生の教本というか、自己啓発本の感覚で読めます。
これを読んでいたため、後のお坊さんの仏教や禅のお話も頭に入りやすくなりました。
ここは外国人の仏教の考えを知ろうとしている人にも積極的に教えているお寺で、お坊さん達もちゃんと全て英語でお話ししてくださるので、修行してる人の大半が欧米人です。
最近テレビで取り上げられてから、タイ人も増えてきているそう。
私がいた時は欧米人6割くらい、タイ人4割くらいで、約70人くらいの人が修行に訪れていました。
参加者の人たちは、みんな足の不自由な私が階段を登ろうとしている時など、スッと隣に来て助けてくれる優しい人ばかりでした。
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お昼休みの後は、毎日午前と午後にある瞑想の時間。
やはり、前半分には男性、後ろ半分には女性が座ります。
鐘がなる頃に広間に集まり、お坊さんが瞑想のコツだとか、生き安くなる考え方とか、ありがたい教えのお話をタイ語でお話しされ、次はそれを英語の流暢なお坊さんが英語に訳してお話してくださいます。
その後、まずは歩行瞑想を30分。
歩行瞑想とは有名な瞑想法のひとつで、その名の通り歩きながら行う瞑想です。
住職さん達に続いて一列になり、裸足でゆーーっくりと歩きます。
大自然の中で、自分の動作の一つ一つ、そして聞こえて来る虫の声や、肌を撫でる風、そして裸足の足の裏で感じる地を意識しながら。
頭に浮かんでくる邪念は聞き流し、ゆっくりと深く呼吸し、今に集中します。
足の悪い私は、歩行瞑想の時は傘を1本杖代わりにしながら、列の最後尾について歩いていました。
お寺に着いてボランティアスタッフさんとお話ししていた時、これを使って、とお寺の傘を貸して頂いた物なのですが、杖(傘)があっても流石に歩行瞑想は少ししんどく、何とか一周してきた頃にはかなり無理をしていました。
その時、気が付くとあの住職さんが目の前に現れて、T字型をした柄の傘を2本、渡してくださいました。
それから、若干息の切れていた私に、ゆっくりと大きく深呼吸するんだよ、と教えてくださいました。
貸して頂いたT字の柄の傘はとっても使いやすく、私は歩行瞑想を最後までやり遂げることが出来たのでした。
しかし、その歩行瞑想を行なっていた場所は、貸し傘のある大広間からは少し離れた場所にあります。
という事は、私が歩行瞑想に参加しているのを見て、わざわざ貸し傘のある大広間まで取りに行ってくださったのだろうか。。
このありがたい2本の傘のお陰で、2日目まで何とか歩き回り過ごすことが出来たのでした。
その後は広間に戻り、座禅を30分。
お寺に行く前、チェンマイのスパスクールで4週間の間ほぼ毎朝10分間の瞑想の時間があったのですが、私にはそれが短くて中途半端に感じていたので、初めて本格的に瞑想が出来てよかったです。
スパスクールでは自己流の瞑想をしていたけれど、今回瞑想の前のお坊さんのお話で言われた通り、体の一部一部に順番に意識を集中させて移動させていくやり方でやってみたら、なかなか感覚を掴むのが難しく、初めはあまり上手くいきませんでした。
瞑想の時間が終わった後の休み時間、お坊さんを捕まえてだれかが質問を始めると、3分の1くらいの参加者がその周りに集まり、熱心にお坊さんのお話を聞いていました。
このお話がまた、とても勉強になりました。
お寺で修行している人は世界中から来ている旅人が多いのですが、本気で仏教を知りたいと思いここにいる人達もとても多かったです。
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瞑想の後は1時間くらい休憩だったので、またコーヒーを飲みながら読書。
さっき感覚が分からず上手くいかなかった、体の一部一部に意識を持っていく瞑想について、ちょうど読んでいた本に書かれていて、それにヒントを得て、その後の夕方の瞑想ではだいぶ感覚を掴めました。予習大事。
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その後は掃除の時間。
”掃除をする”ということ以外に特に決まっている事はなく、各自、自分でやる事を見つけて掃除をします。
掃除以外だと唯一、「庭に落ちているマンゴーを拾って、その実を小さく切って庭の川の魚の餌を作る」という作業もありましたが、バックパッカー旅行の延長組の欧米人達がその一帯にお喋りしながらたむろしていたので、それは彼らに任せました。
私は、ようやく辿り着いたお寺で一参加者としてもったいないくらいの待遇をして頂き、しかしいくら感謝しても持ち金も少なく心ばかりの寄付を置いていくくらいしか出来ないので、ここで学ばせてもらえる事は全てしっかり吸収しよう、このお寺のためにできる事はなんでもしよう、という気持ちでいました。
ここに来る前の苦労があった分、ここで頂く全てがありがた過ぎて、この時の私の心は感謝の塊。
なので、掃除の時間はその思いを発散し、はりきって傘を杖に歩き回り、誰よりも多く丁寧に掃除して回りました。
すると、あの1番位の高い住職さんが気付いたらまた近くにいらっしゃって、またいつものようににっこりして「(お寺に)長くいなさい(ゆっくりしていきなさい)」と言ってくださいました。
なんだか、いつでもあの方が見てくださってるような不思議な感じがしました。
ちなみに私は旅程をそれ以上延ばせず2泊のみの滞在だったけれど、2、3日目はちょうどその住職さんは外出されていらっしゃない日で、お会い出来なくてとても残念でした。
またお会いしに行きたい。
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掃除の後は、再び休憩の時間で、ミロ(英語の発音だとマイロ)を飲みながら休みました。
掃除の時に最後同じところを掃除していてお話しした女の子はドイツ人で、4ヶ月バックパッカー旅していて日本も訪れたとのこと。
また別の女の子と話したら、彼女もドイツ人で、日本に行きたくてワーホリを検討中らしい。
ドイツにワーホリに行く予定の日本人と日本にワーホリに行く予定のドイツ人、息が合って話も弾みました。
なんだか続けてドイツ人を引き寄せてるのは、私がこの時この後はドイツへ行く予定だったから?かも。
瞑想修行中は、和気藹々とみんなお喋りしている雰囲気でなく、穏やかに静かに、各々自分と向き合いながら過ごしているけれど、その中で私の周りは少し例外で、たくさんの人が「足どうしたの?」「大丈夫?」と話しかけてくれました。
そのケガのお陰で、人よりもたくさんの人と言葉を交わすことが出来たのです。
敷地はとても広く、休憩している食堂からも、よくわからないフルーツがいろいろと実っているのが見えます。
想像していたよりもかなり素敵な開放的な環境に、ここで静かに過ごすだけで心が洗われる感じがします。
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一日の最後、夕方6時からは、夕方のお祈りと瞑想。
まずタイ語と英語でお坊さんのありがたいお話を聞き、その後はお祈りです。
お祈りは、お寺のオリジナルのテキストを見ながら、お坊さん達と一緒に読み上げていきます。
初めに原文のタイ語で、続けて訳してある英語もみんなで読んでいきます。
それが思ってたよりも結構長くて、無理して正座していたら足がかなりつらかったです。
タイ語かと思ったけれど、チェンマイのスパスクールの朝のサンスクリット語のお祈りで聞き馴染みのある言葉も出てきたので、サンスクリット語なのかなとも思いました。
そして、1日の最後の瞑想。
1日の最後で環境に慣れてきたし、読んでいた本のお陰もあり結構いい感じに気持ちよく瞑想が出来ました。
スパスクールで10分の瞑想をやっていた土台があるお陰で、初日からだいぶ楽に入れたんじゃないかなと思います。
30分の瞑想が終わり、目を開けた時には、もう日が暮れて真っ暗。
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20時に解散。
コテージの部屋に戻って、苦労して片足でシャワーを浴びて足の消毒をし、服の洗濯を済ませます。(シャワー室で服を手洗いしている時、ケンケンで歩いていたら足をつるっと滑らせて背中から転けて、今度は肘を強打した)
そして10時頃、今日のやるべき事が全て終わり、全身の痛みを感じながらベットに横になっていた時、不思議なことに、私は全く疲れを感じていませんでした。
一日中片足で傘を杖代わりに使って移動し、来たばかりの土地で座禅や歩行瞑想、掃除も全て参加して、疲れてるはずなのに、とても安らかな気持ち。
夕飯は出ないけど、意外と空腹も平気。
居心地が良くて、残り一日しかいられないのがすでに寂しい。
修行のせいか、はたまた修行前にめちゃくちゃローカルなお家に泊まった経験からか、部屋にヤモリがいてもこっちが「お邪魔させてもらってます」という感じだし、天井近くをブンブン飛んでいた虫が天井で回ってる扇風機に自ら突っ込んでボトっと下に落ちた時も「生とは儚いものですね…」みたいな悲しい気持ちに。
一日のメモを書き留め、目覚ましを5時半にセットして0時就寝。
のはずでしたが、考えることがたくさんあったからか、少しずつ襲ってきた空腹のせいか、頭が冴えてしまい、なかなか寝付く事が出来ず。
ふと思いついて外に出てみたらやっぱり、木々の向こうに信じられないくらい明るい満点の星空。
あぁ、素敵な日だった。。。と、一日の終わりに改めて思いました。
結局、寝付けたのは2時過ぎでした。
翌朝。5時半に起きて6時からの托鉢に参加するはずが、まさかの寝坊。。。
昨日なかなか寝付けず遅くまで起きていたため、アラームを自分で止めて2度寝してしまったのでした。
托鉢体験、楽しみにしていたのに。私はやはりどんな状況でも睡眠は必要らしい。
托鉢が始まる鐘の鳴る音で目が覚め、大慌てで服を着て外に出ると、私と同じように慌てて大広間に向かっていく人たちが見えたけれど、私の足ではゆっくりとしか進むことが出来ず、大急ぎで到着した時はちょうど終わった時。
しゅんとしながら、みんなと一緒に朝食だけ遠慮気味に少し頂きました。(厳しいお寺だったら、托鉢に参加しなかったら朝食抜き)
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翌日、またなかなか寝付けないながらも何とか余裕をもって起きて朝の托鉢に参加したので、その様子を。
森が青く日が登り切らない内に大広間の横の食堂へ行き、時間まで本を読みながら甘いコーヒーを飲みました。
時間が近くなると準備が始まり、それぞれ参加人数分のお皿に炊いたお米をよそい、それを受け取った人から、大広間の壁沿いにぐるっと並んで座りました。
お坊さん達が最初に通る方に男性が並び、後半の方に女性が並びます。
待っていると鐘が鳴り、しばらくしてお坊さん達が並んで歩いて来られます。
お坊さんが目の前に来た参加者は、お坊さんの持つ壷の中にご飯をスプーンで1杯ずつ入れていきます。
いよいよ私の番になり、見よう見まねで膝立ちになりスプーンでご飯をすくい、頭と同じ高さに持っていって軽く頭を下げ、壷の中にご飯を入れて、また軽く会釈します。
並んで来られて、1人終わったらまた次のお坊さんが続いて来られるので、滞りなくスプーンでちょうどいい量をすくって壷に入れるというのが、結構緊張します。
ちなみに、托鉢の時はお坊さんの目を見てはいけないという決まりがあるのは何かで読んで知っていたので気をつけました。
終わった後、後1スプーン分ご飯がお皿に残ってしまい、終わった後でボランティアスタッフさんにお皿に乗っているご飯を全てなくすべきなのですか?と聞いたところ、そうだけれど、でもお坊さんの食べられる量を気遣って残ってしまったならそれも正しいと思いますよ、と言ってくださいました。
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2日目の午後の瞑想の後、離れの瞑想広間から大広間へ戻っている途中、一日半とってもお世話になった、住職さんに貸して頂いたお寺の傘が、負荷かけすぎで折れかけてしまいました。
困りつつ、これ以上ポッキリいかないよう気をつけながら傘の柄の下の方を持ち何とか大広間へ向かっている時、道で立ち話をしていた白い服を着た参加者の男性が「足どうしたの?」と声をかけてきてくれました。
ドアに引っ掛けてケガしちゃったんだよ〜と、ここに来て何度目か分からない説明をすると、なんと、彼は「松葉杖持ってるから、使いなよ」と、言ってくれたのです。
私がこの3日間、世界で一番欲していた松葉杖を。
ノルウェー人の彼は2時間前に到着したばかりらしく、よく見ると彼も足にケガをしているようでしたが、治りかけで、病院でもらった松葉杖はもう必要なく、部屋に置いてあるということでした。
お言葉に甘えて、ありがたく松葉杖を譲ってもらいました。
これのお陰で、残りのラオスの旅、そして日本に一時帰国している間も、ぐっと楽になりました。
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頂いた物と言えば、このお寺にいらっしゃるお坊さんが歩行瞑想を始めとした仏教についての本を書かれていて、ここに訪問した希望者へ無料でお渡しされています。
このように、お寺でお聞きしたお話が本にまとめられています。
お寺で数ヶ月間ボランティアスタッフをしてるバンコク出身のタイ人の女の子がよく話しかけてきてくれたのですが、一緒に歩いてた時に”瞑想のこういう辺りが上手くいかない”と軽く相談したら、後でコーヒーを飲みながら読書してる時、相談した答えが載ってる本のページを開き、ここ読んで、と持って来てくれました。
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いよいよお寺を離れる朝。
前日にボランティアスタッフさんに頂いた寄付用の白い封筒にタイバーツを入れ、離れの瞑想部屋のポストの中に入れてきました。
そしてボランティアスタッフさんに見送られ、私は温かい気持ちでお寺を去りました。
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このお寺のことを思い出すと、まず浮かんでくるのはお寺の住職さんのお顔なのですが、兎にも角にもこのお方はお話を聞いてるだけで優し〜い気持ちになれる、本当に優しいオーラを持った方でした。
とっても自然の美しい綺麗な場所にある、そして私が一番欲していた松葉杖を譲ってもらった、奇跡のお寺。
今回はもっぱら恵んでもらったり優しくしてもらったり、色んな人にもらってばかりだったから、次に行く時は寄付できる物をたくさん持って行こう、と強く思いました。
もう、瞑想修行の事を思い出しながらnoteに書き記していると、心がほっこりして仕方がない。
この瞑想修行で何を得られたかというと、言葉では到底言い表せない幸福感と、絶大な感謝、慈愛の心ですかね。。。
そして、意外ととてもシンプルで合理的だった仏教の教えに、より興味を持ちました。
初心者向けのお寺なので、瞑想、仏教の考え方に興味のある方は、ぜひぜひ行ってみて、お寺の規律を守りながら、この素敵な体験をしてみて欲しいです。
ではでは。
あゆみ