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適応障害の劣等社員からトライアスロン完走、そして起業へ:自由を手に入れたストーリー
※この記事は「思い立って3ヶ月でトライアスロンを完走した話」シリーズの最終話です。
シリーズ通して読んでいただくと嬉しいです!
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生い立ち
僕は10代の頃、オートバイに出会った。
そしてガソリンスタンドやピザ宅配のアルバイトをしている中で、この世の中には3種類の人間がいることに、なんとなく気付いた。
・従業員(雇われ)
・店長(エライ人)
・オーナー(店長をこき使う、たまーに来る一番エライ人)
その時思ったのは、「将来絶対にあのオーナーみたいな立場になりたい」だった。そして口癖は、「サラリーマンには絶対にならない」だった。
乗り物が好きで、特にオートバイが大好きで、バイクレーサーになる道を選んだ。
バイクレーサー時代
10代後半〜20代はバイクレーサーとして活動していた。
それだけでは食べていけないので、様々なアルバイトを多いときには3つ掛け持ちしたり、朝から翌朝までバイトの日もあったりしながらレース活動をしていた。
どうやら肉体労働は好きな方らしい。
20代後半はサーキットのサポートを受け、フリーランスとしてサーキットの仕事をしながらレースをすることができていた。
しかしある日の練習走行で激しく転倒して頸髄損傷の大怪我を負ってしまった。
首の手術をしたが、両手両腕に麻痺の後遺症が残った。
人生1度目の絶望を味わった。
その後も惰性でレースを続け、優勝した事もあったが、全然楽しくない。
自分の身体がわかっていたのだ。
「もうプロとしてやっていくのは無理だ」と。
人生初の就職活動する事を決心した。
「サラリーマンには絶対にならない」という言葉を発してから15年後の事だった。
これまでのあらすじ
ここからは、このシリーズに書き綴ったことのあらすじとなる。
工場に就職し、あっという間に昇進し、いろんな仕事を任され、100時間越えの残業も当たり前のような日々を送っていた。
それでも新たな仕事をどんどん任される(任されざるを得ない状況でもあった)ので、キャパオーバーになってしまい適応障害の診断を受け8ヶ月間休職。
その時期に出会った恩師の存在がカルチャーショックを与え、そして恩師の言葉が僕の人生を変えてくれた。
恩師は(MBA取得した企業再生家であり、大企業の経営を歴任してきた大成功者)仕事も遊びも本気な人。
そんな恩師がトライアスロンをやっていた事でカナヅチの僕も始める事になっていた。
そして誘われて3ヶ月でオリンピックディスタンス(スイム1.5km、バイク40km、ラン10km)を完走した。
その後、会社を退職、起業。
その結果、得られたことは
仲間、健康、時間、知性、お金、感謝等々、
普通に生きていたら得られない、様々なことをもたらしてくれた。
恩師は人生で最も大切な事に気づかせてくれた。
人生で最も大切な事
元々僕はどんな人生を送りたかったんだっけ?
会社や上司に良いように使われて、自分の体を酷使して、目先の給料少しでも多く欲しいからと、1日の大半を会社で過ごし、休日は疲れ切っていて家でゴロゴロすることの繰り返しで定年退職を迎える人生望んでたっけ?
1つの夢を挫折して、忘れかけていたけど、なんでサラリーマンやってるの?
いや、でも結婚したら安定収入得るために就職するのが普通だし…
普通って、周りの人間に左右されてるよね。
自分自身はどうなりたいんだ!
どうありたいんだよ!
と、自問自答を繰り返し、退職を決めた。
人生で最も大切なことは、自分を大切にすること。
家族を大切にすること、仲間を大切にすることも大事だけど、まずは自分を大事にできなきゃ周りを大事にできないよ。
会社に人生の時間の大半を捧げて、後悔しないの?
健康な身体で自由に生きて、人生の最期に後悔しないように。
と教えてくれた。
サラリーマンが普通に聞いたら、「お金持ちは話の次元が違うなぁ」で終わっちゃうけど、師匠は企業再生家。
潰れかけ企業のトップを再生することが、企業を立て直すという経験をもとに今は個人再生家としても実績を残している。
どうすればそんな生き方ができるのかを順を追って解説してくれる。
「人生は自分で選び取れる」と知った瞬間、胸の中で何かが弾けた。
自分の選択で生きているつもりだった。
実は周りに流されている部分も多かった。
現に、10代の頃の夢を忘れていたのだから。
挑戦の結果と自由な人生
トライアスロンに誘われた時は、自分なんかカナヅチだし3ヶ月後の大会に間に合う訳がないと思いながらも、なんとかギリギリでゴールできた。
その後2年間で日本全国8回もの大会に出場し、北海道のIRONMAN(スイム3.8km、バイク180km、ラン42.2km)を完走した。
僕のゴールシーンの動画です👇
練習時間も3種目分費やし、大会や強化合宿の遠征もあるので、かなりの時間、日数をトライアスロンに充てていたが、不思議と仕事に支障はなかった。
会社員として日々工場に篭っている時間と比べたら、日本全国いろんなところを走り、新たな仲間と出会い、圧倒的に充実した時間と経験、ビジネスアイデアまで得ることができた。
そして割と本気で遊んで練習していたため、かなり体力がつき、困難な仕事でも疲れなくなった事は大きい。
そして会社員のままだったらIRONMAN完走は出来なかったかもしれない。師匠がトライアスロンやる意味がなんとなくわかった気がした。
今は10代の頃の、もう一つの夢を思い出し、カフェ開業に向けて動いている。
しかし、店のメニュー作りで試作したチーズケーキが予想外の美味しさで、今は芸能人御用達にまでになってしまったので、嬉しい誤算ではあるが、ケーキ製造に重点を置いている。
自分のペースで好きな時間に働けて、好きなときに運動できて、好きなときに旅行に行ける。こんなストレスフリーな人生を実現できたのが、僕のトライアスロン挑戦の結果だった。
後悔しない人生を!
あとがき
この記事を執筆し始めたのは、恩師と出会ってから僕自身の人生において、とてつもない変化をもたらした出来事(トライアスロン参戦、起業、脱サラリーマン、芸能人に大人気のチーズケーキを開発してしまう)であったため、とにかく記録として残しておきたかったからだけでした。
しかし書いているうちに、段々と気持ちが変化してきました。
もしかして、仕事の重圧で毎日辛い人は他にもいるんじゃないか?
10代の頃の夢を、周囲に流されて忘れている人は他にもいるんじゃないか?
自分の可能性を低く判断している人は他にもいるんじゃないか?
僕はたまたま妻が師匠を知っていたから、紹介してくれたから人生激変(本来の自分を取り戻せた)できたけど(最初はイヤイヤ会いに行った)
その、会いに行く「最初の一歩」を踏み出したことが人生激変の一番のきっかけになりました。
師匠は半年に一度、僕のような個人向けにセミナーを開催し、1,000人以上の人生に変化をもたらしています。もし、今の生活を変えたいと思っている人がこれを読んでいるなら、このセミナーがきっと力になってくれるはずです。
僕と同じような想いで生きている人の人生が変わるキッカケになれるなら、喜んでお繋ぎしようと思います。
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8ヶ月間の休職を経て、“自由に生きる”ことの大切さを教えてくれたのは、この恩師との出会いでした。
師匠の言うような生き方、最初は“そんなこと自分には無理”と思っていました。でも今言えることは、最初の一歩を踏み出したことで、すべてが変わったと言うこと。
毎日をただ生きるだけで精一杯。自分の可能性を信じることすらできませんでした。でも、恩師から学んだ『人生は選べる』という考え方が、私の心を動かしたのです。
本当に一つ一つ丁寧に教えてくれるので、このnoteを読んでくださった方も、同じように人生を変えるきっかけを掴めると思います。
もしも今の人生で悩んでいる人、僕のように夢を忘れて一歩踏み出せないけど、後悔しない人生を送りたい人がいたら、背中押します、応援します!
僕の個人SNSのリンクを貼っているので気軽にフォロー&メッセージ&なんでも質問してください😊
僕の「思い立って3ヶ月でトライアスロンを完走した話」シリーズを読んでくださり、ありがとうございました!
この記事は「思い立って3ヶ月でトライアスロンを完走した話」シリーズの3話目です。
1話目から続けて読んでいただくと嬉しいです!