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キャリアと報酬を手放してでも、私が文系院生として学び続ける理由

先程、こちらの動画を見ました。

この「りおなちゃん」って、ご存じでしょうか?

側弯症という病気を抱えながら、6歳とは思えない言い回しが天才的だと話題を呼んでいる女の子です。(私も動画を見たことがありますが、本当に面白くてかわいいです!)

動画内でお母様がSNSでりおなちゃんの発信を続ける理由について、「こういう病気の子がいるということを知ってもらうことが、再生医療や脊髄損傷の治療法の研究が進むきっかけになってくれたら」とお話しされていたのが、とても印象的でした。

私は文系院生なので少し視点が異なるとはいえ、「そうだ、研究ってこういうことのためにあるんだった」と、研究することの意義を再確認できたような気がします。

研究を進歩させることで、
人や社会に貢献することができる

私は一大学院生であり、研究することによって金銭的報酬は得られません。

むしろ、使えるはずの新卒カードを自ら捨て、経済的に安定しない、将来もあまり見通しが立たない道を選んでいます。

安定したキャリアや経済的な報酬等、様々なことを犠牲にしたうえで、学び研究することに時間を割くことができています。

文科省によると、H28年時点での社会科学の文系修士の割合は2.5%で、そこからさらに博士に進学する人は9.6%、つまり全体の0.02%ですね…(泣)

それくらい、文系で院に進むというのはマイナーだということです。

文系院生という存在がマイナーであるために就職が不利なのか、それとも就職に不利だから文系院生がマイナーなのかは定かではありませんが(おそらく後者である可能性が高い)、とにかく文系で博士に進む選択をするには、ある意味“腹をくくる”ことが必要です。

先日、「就職せずに博士に進むことにしました」とバイト先の人に伝えると、「そんなことする人おらんのちゃん?」「まあべつに、女の子は正社員にならんでもいいからね」と言われました。

全然いいんですけど、これは“文系で博士に進む人が世間的にはどう捉えられるのか”というのが、如実にあらわれた返答だといえます。

実際私は、「べつに正社員にならなくてもいいや」と思っているから博士に進むわけではありません。

私が大学院生として学ぶ目的は、大きく2つあると考えています。

一つは、自分の知的好奇心を満たすことや、自分の知識を深めること、そして研究能力を向上させることといった、“対自己”に向けた目的です。

もう一つはやはり冒頭で述べたように、「人や社会に役立ちたい」という“対他者”の目的があり、その目的を達成するために学び、研究したいからです。

つまり私にとっては、学ぶこと自体が目的であり、手段でもあります。

私が日々学んだり研究する際の原動力となっているのは、「自分が身につけた知識をいつか実社会で活かしたい」という思いです。

正直私は、どちらかというと勉強が不得手なタイプだと思います。自分に研究が向いているとも、今のところ思えません。

だけど、「人や社会の役に立てる」という研究の可能性に気づいて以来、もっと学んで研究してみたいという思いに火を灯し続けてきました。

「研究することの意義」を再確認する機会を、この動画から得ることができてよかったなと思います。

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rika
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