春がきこえる
急に春っぽい温度に包まれている。先週までは12月くらいの寒さで、クドカンなら「暦の上ではマーチですが!?!?」とブチギレてしまうなと思ったりした。
身体は春を求めているのになかなかやってこないと、次の春が最後の春になるのかもしれないなと考える。地球というクソでかい存在のことを、1イキモノでしかない分際で心配してしまう。
そんな心配を抱えながらも、コンビニで普通にペットボトルの飲み物を買ったりもするので、綺麗事ばっかでクソみたいだなと思ったりもする。
心では反省反省と思うものの、きっとこの先も「紙ストローとかクソすぎ」と思ったりもするのでなんとか均衡点を探したい。
なかなか起きられなかったり、お昼を過ぎたら急に眠くなったり、ティッシュを買いにドラッグストアに行く頻度が上がったりすることで春を感じる。
春の気配は街にもたくさん転がっている。
桜みたいな何かが咲いていた。うちの街にはどでかい桜の木があって、毎年門出の時期には満開になって送り出してくれるんだけど、その桜の木は咲いてないからこの写真の花は桜じゃないのかもしれない。答えはわからないけど、咲いてるという事実だけで幾分か心が暖かくなる。
鴨が日向ぼっこをしている。気持ちよさそうで羨ましい。鴨も幸せに生きててほしいなと思うけれども、一番好きな肉は鴨肉で、ここにも自己矛盾を抱えている。感謝をしないと。
洗濯物に虫がついていた。冬に入ると虫ついてることなんてほとんどないから、久しぶりだねと挨拶してしまう(してない)。
春のお知らせだな、と思う一方で、2ヶ月くらい経ったらうぜえと思ってるんだろう。虫を好きになることは金輪際ないだろうから、この瞬間だけでも優しく接していたい。
18:30の空がこんなに明るいなんて、いつぶりだろう。同じ空はないから毎日幸せになれる。空が青いだけで幸福度が高まる。空が無料なのは、やはりおかしい。空のために税金取られるなら、それは本望かもしれない。
街には色々な兆しがひっそりと存在していて、その兆したちが生活を豊かにしてくれているなと思う。
土曜日は最高。散歩も最高。
前です。生活リズムが変わり始めていて、なかなか更新できないですが、月に2回くらいは何かを書きたい。