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色んな人生を生きたくて、私は創作やライターをしているのかもしれない。

昔から、感受性がやや強めだったのか、物語に深くのめり込む傾向があった。
「ダンサーインザダーク」や「火垂るの墓」を観たあとはこの世の終わりくらい落ち込んだし、「ウォーターボーイズ」や「耳をすませば」を観たあとは青春っていいよなぁぁぁぁぁと用もないのに夕日に向かって自転車をこいだし、「ハケンの品格」や「恋のチカラ」を観たあとは私も好きな人や仲間たちと一大プロジェクトをやり終えた気持ちになった。
今でも毎クールごとに追いかけている連ドラ、映画を観に行けば登場人物に感情移入して笑ったり泣いたり、時に強烈にハマる作品が現れると、その作品の前後のエピソードを勝手に脳内で作り上げていたりもしちゃう。

物語に触れる行為は、そこに登場するキャラクターの人生を疑似体験しているようなものだと思う。

自分で創作する場合も同じで、「次はこういう作品を書きたい」と思って始める資料集めや、日常の些細な瞬間で「ここにこんな人がいたら」と妄想から始まる場合でも、頭の中に現れた人物が明確になっていくにつれて、まるで自分がその人の人生を生きているかのような気持ちになってくる。

フィクションの作品において、登場人物はあくまで架空の者でも、物語の中では確かに生きている。

創作をするのは、ものすごく体力が必要で、ひたすら自分の内面と向き合う作業のような気もする。
登場人物が何を考え、何を感じ、どんな人生を歩むのか。
一緒に見つめて、並走していくような感覚。
ゼロからイチを作り出すのは、毎回苦しい。面倒だと思うこともたくさんあるし、何度も途中でポイしたくなる。
それでも、新しい世界が見たいし、新しい人と出会いたい。
ほぼ、その衝動だけで創作を続けているのです。

これはもしかしたら、私がインタビューライターに憧れる理由のひとつなのかもなぁ…。
そんなことを、ふと思った日曜日でした。

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