軌道
(続)大人になりたくない。
ー サトミの私
主治医の心配をよそに運動ができるまで回復した私は、テニスのために地元から少し離れた中学校に入学した。
御坊ちゃま、お嬢様学校、とまではいかなくとも大学附属の私立中学なので裕福な人たちが多かった。パパが社長だとか、ママが欲しいもの何でも買ってくれるだとか、毎年海外旅行に行ってるだとか、車が2台も3台もあるだとか、家が一軒家だとか。
相当可愛がられて何不自由なく生活してきたんだろうな、と思うくらいワガママな人たちが多かった。知らんけど。
生きているのが当たり前で自分の欲のまま言葉にできて行動もできる。私とは正反対の世界を見た。
明日が来るのが当たり前じゃない、いつ死ぬかわからない、って身をもって実感した私にとってはこのギャップすら苦しかった。中学1年生。
生憎、人の顔色を伺うのが得意だったので、とりあえず当たり障りのない真面目キャラで行くことにした。
人に優しくて勉強もしていれば先生からの評価も貰えるだろうし、荒波を立てずに3年間過ごす計画をした。
勉強が嫌いじゃなかったせいで、それなりに点数はとれた。
これが後々自分を苦しめる事になるんだけど。
私が通っていた学校は、定期試験後に総合と各教科ごとのトップ10の生徒の名前と点数が発表される学校で。初めての試験で私の名前が載った。
初めての試験だったし、試験期間と試合が被っていたから平均取れたらラッキー!くらいに思っていた私は、帰って母親に自慢した。
「見て!5位だった!93点も取れたよ!」
褒めてもらえるもんだと思って。
「何で1位じゃないの?何で100点じゃないの?」
褒めてはくれなかった。彼女は笑顔すら浮かべなかった。
父親にも報告した。
「サトミちゃんは勉強できるもんね〜。ちゃんと勉強すれば1位取れるんじゃない?」
この人たちは1位じゃなきゃ、100点じゃなきゃ満足してくれないんだ。
満足させなくちゃ。彼らの望む娘でいなければ。
その義務感だけのために勉強はやった。先生からも期待はされた。
勉強で一番を取れない事は全く悔しくなかった。褒めてもらえない事が悔しかった。頑張ったとて、結果しか評価されない事が。
とある試験、とある教科で100点を取った。もちろん1位。結果を見せた。今度こそ褒めてもらえる。だって私、頑張ったもん。
「何で他の教科は100点じゃないの?何を間違えたの?」
ダメだった。
また満足してもらえなかった。
完璧であることが絶対条件で、それが当たり前なんだ。
私は完璧じゃない。私はダメな娘なんだ。もっと期待に応えなきゃ。勉強もテニスも。もっと頑張らなくちゃ。良い娘であるために。自慢の娘にならなければ。もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。
弱音なんて吐いちゃいけない。
後遺症の体調不良すら許されない。中途障害は理解なんてされない。
不調を訴えようもんなら
「気持ちの問題だ。」
「あんたが弱いからそう思うんだ。」
「いつまでも悲劇のヒロインぶってんな。」
そう言われてきたから、もう言わない事にした。
一番に理解して欲しい人たちだったけど諦めた。
サトミを演じ切ろう、と。
勉強が最優先で本気で勉強をしている人たち相手に、テニスを第一にしている私が勉強で勝てる訳がない。当然。それでもトップ10の名前にだけは、とそれなりに頑張ってた。
これ以上悪い点数を取れば、きっと私の居場所は無い。
12歳にとって家族なんて縋るしかないから。
ー サトミと私
中学3年生の時、色々な面で私のメンタルは壊れた。
自分で言うのもあれだけど、部活内では一番の実力があった。顧問より実力も知識もあった。
「サトミが実力でみんなを引っ張っていけ。」そう言われて部長をやっていた。
部活に出なければ試合にも出さない、それを真に受けて部活に出ていた。
まとまるハズがない。目指すところが違うんだもん。
関東全国を目指して死ぬ気でやる私と、「絶対全国行こうね!」って口だけは達者で努力が嫌いで仲良くキャピキャピやりたいみんな。
「本気で行きたいなら本気でやらないと勝てないよ」って言い続けたし本気で努力し続けた。
その結果、距離しか生まれなかった。
周りとの差がありすぎた。テニスのために入った学校なのに。
部活に出なくても良い、自分のスクールで練習して、試合に出て結果を残せば良い、その条件で入った学校なのに。私の代から顧問が変わって条件も全部変わった。
もっと自由に私のためにテニスがやりたいって思った。
怒りと悔しさとでこれでもかってくらい涙を出した。
顧問ともバチバチにやりあった。生徒に嫌われたくないタイプの先生だからキャピキャピたちには良い顔して甘やかして、私には強気に出てくる。そんな人。理不尽すぎる事もたくさん言われたし、された。
悔しくて私からその顧問を呼び出した事もあった。
「◯時にここに来て下さい。ひとりで。1対1で話をさせて下さい。」
別の先生を連れて2人で来た。
気持ちを抑えて話をした。また理不尽な理由で丸め込もうとされたけど私は絶対に折れなかった。向こうの分が悪くなると、「会議の時間だから」って立ち上がった。この中途半端な時間に何の会議だよ。
「逃げんの?タイマンも張れねえのかよちっちぇえな。」
言葉が出た。
もう1人の先生に
「あなたそれ人間としてどうなの?年上に向かってその言葉遣いどうなの?」
怒られたけど私ノーダメージ。何も言い返せてなかったし、あいつ。
夏頃だったかな。三者面談で高校の進学について担任から話をされた。
中高一貫だからそのまま上がれるんだけど、普通科と、スポーツ科と、特進科があって。スポーツ科は特定の部活に所属している人しか入れなくてテニス部は対象外だった。
だから普通科で勉強はそこそこやってテニスに打ち込もう、そう考えてた。
「サトミさんの実力的に、ちゃんと勉強すればもっと偏差値を上げられるし、国公立大学も狙える。良い大学に入って良い会社に就職するために、特進科に進まないか?」
「興味ない。」
即答する私。
偏差値の価値?良い大学?良い会社?
そんなん私が決める事だろ。
もちろん特進科を推す親。
文武両道を掲げる学校。
全員が敵に見えた。
文武両道なんてどっちつかずの中途半端だ、って
そんなことさえ思ってた。
大学に行くとしても、テニスのために行こうと思ってたから高校で勉強に打ち込むなんて考えられなかった。
中学2年生までの私だったら、親の望むサトミであるために言われるがまま特進科に進んでいたかもしれない。たぶん。進んでいたと思う。
でも私はテニスが好きで、テニスがやりたい。その気持ちに嘘はつきたくなかった。
高校でも上位を取り続ける事、それを条件に普通科に進む事を許可された。
はなから守る気なんて無かったんだけど。
周りの理想のサトミと私の理想の私。
それが全然違うものだって気付いてから、すごくすごく苦しくて生きた心地がしなかった。
やっぱりあの時助からなかったら良かったのに。
自分の意思で動く事、これがとてつもなく難しかった。
私は物心ついた時から親の人形だったから。
顔が可愛く無い、あの子は可愛いのにとか。
足が大根みたいだとか、太ってるんだからこれ以上飯を食うなだとか。
外見の事まで言われちゃかなわんよ。
あなたたちが産んだ人間ですよ、って心の中で何度ツッコんだことか。
それでも私は人形だった。サトミっていう人形。
結局、小中学生なんて家族に縋るしかなくて、振り向いてもらうために必死になるしかないから。どんなに傷付いても、その凶器と生きていく術を探そうとしてしまうから。
私の体を借りてサトミが生きている。
私として生きたいけどサトミとしてしか生きられない。
それに気が付いたのが15歳。
軌道修正の仕方なんてわからない。学校で教えてなんかくれないから。
頼る人なんていない。誰も信じちゃいけない。
テニスだけが心の支えだった。唯一の。