夏と秋 生と死 ひとりとふたり 境目にて孤独に立つ姿は それは凛々しく、儚くもある 誰かの祈りが、そこにある
まとわりつくあさのなか せいかつの残り香にかこまれて ひとりの世界にとじこもる ぐるぐると廻る世界のまえで ぐるぐると巡るじぶんをみつめる
修学旅行等を除いて初めて京都にいったのは、高校の卒業旅行だった。 今でも意味不明だけど、4人くらいで行くはずだった卒業旅行が当日気づいたら2人になっていて、190cmと2人で京都に行った。 受験が終わって浮かれすぎていて(&大学デビューすぎて)深みのない茶髪だったこと、タクシーに乗るという発想がない年だから全部の移動を歩きで済ませたこと、若さをこれでもかというくらい感じさせてくる記憶。 今でも定期的に思い出すし、定期的に口から出てくる思い出だから、なんだかんだ楽しかったんだと
1122を見た。見終わってからかなり時間が立つけれども、ふと馳せるときがまだある。そのくらいぶっ刺さるドラマだったんだろうなと思う。 いつもドラマや映画をストリーミングで見るとき、noteの下書きにメモを書いているんだけれども、ふとそのまま公開してもいいかと思った。ので公開する。 セリフのメモと思ったことが混在しているからコレだけ見てもよくわからないだろうけど。 セックスしようよ減るモンじゃないし、(に対して)減るよ 十分コミュニケーション取れてるし、セックスとかいらな
mukugeを締めたEOでライブは始まり、19に繋いだ。(最高だった) アルバムのテイスト的に、もっと日常よりのセトリでも良かったはずなのに、多分あえてラップから入った。 その時点で、強い意志を感じた。 まみこ氏のライブに行った。 流石に感想を起こしておきたい。そう思わざるを得ないライブだった。 ワンマンは2年ぶり。前はEXTHEATERで、どちらかというとコンサートっぽい雰囲気だった。 その時に感じたのは、「友達に向けて歌っているな〜」という感覚。 特にRを歌っていると
日付をタイトルにすると、少し特別感がある。 1日を通して、色々なことがあって、心地が良い日だったから記録に残しておきたい。 朝電車に乗ろうと駅に行ったら、電車が遅延していた。 日常茶飯事すぎるが、今日の遅延は特別で電車が新宿までしかいかないらしい。そこからどうしようかな〜と思いながら電車を待っていた。 インスタを見てたら、まみこ氏のアルバムが出てた。5月のうみとkimochiが良すぎて、朝からため息出る。 28歳というタイミングで、このアルバムを出していることの意味をた
どうしても韻踏みたくて英語を使った。恥ずかしい。カタカナのほうがいいか。 去年から自己紹介プレイリストという試みを始めた。 試み、というほど大層なものではないんだけど、 友達にミックステープを渡したり、焼いたCD渡してたみたいなことで、 自分が好きなアーティストの曲を押し付けるそれである。 新しいコミュニティに出向いたり、人にであったりする時に都度共有している。 意外と年代を問わずに受け入れられる事が多くて、やっぱり音楽は共通言語だなと思ったりする。高橋優みたいだな。
地元をつくりたい。 そんな矛盾を感じるようなことを、24歳くらいからぼんやりと思うようになった。 「地元は出生と密に接している概念だから、そもそも作るものではないですよね」と言われたりするものなら、そうですね、、、、となってしまう。 でも、「第二の故郷」とか「アナザースカイ」みたいな言葉があるように、「地元をつくる」という言葉にも権利が与えられてもいいような気がする。 今も地元がある。 そこには友達もいて、一定の思い出もある。だし、好きだ。 けど、地元っていうほど地元なの
「お父さん、再婚したって」 中途半端に酔っ払って帰宅した弟がぼそっと言った。 全く想定していない出来事が起きると、フリーズしてしまう。 何も言い返せず、結果的に無視してしまった。 「あのさ、お父さん再婚したらしいよ」 2回目だから流石に脳みそが動く。 動くけれども、返事に困る。 誰と再婚したのか、いつ再婚したのか。母親にはどう伝えようか。 どうでもいいと思っていたはずなのに、いろんなことを考えてしまう。 色々考えた末の返事が、「お母さんには言わなくていいから」という全く
週に1-2回しかピアスをつけなくなった。 26歳にもなって今更かよ、といえばそうなんだけど、それでも自分にとっては大きな変化。 年齢を重ねることで、ピアスをつけることの意味が、ただのオシャレからおじさんの作った仕組みへのささやかな抵抗に変化した。 はずなのに、ピアスをつけなくなった。 抵抗心を無くしたわけではない。 ないけれども、仕組みへの抵抗が少しでも見えてしまうことが芳しくない環境に身を置くことになり、ピアスをつけなくなった。 いつかくるピアスの穴が塞がった時、それ
急に春っぽい温度に包まれている。先週までは12月くらいの寒さで、クドカンなら「暦の上ではマーチですが!?!?」とブチギレてしまうなと思ったりした。 身体は春を求めているのになかなかやってこないと、次の春が最後の春になるのかもしれないなと考える。地球というクソでかい存在のことを、1イキモノでしかない分際で心配してしまう。 そんな心配を抱えながらも、コンビニで普通にペットボトルの飲み物を買ったりもするので、綺麗事ばっかでクソみたいだなと思ったりもする。 心では反省反省と思うも
久しぶりに本当に何も予定がなくて、しかも元気な土曜日だった。 「落下の解剖学」という映画を見た。 先月誕生日に、「熱のあとに」を見た時の予告編で初めて見て、記憶に残っていたから。 映画を見た感想をぐるぐる考えているんだが、日記に書き落とすにしては長文になってしまいそうだし、Filmarksは一生続かないので、noteに落とすことにする。 もしかすると、ネタバレを含むかもしれない。 と、思っていたけど、案の定めちゃめちゃ含む。だが、どうせ知り合いの5%も見ない映画だと思うので、
3月になった。日が少し伸びた気がするけれども、変わらず夜は寒いままで。帰る時寒いのやだな、と思いダウンを着て行くけど、昼間は暑かったり寒かったりめんどくさい季節だ。 立春からはすでに1ヶ月が過ぎようとしていて、春とはなんなのかと思ってしまう。それでも、そんなめんどくささより、この先に来る暖かさへのワクワクの方が優っている。 もうすぐ春だよ、っていい言葉だ。 新生活が始まって1ヶ月経った。21歳から始めた社会人生活も6年目に差し掛かっている。早めに歩き出したのか、遠回りをして
めんどくさいし、個人の自由らしいので、令和5年度分からはしなくてokです! 岸田〜〜、あんま国民舐めんな!!!!!!!! 前です。
yonawoというバンドが好きである。悲しくもこの間解散してしまったけれど、好きな気持ちに変わりはなく、むしろ好きになっている気もする。永遠が続くと勘違いしている時よりも、終わってしまった後の方が愛が強くなる。同じ後悔を繰り返している。yonawo houseを残してくれただけでも、気持ちが穏やかになる。 yonawohouseを残してくれたyuyaさんは、ライブハウスでたまに見かける。最後に見かけたのはwwwで。かっこよかった〜。 yonawoを好きになったのは2-3年前