生活の移ろいと変わらないもの
3月になった。日が少し伸びた気がするけれども、変わらず夜は寒いままで。帰る時寒いのやだな、と思いダウンを着て行くけど、昼間は暑かったり寒かったりめんどくさい季節だ。
立春からはすでに1ヶ月が過ぎようとしていて、春とはなんなのかと思ってしまう。それでも、そんなめんどくささより、この先に来る暖かさへのワクワクの方が優っている。
もうすぐ春だよ、っていい言葉だ。
新生活が始まって1ヶ月経った。21歳から始めた社会人生活も6年目に差し掛かっている。早めに歩き出したのか、遠回りをしているのかよくわからないけど、自分の中の厚みは増しているなと感じる。経験は時間差で血肉になるみたい。
今が一番、鉤括弧付きの社会人みたいな生活をしている。
朝は6:30に起きて、近くのゴミ処理場の煙突から煙が出ているのを確認して1日が始まる。1.5時間くらい電車にゆられ、仕事をし、21時には家に戻ってる。お昼はお弁当で、週末に作り置きしたものを毎夜詰めてる。先週作った鱈のムニエルが美味しすぎて、でっかい声でうまっ、と言ってしまった。寝る前は音楽聴いてるか漫画を読んでいるかゲームをしていて、やっぱ夜に聞くCBSはいいなと思ったりしている。
このような生活を好むタイプだったか、と言われるときっとそうではなかったと思う。
どちらかといえば規則が苦手であり、朝起きれないし、無制限に仕事はしていたいと思っていた。勤怠なんて毎朝つけれないし、経費精算も毎月忘れてる。昼夜外食だし、家計簿なんてつけたこともない。日々を回し続けることに精一杯で、気づいたら日々に回され続けていたようにも感じる。
今は真逆の生活をしている。わりかし規則的に生活リズムがあって、勤怠は毎朝つけるし経費精算もできるようになった。平日はお弁当だし夜は自炊、お金の管理もし始めてしまった。寝る前には毎日日記も書いてて、半年も続いてる。1ー2年前の自分が見たら、きっとびっくりしてしまう。
ドラスティックに生活が変化したわけだけど、生活の変化に明確な決意があるわけでも、大きなイベントがあったわけでもない。(まぁあったっちゃあったが)
ただ、19年から21年くらいまで積み上げてきたものに対する自信と懐疑心という、相反するごちゃごちゃした感情を、22ー23年の生活を通してようやく処理できて、それを24年から形に落としているという感覚。生活の大きなスクラップ&ビルドが一周して、また組み立て直す時期に入っているんだなと思う。
立て直し始めで、まだまだ不安定ではありつつ、それなりの納得感と自分の足で歩いている実感を持って、日々過ごしている。
そんな不安定な日々には変わらないものが必要になる。ふとした瞬間に立ち止まれるトリガーがないと、ぐるぐる回り続けてしまって、止まれなくなる。だから、自分が小さいことを自覚できて、かつほんとにその歩き方いいんだっけ?と問いかけてくれる変わらないものが欠かせない。
自分の場合はそれが太陽と空。太陽と空の変わらない綺麗さ、これにかなうものはないと本当に思っている。
そんな話をすると、大抵の人には伝わらないしスピってると思われる。そんな反応にも慣れてしまってオッケー👌、という感じ。
でも、周りに2人だけ、この話に大共感してくれる人がいる。2人が認めてくれていればその感性は正しいというけれども、まさにそうで、その人たちの承認で価値観が間違っていないことを再認識できる。
太陽は毎日同じリズムで動いてるのに、その日の天気によって顔が変わる。空も同じ。そこに変わらずあるのに、日々いろいろな顔をしていて同じ顔の日はない。人みたいだ。
楽しかったね、明日もよろしく!みたいな顔をしてる時もあれば、どんよりしてるけど最後くらい笑ってよ〜みたいな顔をしてる時もある。
海に行く時くらいしか気に留めないマジックアワーが、太陽にとっては日常である。
そんな変わらないものが、少し目線を上げればそこにあることに日々救われながら生きている。
変わっていくものと変わらないものの狭間で、ゆっくりゆられながらのんびり生きていきたいと思う。
3年前くらいにお兄さんに「生活しろ」と言われた。頭ではわかっていた概念が、ようやく日々に現れるようになって気がする。きっとこの生活に納得できるのも、1ー2年後なんだろう。
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