私。

私です。私の世界を書きます。 嘘はつきたくないから、ありのままを。 どうぞ、よろしくお願いします。

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マガジン

  • 大人にならないと決めた私が大人になった話

    これからの私のための今までの私

最近の記事

秘密

私は失踪しようとした過去が2回ほどある。 2016年 1度目は19歳、まだ杖無しではちゃんと歩けなかった頃の話。 歩けるようなりたくて必死こいてリハビリしていても家庭内では罵声を浴びせられていた時ね。 苦しくて堪らなくて一刻も早くこの家から出ようと、20歳という自分で責任を負える歳になったら失踪しようと計画してました。 まあ、両親のガンが見つかり介護をしなくちゃならなくて私は逃げられなかった。 2022年 2度目は25歳、心臓の病気が見つかった時ね。 これからどうなる

    • 無題

      2023年が始まって早5ヶ月が経ちまして。 今年は環境がガラッと変わって、いろんな事に挑戦してるなあと自分でも感じています。 2022年が悔しすぎたから、その悔しさ全部ひっくり返してやろうって決めて動いてたら、良い方向に向かえているというか。挑戦できる環境に身を置けていて、有り難い限りです。 毎日のようにいろんな経験させてもらって、勉強の日々が楽しいです。 「原動力はいつだって、明日死ぬかもしれないという現実」 今の環境を手に入れるための決断力と行動力は、心臓病のおかげ

      • 寒くなったらそれだけで旅をしようよ

        2022年総括 ────  今年1年はどんな年でしたか? と聞かれると、簡単にパッと答えられないんですけども。 まあ、敢えて言うとするならば、 「例年と変わらず。」 といったところでしょうか。 良くも悪くもね。 「あんた、大変なことあったでしょうが!」 とツッコミが来そうですが、今までも大変だと言われる出来事はたくさんあって、何だかんだなんとかなってきたもんで。大事件の感覚はそれほどでも無く。 とは言ったものの、一番メンタルくらったのはやっぱり心臓の病気が見つか

        • 雲外蒼天

          最近の話。 「ああ〜〜〜私、生きてるなあ〜〜〜」 と実感してる毎日です。 というのも5月頭に流行りのヤツに感染しまして。 まあ、2日間の高熱と嗅覚が無くなったくらいで、療養期間終わる頃には普通に元気でした。家から出られないのが凄く寂しかったな。ずっと楽しみにしてたライブ行かれなかったのが悔しくて泣いた。体重は43kgまで落ちた。これはたぶん精神的なやつ込み。 そんでもって療養終わって1日目。 「よっしゃーーーー!!!シャバの空気じゃーーーーー!!!!」 って外に出た。ジャ

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        • 大人にならないと決めた私が大人になった話
          12本

        記事

          飲水思源

          思いのほかいろんな人から反応頂けて嬉しい限りです。 私は小説家でもコラムニストでもライターでもない ただの一般人です。 人に届けるための文章、なんて書いた事ないから ありのままの文章になってしまって 読んで傷付いた人もいるかもしれないです。 嫌な気持ちになった人も、苦しい気持ちになった人も。 そうさせてしまった人がいるならごめんなさい。 だけど私は私の気持ちに嘘は付きたくない。 誰かの望む私でいたくない。 飾られた言葉は言いたくない。 全部読んでくれた方には伝わっていて

          飲水思源

          (完)大人にならないと決めた私が大人になった話

          (続)報われなかった努力に救われた ー 全部、良かった。と 25年かけて私は、逃げる事、自分を守る事、人を頼る事を覚えた。 簡単なようでとてつもなく難しい事。 黒田さんと茜さんとバイバイする覚悟も決めた。 周りの理想で出来上がったサトミも捨てた。 ずっと生きる事が怖かった。明日が来る事が怖かった。 だけど明日なんて来ない。明日なんてただの理想郷。時間はずっと止まらないから明日も明後日も幻。現実は今。今しかない。現実は死ぬまで続く。死んだらやっと幻になる。だからいいの

          (完)大人にならないと決めた私が大人になった話

          報われなかった努力に救われた

          (続)肯定材料 ー 人のいる世界で、私が生きていく 3月に入って暖かくなってきた頃、 ちょっとずつ仕事も復帰してなんとか動けるようになった。 メンタルに蓋をするように、またたくさん働いた。 2回目の休業もあったけど、他店舗にヘルプ行ったりして結局30連勤とかしてた。 よく倒れないと思うよ我ながら。 5月、嫌な事があって、ご飯が全く食べられなくなった。2週間足らずで体重は5.6kg落ちた。 色んな人が話を聞いてくれて、遊んでくれて、一緒にいてくれて、吹っ切れられて、め

          報われなかった努力に救われた

          肯定材料

          (続)運命 だなんて、言わない ー 希死念慮 母親の体調も落ち着いてきた春、私は今働いている職場に入社した。 厄介者のターゲットになって何度も何度も辞めようと思った。 でも辞めなかったのは、仲良くしてくれる友達とも出会えたから。 仕事自体は嫌いじゃなかったから。 せっかくやりたいと思って入った職場、簡単に辞めたくなかったから。 やるって決めた事、すぐに投げ出したくなかったから。 シフトずらしてもらいながら、たくさん働いた。 たくさん遊んで、たくさんライブに行って、家に

          肯定材料

          運命 だなんて、言わない

          (続)共に戦う戦士 ー 自分の力で 3月、手術から丸1年。 症状は変わらない。 ただ、歩ける距離は伸びたし、スピードも着実に上がってる。 4月、復学したい。その気合いだけで学校に行った。 授業を受けた。正しくは、教室に行ってひたすら耐えていた。 通学の満員電車はもちろん座れない。座るために優先席のドアから乗った。 全員見て見ぬフリ。私の杖を見る。そして私の全身を見る。からの目をつぶる。若いからいいやって思ったのかな。優先席はお年寄りの方にしか譲らないって習ったのかな。

          運命 だなんて、言わない

          共に戦う戦士

          (続)世界 ー 私のヒーロー 年が明けて1月。 手術前のドキドキと、この足から解放されるんだ、っていうワクワクと、4月から の看護の勉強へのやる気と。メンタルの調子もだいぶ良かった。 2月中旬、ちょうどバレンタインの頃。 手術前日。雪が降ってた。 6年ぶりの入院。特に不安もなくゆっくり過ごした。 当日、朝一でオペ室へ。 私の好きな音楽流してくれて、麻酔が入ってそのまま眠りについた。 目が覚めて猛烈な寒気と吐き気に襲われた。全身麻酔ってしんどいね。 点滴とか酸素マス

          共に戦う戦士

          世界

          (続)真直に ー ひとつじゃない世界 進学をするなら目的を持って進学したかったし、働くなら興味のある分野の仕事をしたかった。同じ目的を持った人たちがいる環境に身を置きたかった。 割とすぐに答えは出た。夏。 《看護師になる》 私の新しい目標。 どうせ生きているなら、意味のある命にしたい。それが一番にあって。 小学生の時も入院中、とにかくつまらなくて嫌でたまらなかったけど、ある担当の看護師さんに救われた日があって。 ずっと笑えなくて、作った笑顔しか見せられなかったけど

          真直に

          (続)併存 ー 私とテニス この時はもうサトミは捨ててた。つもりだった。 誰かのために、じゃなく、私のために、頑張りたいと思うようになっていた。 私はテニスが大好きだから、強くなりたいから、頑張りたいと思えるようになった。 昔はテニスを頑張れば、試合で勝てば、父親が笑っていたから、機嫌を取るために頑張っていた。機嫌を取らなければ、テニスが出来なくなるから。 だけど誰かのためにやるテニスは面白くなかった。 これも苦しい原因のひとつだった。 せめて好きなテニスだけは私のた

          真直に

          併存

          (続)悶絶躄地 ー 茜さん 進級したとて状況は何も変わらない。 カショオもチューブもやる度胸ないから中途半端に非嘔吐と拒食を繰り返して。まともに寝られず、根拠のない感情と黒田さんに振り回される毎日のせいで希死念慮に拍車がかかるので体を切る。 救われたのは、私を黒田さんから守ってくれる人格、 “茜さん” が生まれた事。 自傷、過食する  ↓ 黒田さんにけちょんけちょんに言われる  ↓ 私へこむ  ↓ 自傷する の流れが出来上がっちゃっていて、 これから守るためなのか

          悶絶躄地

          (続)軌道 ー 私が丸裸になった ちょうど高校に入ったくらいの頃、怪我をして、1ヶ月くらいのドクターストップがかかった。 すぐに個人の試合があって、出れるか出れないかの状態だったけど気合いで出た。痛み止めとテーピングガチガチで。 アドレナリンって凄いよね。骨折れてたけど最後までやり切れるんだもん。 結局本戦の3回戦目くらいで負けちゃったんだけど。 試合終わった途端マジで歩けなくなって、怒られた。 この試合が終わってから団体戦までの期間1ヶ月くらい、丸々コートに立てなく

          悶絶躄地

          軌道

          (続)大人になりたくない。 ー サトミの私 主治医の心配をよそに運動ができるまで回復した私は、テニスのために地元から少し離れた中学校に入学した。 御坊ちゃま、お嬢様学校、とまではいかなくとも大学附属の私立中学なので裕福な人たちが多かった。パパが社長だとか、ママが欲しいもの何でも買ってくれるだとか、毎年海外旅行に行ってるだとか、車が2台も3台もあるだとか、家が一軒家だとか。 相当可愛がられて何不自由なく生活してきたんだろうな、と思うくらいワガママな人たちが多かった。知らんけ

          大人になりたくない。

          (続)大人にならないと決めた私が大人になった話 ー 11歳までの私 小学校6年生の夏までは至って普通の女の子。スポーツが大好きで、勉強もちゃんとやって、友達もいて、ちょっと人見知りだけど目立ちたがりなとこもある、よく食べてよく寝てよく笑う、ありふれた女の子。 強いて言うなら男の子と喧嘩して勝っちゃうような、負けず嫌いなとこもある女の子。テニスに打ち込んで、戦績も多少残していて、このままそれなりの人生を歩んで、結婚して、子どもを産んで、平和で幸せな家庭を持つんだろうなって思っ

          大人になりたくない。