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揺れながら
今の病院には主治医とは別に担当の相談員さんがいる
私の担当はOさん
人の年齢を顔立ちから当てるのは苦手だから的はずれな気もするけど、30代ぐらい
少し背が高くてぱっちり二重の柔らかな目元が特徴的な人だ
初めて会ったのは去年の夏
緊張しながら入った病院で名前を伝えると
「お電話していたOです。診察の前に少しお話いいですか」
と言いOさんが出てきてくれた
電話の時点から相談員さんが決まっていたんだと驚き、そもそも相談員さんがいることにも驚きながらOさんの後ろを着いていく
院内の奥の個室に案内される
テーブルが1つと椅子が4つ、後方からは柔らかな日差しが差し込んでいた
光に背を向けて私が座り、向かいにOさんが座った
何からどう聞かれたかは覚えていない
生い立ちやここに至るまでの経緯を話した
あまり言うと身バレしそうだと思うが、今の病院は依存症専門クリニックだ
何故私がこのクリニックを受診するに至ったのか
それは高校生の頃、ある講演会で看護師さんがリストカットやオーバードーズが依存症であるという旨の発言をしたことが残っていたからだ
ずっと忘れることができなかった
もちろん、家からの通いやすさや診察時間など私生活との兼ね合いもある
でもこのクリニックにしようと思った決め手はそれだった
初診予約の電話を掛けた日のことも覚えている
ベッドの上で泣くことしかできず、ただただ死にたい限界の毎日が続いていてあーもう死んでしまうかもしれない、死んでしまった方が楽かもしれないと唸るように考えていた
半年以上辞めていたリストカットもしていて、あーやっぱり辞められることとかないんだ、これは依存なんだと痛感し落ち込んでいた
この時の私の少し偉かったところは精神科に行かず鬱が辛いと嘆くのは違うと気づいたところだ
せめて最善を尽くしてから死のう
そう思った
藁にもすがる思いで電話をかけたのが今の病院だ
「当院は依存症専門クリニックなのですが、、」という旨のことは当然言われた
私は泣きながら「自分が依存症かどうかはわからない。自傷行為が依存だとは聞くがそれが俗に言う依存症なのかもわからない。ただ辞めたい」と訴えた
そこから初診の日が決まった
1週間後のたまたま授業がない日で、これはもう行くしかないと運命的なものを感じた
そして冒頭の初診時に戻るのだ
限界だった
死んでしまいたくて、なんなら死ぬと宣言までしていた気がする
何を話して何を言われたか、何をどのくらいの時間話していたのか、ほとんど覚えていない
しんどいはずなのにずっとヘラヘラしていた
まるで他人事のように淡々と話していた
「死にたいと思ったことはありますか」
「死にたいです。ずっと。今も」
これもまたヘラヘラしながら答えた
なのにOさんは
「しんどいね、よく来てくれましたね」
と真っ直ぐな眼差しで優しく返してくれたから私は口角を上げたまま泣いた
その時に初めてこの人は大丈夫だと思った
ヘラヘラする私の表面よりも言葉を受け止めてくれると思った
それから約半年
私は今もその病院に通い続けている
半年なりの色んなことがあった
初めて自助会に出た時、Oさんに感想を聞かれた
自助会は正直苦痛だった。既知の知識の話をただ聞くだけ、周りには支援者さんと来ている患者さんもいて孤独も感じる
普段の私なら適当に誤魔化していた
でもOさんになら正直に話してもいいかなと思って
「正直既知の話が多かった。支援者さんと来ている人を見たら1人の自分が惨めになった。時間も学生やりながらだと来れないし向いてないと思う」
と話した
それをOさんはきちんと受け止めて聞いてくれた
無理に行かなくてもいいと言われた
それでもこの春は自助会にたまに参加しているので話して受け止めてもらえたことで前を向けたんだと思う
この前すごくしんどくて言いたいことを全部紙に書いて渡した日があった
乱雑で酷いことも書いていた
私「しんどい時に素直にそう伝える術を失っているから、オラオラーってナイフ向けちゃってみんなにはそれがまた始まったなとかうるさいなになって見捨てられるんだ」
Oさん「ナイフ向けてくれていいんですけどね、そしたらしんどいんやなってこっちもわかるから」
あ、わかってくれるんだって初めて思った
前にも「ここでは思ってること全部言ってもらって大丈夫ですからね」と言われたことがある
あぁ大丈夫なんだって思う
Oさんが居ない日、どうしても苦しくて別の相談員さんに急遽話を聞いてもらった日があった
久しぶりに腕を切って絶望していたあの日
その時も相談員さんが
「ここには怒る人も否定する人もいませんからね」
と言ってくれて夢物語かと思った
これが安心感というのだとようやく理解できた気がする
正しい正しくないではないのかもしれないが、正しい安心感なんだと思う
胸の内を吐き出していい
それが何よりの安心なんだと思う
あまりに優しいからここは夢かと錯覚する
覚めたくないと思う
もう立ち上がれないんじゃないかと思う
辞めたいと言いながら辞めるのが怖いと思う
自助会に出る人達は辞めたくてすごい
そう言ったらOさんが
「皆さんそうですよ、皆さん揺れながら闘っている」
と教えてくれた
大丈夫になりたい
この場所で
少しずつ