蝶になりたい精神障害者 #1
茨城県の某市に生まれ、わたしは6歳まで育った。
学習障害は見られないものの、変わった子どもだったという。
道路で大の字になって寝転がってみたり、ひとりっこなのにどこで覚えてきたのかもわからない「ワン、ツー」という言葉を繰り返しながら一歩一歩を踏み出してみたり。
自分でよく覚えているのは、ひとりで保育所で大きなタイヤの中で砂浴びをしていたことだ。
私の中での保育所の生活では、これが一番楽しかった。
コミュニケーションが苦手な訳ではなかった。むしろ好きだった。
スーパーで出会った同い年くらいの子に「おなまえは?なんさい?なにどし?」と聞きまわっていたと言う。
ただ、そこから先の会話がない。続かない。
多動や衝動は見られなかったものの注意欠陥が多く、身に覚えのないアザやケガが体中にあったが普通だと思っていた。
忘れ物も多かったし、周りを見ることも不得意だった。
小学校に上がる直前に、わたしは母の実家の敷地内に引っ越すことになる。
周囲の子たちは、いわば皆「幼馴染」だ。
わたしだけが「よそ者」であり「のけ者」なのである。
それだけで、わたしは小学1年生の時に、席が前の子に歯みがきの時間に口から水を吹きかけられたり、少し変わった本名をからかわれたりしていじめられたり、トイレの掃除用具に着いた汚水をかけられるようないじめを受けるようになる。
わたしは自信を喪失した。
誰とも話してはいけない。
大人しくしていなくてはいけない。
静かにしていなければこの学校という社会で抹殺される。
そう考えていた。
だからじっとしていた。蛹のように。
なのに、
わたしは小学6年生になった時にまたいじめに遭ってしまった。
そもそも家庭環境も悪かった。
父も母もいわゆる「毒親」だ。
父は借金を抱えながら何度も転職を繰り返しては失敗し、負債に陥り毎日機嫌が悪く、物や家族に当たり散らす。
母は教育ママで、わたしの成績は優秀なのが当たり前だと思っていて、できないことがあると激怒するができることがあっても何も褒めない。
ふたりの仲は悪く、喧嘩も絶えなかった。
喧嘩していなくても、雰囲気が悪くて逃げ出したい夜が何度も続いた。
そのせいかわからないが、わたしは小学校6年間ずっと家の中に監視カメラがあると思い込んでいた。
わたしには、きちんとした「家族」も「友だち」も「居場所」も考えられなかった。
学校ではクラスメイト、家では家族がずっとわんわんとうるさかった。
どこか遠くへ行きたかった。
生まれる星を間違えてしまったのかもしれないとさえ思った。
中学校に上がると、わたしは様子がおかしくなる。
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