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8/3 生きていけます

ひとりで映画を観に行こうと思っていた。
昨日の夜までは、そう思っていたのだけど、
朝起きたらどうでも良くなっていた。
どうしようもなく、遠くへ行きたかった。
外がこんなに暑くなかったら、インスタと
ツイッターのぜんぶのアカウントを消して
逗子海岸まで行ってしまうところだった。
狂った暑さが狂った人間を引き留めている。
春休みにもおなじ気持ちになった日があって、
そのときはほんとうにLINE以外のぜんぶを消して
朝から逗子まで片道2時間かけて行って、
ミモザを買って海を見て、2時間かけて帰った。
今日もそんなことが出来たらよかったのだけど、
逗子に着く前に溶けるし、着いたところで溶ける。

限りなく、ひとりになりたかった、
と言ったほうが近い。
バスのなかも駅構内もショッピングモールも
ぜんぶがうるさい、ひとが生きていて
なに食べるとか混んでるかなとかおいしそうとか
あれ可愛いとか友達が彼氏が、とか話している、
嫌でも耳に入る会話のすべてがうるさかった。
なにも聞きたくなかったのに
家にいることも苦しくて、出かけてみたものの
結局どうしたらいいか分からなかった。
遠回りして帰ろうかと考えたけれど、
知らない街に行きたい気持ちは消えなくて、
池袋を走る電車でいちばん馴染みのなかった
丸ノ内線に乗ってみることにした。

時が過ぎていくのを
必死に耐えている感覚がある。
早く答えあわせがしたい。
どんな企業に就職するのか、どんな業界で、
どんな職種につくのか、勤務地はどこか、
そのときわたしの周りにいるのは
今とおなじひとたちのままだろうか、
あるいは増えたり減ったりしているだろうか、
ぜんぶ早く知りたい、そのほうが楽だから。
就職のこと、恋人とのこと、これからの人生、
未来の不安なことを早く知ってしまいたい。
教えてほしい、と思うその姿勢には
じぶんの人生だという自覚も、
じぶんで道を選ぶんだという意思や覚悟も、
何ひとつ感じられなくて笑ってしまう。
笑ってしまうな。

東京の中心に近づくにつれて、車内には
スーツを来たサラリーマンが増えていった。
わたしって就職するのかな、と他人ごとみたいに
考えていたけれど、わたしはぜったいに
どこかに所属するべきだと思う。
今だってこうしてぐるぐる色んなことを考えて
鬱々としているのは、じぶんが宙ぶらりんで
何者でもないような感覚に陥っているからだと
思っているし、たぶん合っている。
決まった曜日の決まった時間に大学に行って、
授業を受けたり、期日までに授業動画を観て
感想を書いて提出したりする、
じぶんが大学生だと認識できる何かに
追われてはじめて、生きている心地がする。
卒業して、ほんとうに肩書きを手放したら
きっと毎日が息苦しいし、何より、
ひとりで戦っていくことに適した性格ではない。
東京駅で降りていった、たくさんの社会人を見て
そう確信した。就活から逃げたらだめだ、たぶん。

そんな将来のことをぷつぷつと考えながら
電車に揺られていたら、四ツ谷まで来ていた。
丸ノ内線って地下鉄なのに外に出るんだ、
なんだか得した気分だった。

四ツ谷。
昨日の夜、満面の笑みで
メロンを頬張っていた恋人の姿を
ふと思いだして、すこし元気が出た。
こんなに単純なんだ、
地下鉄なのに外の景色が見えたことや
ふと浮かんだあの笑顔でうれしくなれるんだ、
ぜんぶ、ばかみたいだと思った。
ばかばかしい、じぶんのことも、
池袋から新宿まで行くのに東京駅を経由するのも、
ばかみたいだ、早く帰りたい。

明日も生きていかなければいけない。
目を背けたところで、わたしのお望み通り
着実に時は流れていくし、
寝て起きたら明日は来る。秋学期も始まる。
卒論演習の先生を選ぶ日も、
クリスマスも大晦日もお正月も22歳の誕生日も
就活解禁日も卒業式の日も来る。
生きていたら来るし、そのときまで
生きていなければいけない。

チーズケーキを食べて帰ろうと思った。
明日も生きていくためのお守り。
半年ぶりに地元の喫茶店に入った。
ひさしぶりのチーズケーキは、あきらかに
ひと回り以上小さくなっていて、ああそうだ、
わたしがじぶんの外にエネルギーを置くことが
こわかったのはこれだ、と思った。
だれもなにも悪くない、
ただ、みんな毎日すこしずつ変化していて、
その変わっていく歩幅がずれてしまったら
噛み合わなくなっていく、いつまでも
おなじところに立ったままでは置いていかれるし、
まわりの景色だけが変わっていく。だから、
じぶんでない存在に、じぶんの真んなかを託すのは
脆くてこわくて、きらいなんだった。

気持ちは晴れないし、電車のなかで読んでいた
江國香織の小説も読みかけのままだし、
チーズケーキはただ美味しいだけだった。
なにも解決していない。
早く、と言ったところで1日ずつしか進まない。
そのすこしずつしか進まない時間のなかでも
いろんなことが変化していくし、
生きていれば、わたしもたぶん変わっていく。
どうせ就活も本気になる。
友人も恋人も、ずっと一緒にいられたらうれしいし
もし離れてしまっても、そのうち大丈夫になる。
鬱も治るし再発するし治る。どうせまた治る。
じぶんのなかでお守りだった存在はきっと
生きていくなかで自然と別のものになっていくし、
そのうち、そういう存在を持たなくても
生きていけるようになるかもしれない。
1日ずつしか進まないけど、1日ずつ進むから、
毎日耐えるしかない、それ以外に方法はない。
その代わりに、
ばかみたいだと言ってしまえばそれだけの、
ささやかなご褒美を見逃さずに1こずつ拾って
素直にうれしいとかたのしいとか思うようにする。
そうすれば、明日も生きていけます。

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