とてもやさしい6月でした
6月は本当に生き延びることに精一杯でした
気づけば終わっていました
そんな6月はたくさんのやさしさに触れた一ヶ月でした。
6/5
限界を感じ、高校時代の恩師であるK先生にメールを送りました。
5月までは耐えたいと思ってのことでした。
おかしくなっている
そう言う私に「どういうこと?良ければ高校に話においで」と言ってくださりました。
そして6/8木曜日、先生に会いに行きました。
6/8
約ひと月ぶりの母校
派手な見た目でたくさんの生徒に見られて恥ずかしくて目を伏せて職員室に向かいました。
職員室前で仲が良くたくさんお世話になっていた化学の先生に会いました。
私が第一志望に合格できたのはこの先生のおかげ
そんな先生です。
少ししか話せなかったけれど笑顔を見せてくださったことが嬉しかったです。家に着く頃、届いていたその先生からメールには「会えて嬉しかった。また来てね。会えるのを楽しみにしています」と書かれていて、とてもあたたかい気持ちになりました。
お目当てのK先生
生徒立ち入り禁止の会議室に通されました。
先生に現状を話すと先生に何度も「波があるから」と「心配だ」言われました。そして「ずっと心配してるよ。お前が結婚して子ども産んでもどっかには心配がある。それがしんどいとかじゃなくて。卒業した子にはどの先生も思うんちゃうかな」と言われました。
“ずっと見ててくれる人がいる”
その安心感で見捨てられ不安が少し減った気がしました。
そして「プラスにとらえれば今のお前の経験は、お前が言ってた支援者になったとき絶対役に立つから」と励ましてくださいました。
先生に「お前の親よりお前のことわかってる」と言われて少し嬉しかったです。
そうして話を終えて先生と私は一緒に最寄りまで歩くことになりました。
帰る途中、「お前がご飯食べられるようになったらラーメンでも行こう。なんか食べに行こう」と言ってくれました。
先生とのご飯。憧れだから叶えたいです。
先生に「来週も来るか」と言われました。
私は「卒業したから来たくない」と答えました。
すると先生は「来るやつは来るんだから来ればいい。話して楽になるならそれでいいやんか」とおっしゃりました。
先生から来週も来ることを提案してもらえて安心しました。
別れ際、私の頭をぽんぽんして「またいつでもおいで」と言ってくれる先生の余裕はやっぱりかっこいいと思いました。
6/9
ひょんなことから大学の医務室に行き、腕の傷を見せました。
「ヘルプマークつけてるからなんかあるんかなとは思ってた」と言われました。
カウンセリングを勧められました(拒みましたが)
初めて大学と繋がった日です。
6/13,14
夜中、死にに行こうとしました。
結局、勇気が出ず終電が終わり両日とも未遂に終わりました。
Twitter上で死ぬ死ぬ詐欺をしたのにフォロワーさんはあたたかくて「帰ってきてくれて安心した」とか「おかえり」とか声をかけてくれました。
6/15
行きたくないと言っていたくせに再び高校に行きました。
会ってすぐ、「お前ゼロカロリーの炭酸なら飲める?」と聞かれ頷くと「コンビニ行こ」そう言われテコテコ先生の跡を追いました。
先週来た時に「次来た時はゼロカロリーの炭酸でも用意̪しといたるわ」と発言していたのを覚えててくれたんだと嬉しくなりました。
「こんなこと言ったらプレッシャーかもしれへんけどお前が死んだら一生後悔する」「教師続けられるかもわからへん」
そう言われて私はこんなにも思われているんだと痛感しました。
6/19
摂食障害と診断されました。
そのことをK先生に報告すると「ひとまず現状がわかってよかった」「弱音は吐いたらいい」「またきっとよくなる」と声をかけてくださりました。
6/20
ODをして学内の医務室に行きました。
呼びかけても反応がなくフラフラな私を支えて友人が連れて行ってくれたそうです。記憶がありません。
これは二回目です。
嫌にならず、面倒を見てくれる友人たちの優しさに感謝しています。
以前腕を診てもらった看護師さんに会えて、事実を伝えました。
やっぱりカウンセリングを勧められました。
断ってしまったけれど、そこにあるのは心配と優しさだと思いたいです。
6/25
今日の夜死ぬ
そう決めました。
K先生に遺言のように「教師やめないでね」と送り付け、私は家を出ました。
今、これを書いているわけですから当然、未遂に終わりました。
6/26
先生からメッセージが届いていました。
「明日会おう」と
ですがその日はアルバイトでした。
そう伝えると「本当ならアルバイトを休んででも話しに来てほしい」と言われました。嬉しかったです。
結局、また木曜日に会うことになりました。
6/29
駅の人通りの少ない階段で先生とお話しました。
診察ノートを読み終えた先生は一言「もう無理やろ」と。
自力でカロリーが摂取できない以上、入院もあり得ると言われました。
そして
「本当なら親が担うべきところを水和の場合、先生が担っている」
はっきりそう言われました。
そして私の肩をゆすって「夜中に変なメール送ってこんといてや。びっくりしたやんか」と言われ、「今日もこーへんのちゃうかって半分ぐらい思ってた」と言われました。
「ごめんなさい」と謝ると「そうやって言えるだけ安心やけどさぁ」と言われました。
ほんとに過去一レベルの心配をかけてしまっていたんだなと反省しました。
「水和は先生にどうしてほしいの?」
そう聞かれ、わがままとわかりながら
「病院についてきてほしい」
そう言いました。
さすがに断られると思って言ってました。
現役のときとはわけが違います。もう先生と生徒ではありません。
なのに
「テストと被るからいけるよ」
先生はそうおっしゃたのです
どこまで甘えてしまってるんだと思います。
それでも先生の優しさが嬉しかったです。
(病院についてきてほし理由などは診察後のnoteで)
“入院”という単語を出されたショックを隠せず、私はインスタのサブ垢の親しい友達でそれをあげました(もちろん闘病見てもいいって言ってくれてる人しかいれてません)
すると、大学の友人から長文のあたたかいDMが届きました。
「水和はとてもえらい」「でも時々とても心配になる」
「しんどかったら言ってほしい」「無理にとは言わないけど」
送れる文字数の限界を突破したDM
出会って数か月の私にそんなすてきなものが送られていいんでしょうか
あたたかくて泣きそうになりました。
絶対この子たちと卒業したい
そう思いました。
6/30
「なあなあ、ヘルプマーク持ってる人見たら席譲った方がいいん?」
ある友達がそう聞いてくれました。
そもそもヘルプマークを付けて歩く私のそばにいることを拒まないでいてくれることには日々感謝していました。
さらに関心を持って尋ねてくれる彼女は優しい心の持ち主だと思います。
もう3000字近く書いています。
私の6月は必死でした。
それでもたくさんのあたたかさとやさしさに触れ生き延びることができました。
死のうと思ったとき、いちばんに思うのは人に迷惑かけちゃうな です
鉄道会社とか家なら事故物件になるなとか
でも二番目に浮かぶのはやさしくてあったかいみんななんです。
やさしくてあったかいみんなならきっと泣いたり怒ったり自分を責めたりしてしまうんだろう
もしかしたら一生残る傷をつけてしまうかもしれない
そう思うんです。
死のうと思うとき、そこまで考える余裕は正直ありません。
でも未遂で終われているのはきっとみんながいるからです。
7月
どんな日々になるかわからないけれど、ほんの少しの希望とみんなからもらったやさしさとあたたかさを私も持って過ごしたいです。
こんな長文を読んでくださった貴方もやさしさとあたたかさを持った人です。
どうか貴方の7月が幸せで溢れますように