11/3 死にたい夜
この時間、何かが私を締め付けている。頭の中で「死にたい」という言葉がくるくると回って、まるで迷路の中をさまよっているみたいに、どこにも出口が見えない。何も考えられなくなる。頭が重く、心が締め付けられる。これが孤独の感触なのか、それとも自分自身を見失うことの痛みなのか。どちらにしても、今はただこの文を打ち込むことで、少しでも自分を保ちたいと思っている。
突然、気持ちが襲ってくる。この感覚はまるで高い波が押し寄せるようだ。波は冷たく、押し寄せては引いていくが、私はその波に飲み込まれそうで、息をすることすら困難になる。生きていることが、こんなにも重たいなんて思いもしなかった。周りの世界はまるで無関心で、私が声を上げても、その声は空気の中で消えてしまう。
もし、この勢いに任せて死ねたら、どれほど楽だろう。しかし、私は生きたがっている。生きることに根性を絞り出そうとするが、結果的にはその根性が無く、どちらにしても不甲斐ない自分がいる。時には自分がゴミのように感じる。生き抜く力も、死ぬ勇気もゼロで、ただただ空回りしているバカみたいだ。
自分がこう思うことには、理由がある。私は強がりだ。誰よりも自分が弱いことを知っている。そうして、助けてと叫んでも、その声はどこにも届かない。誰も気づかない。きっと、周りの人々は私が「大丈夫」に見えるからだ。大丈夫なわけがないのに。私はその虚構の中で生きている。自業自得だと自分を責めるが、それもまた無意味だ。
私の内面には、いつも闇が潜んでいる。外の世界は明るく、誰もが笑っている。そんな中で、私だけが取り残されたような気分になる。自分の存在が疎外されているように感じ、周囲が楽しそうにしている姿を見ていると、さらに孤独が募る。みんなが私を無視しているわけではないとわかっている。けれど、心の中では「私はここにいるのに、誰も気づいてくれない」と思ってしまう。
一人になりたいわけじゃない。ただ、誰かに寄り添ってほしい。自分の感情をわかってほしい。そう思っている自分がいる。もしかしたら、それは弱さの証かもしれない。しかし、弱さを認めることこそが、強さではないのか?そう思いながらも、自分の中で葛藤が続く。
生きることは決して簡単なことではない。時には、自分が何のために生きているのか、見失うこともある。何か大きな目標があるわけではない。ただ、日々をやり過ごすだけ。それでも、時折、何かが心を引き裂くように、死にたいという感情が湧き上がる。そんなとき、私は自分が生きていることを許すことができない。
けれど、誰かの「大丈夫」という言葉が、少しだけ心を温めてくれる瞬間もある。そうした瞬間が、私に生きる意味を再確認させてくれる。強がりの裏に隠された弱さが、時に他者とのつながりを生むこともある。だからこそ、私はこの感情を記録しておきたい。この瞬間を、忘れないために。
生きているということは、辛さだけではない。喜びや希望も混ざり合っている。だからこそ、今は少しでも前に進みたいと思う。自分の中の暗闇に押しつぶされるのではなく、その中に小さな光を見つけていきたい。もしかしたら、その光は私の中にあって、まだ見えないだけなのかもしれない。
結局、私は生きる道を選ぶことにした。たとえどんなに苦しくても、この気持ちを書き留めることで、少しでも楽になれるのではないかと信じている。言葉を通じて、自分を少しでも解放できることを願っている。今はまだ、たどり着けない未来を信じて、一歩ずつ進んでいくしかない。
私がここにいる意味を、いつか見出せる日が来ることを願っている。自分が自分であるために、これからも書き続けることを決意する。