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蝶になりたい精神障害者 #2

中学校に上がり、周りは小学校がバラバラなのになぜか打ち解けていく。

わたしは他の小学校の子と仲良くしようとすると「あの子小学校でいじめられてたらしいから仲良くしない方がいいよ~」とそそのかされたと聞いた。

だからなんなんだよ、と思ったが子どもなんてそんなものなのだろう。

また、いじってもいない眉毛を教頭に嫌味で「かわいい目をしているね」と言われたり、担任の先生になぜか目を付けられて事あるごとにくどくど説教されたり、わたしの無知で口走ってしまった「わたし、スカート上げてるんだよね」という言葉が先輩の耳に入って呼び出しを食らったりした(本当はサイズが合わずに制服屋さんでスカートの丈を直してもらっただけなのだが、それをスカートを故意に短く履くという意味らしい「スカートを上げる」という言葉で表現してしまった)。

なぜ自分がこんなにも不遇なのかわからなかった。
何も悪いことはしていないのに、どうして。

そして、成績も下がっていった。
当たり前によかった成績は標準か、それより少し上くらいになった。

母親は不服そうだった。

わたしにとっては学校は面白くなかった。
でも音楽を聴き始めたのもこの頃で、それだけは好きだったし、わたしを裏切らなかった。

ただ、両親の中はどんどん悪くなる一方だった。
「離婚」というワードが飛び交う大喧嘩を目の前でされたり、父親は壁やドアを蹴る殴るの大嵐だった。
母は「ごめんね」と言い、泣きながらわたしを抱きしめたけれど、何が「ごめんね」なのかわからないし、謝るくらいならこの状況をどうにかしてくれ、と思った。
それから感情的なだけの人間が嫌いになった。

うつなどの精神疾患や、自傷行為を知ったのもこの頃だった。
わたしの中での自傷行為はカッターで手首を切ることだったが、なんとなく気持ちがスッキリした。
突然涙が止まらなくなることがあったり自傷行為がバレたりしたが、母親や先生たちは「思春期特有のものだろう」とわたしを病院へ勧めることはなかった。

塾へ行き始めるとだんだん成績も上昇してきて、県内トップクラスの高校を受験しようと思った。
この高校には入れたら何か変われる気がする、なんとなくそう思っていた。

受験は失敗した。
それも、わたしの中学校でその高校を受験した子のうちわたしだけ落ちた。

蛹はまたも自信を失う。

わたしは何をしてもダメなんだなあ。
何かに挑戦しちゃダメなのかなあ。

そんな風に考えていた。

わたしは行きたくもない高校にいやいや通うようになり、クソみたいな人生を送ることになる。

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