消費よりも創造していく生き方を。
“消費”することに感じるストレス。
反対に、
“創造”することで得られる癒し・感動。
今は後者に存分に包まれて生きられている。
あぁ、、幸せ♡
今年夏頃までのわたしは、
消費・消耗・浪費していくような生き方だった。
自分の心をすり減らしてまで何かに同調したり
身を削ってまで欲しくないものを得たり
ひどい表現をすると、いつも外へ魂を売ってるような感覚で生きていた。
そうするしかないと思っていたし、違和感を抱きながらも 他のやり方を知らなかったから。
それでも「優しくありたい」とか「汚いことはしたくない」とか、自分の美学だけはしおれないように死守して。
だからこそいつも完全には社会に染まりきれずに逆らって余計に疲弊していたし、逆にそれがあったから脆い自分を救ってあげられていたところも大いにあったと思う。
自分が恐怖や痛みを感じる類いの刃を、ひとに向けることだけはしたくなかった。
それをすると何かが終わる。他人だけじゃなく自分も決定的に傷付けてしまう。
とわかっていたから。
そうやって、消費しながらも守るべきものを守るのにいつもガチガチでギリギリで、しんどい生き方だったなと思う。
でも、やっと。
やっと…そんな苦しみから脱することが出来た。
思えば、コロナで世の中が大きく変わったことがやっぱりキッカケだったのかな。
半強制的に世界が一旦停止を強いられたおかげで、自分自身の心に立ち返って選択し直すチャンスを与えてもらえたと思っている。
わたしはこのまま生きたくない。もうこのまま続けることは出来ないな‥と思った。
すべてを自分の好き嫌いや快不快だけで選び取っていくことの何が悪いのだろう。
むしろ、もっと自分やもしかしたらまわりのことも幸せに包むことが出来るんじゃないかな、と感じられた。
そんな風に生き方を変えるのはすごく壮大なテーマなのだと思っていたけど、実際はとてもシンプルで簡単な変換だった。
ただ自然体であるだけのこと。
自分が不器用なせいでだいぶややこしくしていただけみたい。。笑
それがわかると、
トゲトゲだった世界は 丸く温かく感じられるようになったし、優しさや豊かさは、決して差し出すものではなくて湧き出て巡っていくものだと知った。
そして消費していく人生が創造していく人生に変わった。
今となっては自分を表現することをもう恐れなくていいし、自分にしか出来ない表現が作品となっていく喜びも感じるし、そこから生まれるものや繋がっていくものがまた新たな幸福を生んでいる。
この真理を知るごとに
自分のこれまでの苦悩も癒されていくのを実感して、あぁ、これでよかったんだ。と思えるように最近ようやくなってきた。
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2020年の終わりを前に、こんなふうに感じられているだけでも今年のわたし頑張ったなぁと労ってあげたい気持ちになったので、記しておこうと思った。
いつかまた落ちたときのわたしのためにも。(すぐ落ちるからね)
それと、現在進行形で自分の生き方に向き合っている誰かの心に響きますように。
少しでも、大丈夫!って思える心強さになりますように。