命にも価値があるのでしょう
中間関連ひと段落
まあそれが終わったって実験のレポートは週に2個は確実にあるし、小テストとプレゼンの準備その他諸々
暇になるわけではない
わかってたけどさすが学部1忙しい学科(不名誉)
他学部の先生にまで忙しいことで有名なんだけど、一体どうなってんの?????
気分は上がりきらない日が多かった
酷い鬱は抜けたけど上がる訳でもない
初めて離人を経験したり
全員が苛立って苦しんで死にたがってるからもう学科が悪い
いつかな、少し前、しんどくてしんどくて涙が止まらなくなった
今日も試験を受けたのに明日も試験だった。多分明後日も
泣いて勉強が出来なくて焦ってさらに泣いて
結局、提出物だけ涙で濡らしながら終わらせてなんの勉強もできずに受けに行った
苦しくて久しぶりに腕を切った
刃物を握っている時だけ、泣き止めていた
終わりたい
首を吊った
どうせ、死ねない
カウンセラーさんにメールした
「来週のカウンセリングをキャンセルしてください」
カウンセラーさんは更にその次の週に予約を入れてくれた
でもそれも拒んだ
もう嫌になった
何も変わらなかった
なんかあった時にすぐ対応できるようにおいでって言われて続けていたけど、何も変わってなかった
苦しい時はやっぱり1人だった
カウンセラーさんは何かあったのかとか話に来てほしいと言ってくれたけど、もうそんな気力や余裕はなかった
この2、3週間前にも同じようなことをしている
非常にバカである
その時も前日前々日あたりに首を吊って失敗して、這って行ったカウンセリングの受付でもう疲れたしどうでもいいから辞めるという旨を書いた紙を渡した
「どうでもいいわけないよ。違う人間だから完璧には分からないけどわかりたいと思ってる」と言われて安心したはずなのに
その時は、薬によって躁が消えて鬱が残るのがつらいから病院に行きたくないと言った
「病院で調整してもらおう。今になってわかったそれはちゃんと伝えよう」と言われた
教職の先生の無神経な言葉の数々
「そんなことを言う人はセンスがない」
なんて言われても、そんなことわかっていて諦めて付き合うしかないから死にたかった
「ずっとしんどくても否定されて生きてたから今更自分がしんどいかどうかなんてわからない。しんどいはずなのに嘘をついている感覚になる。」
「指標はないけれど、しんどいという気持ちは確かでしょう」と言われた。言いたいことはわかるんだけど、それが信じられないんだってば。「しんどいと思ったら誰がなんと言おうとそれでいいんだよ、大勢から見てしんどくなくても1人にとっては辛いことってあるんだよ」ってこの言葉、高校生の時からずっと言われてる。もう何年飲めないまま
「私だって休みたい。でも私は療養が仕事じゃないからそんなことできない。なのに療養だけしてる人が褒められてて、私は心無い言葉をかけられてて、、そんなのおかしくない!?頑張ってるけど頑張れてないのかもしれない。つもりなだけかもしれない」
カウンセラーさんは「でも頑張ってるでしょ?」と言ってくれた。「おかしいね」って言ってくれた。でも理不尽な言葉に苦言を呈してくれるわけではない。
ただひたすらに吐き出して、吐き出したことにだけ満足してすぐダメになった
その場しのぎ。こんなのただの延命処置
その次か、さらに次かのカウンセリングで「水和さんが飲み込めない(配慮を受けることがズルだと感じる)のであれば、受ける必要はないと思う」と言われて最もなはずなのに、あぁ私はまだみんなと同じように生きなきゃいけないのかと思った。とんでもなく面倒くさい人間だという自覚はある。
いつもカウンセリングは土曜日で、月曜日が来たら中間ラッシュだった。その話をしたら「今週だけ乗り切って、あとはもうどうなってもいい的な、、とにかく今週だけ頑張ろう」と言われて、シャッターが落ちる音がした。今週だけ乗り切ったって私の生活から試験と課題が消える週なんてない。どれも成績に関わることも変わりない。もうダメだと思った。私の生活はなんなんだ。舐めないでくれ。そんなつもりはないだろうけども
元々、土曜日に無理やり準備をして出てきてるからるんるんしてるはずもなくて、結果全部をマイナスに捉えてしまう。楽になりに来てるはずなのに、落ち込んで帰ってる。なんだコレ
この週はそこそこ自分の中で危うさを感じていた。ODに久しぶりに手を出して、どんどんダメになってく感覚が拭えなくて。なのに何も伝わっていないカウンセラーさんとの齟齬が受け入れられなかった。
そうなって追い込まれた結果が自傷と未遂だったんだと思う。
やっぱり私にとっては腕を切ることがいちばんの味方だと思った。その証拠に刃物を握っている時は泣き止んでいた
ひたすらに死にたい
部屋で死にたいと泣きわめく
隣人が可哀想だなあと思う
実家みたいにうるさい!って怒鳴られてもショックはないから私はどうでもいい
もう疲れたなあ
何かが終わればまた新しい何かが次々やってくる
大学の先生たちはみんな遠慮がない
せっかく借りた専門書は読めないまま2週間が経った
派手髪も辞めた、染めに行く暇がないから
お風呂も沸かさなくなった。汚い話、2日に1回入れたら上出来
睡眠も朝方に取るか泣き疲れて寝落ちの2択
自分のために時間を使えた記憶がない
QOLダダ下がり
周囲の「忙しいのによく頑張ってるよ」もカウンセリング同様
そんなものじゃ何も救われない変わらない
自分が生きてるのか死んでるのかも分からないのに
口先だけで救った気にならないで、行動で示して
救う気なんてないくせに
最初から希望を見せないで
死にたくて死にたくてたまらなくなるこの感覚は去年と同じでやっぱり何も成長していないなあと思う
やっぱり周期的なもので、こういうところが躁鬱なんだろうな
なんて全部他人事
苦しさを真に受けてたって私には対処する暇がない
死ねないから必死に耐えて生きることに精一杯すぎて勉強はおざなり
でもこれは言い訳に過ぎない
療養してる人が働いてないこと、好きなことしかしてないことは許されるのにと思ってしまうけど、しょうがない。その人たちは何もしなくても価値がある。私にはそれだけの価値がない。だから"普通"に混ざらないといけないし必死に食らいついてその生活を満点で過ごさないといけない。現状それができてないから、心無いと思ってしまう言葉を掛けられる。心無いって思うけど私には相応しい対応なんだと思う。
だからいつも死ねと言われている気分になる。実際、言われているのとほぼ同義。だってもうこれ以上頑張るなんてできないから。死んでなくてごめんなさい。でも貴方たちのお望み通り心は死んでるから安心してね。来世は頑張らなくても生きている価値がある人間になりたいです。