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"伝えること"と"伝わること"の違い
こんばんは。haruです。
noteを始めて約4ヶ月が経ちました。
4ヶ月を経て私は、文章を書くことに対する難しさを感じ始めました。
その難しさとは「伝えること」と「伝わること」はまったく別物なのではないかという疑問が生じたからです。
これは文章を書くことのみならず、人と人との会話の中でも同様だと感じました。
その難しさについて、今日は思いを綴りたいと思います。
記事の更新頻度が減っている原因
私がnoteを始めて、書いてきた記事の数は約60記事でした。
平均するとひと月に大体15記事程度の更新頻度ということになりますが、月毎で見ると始めてすぐの1ヶ月はほとんど毎日書いていて、それ以降は更新頻度がぐんと減っています。
それは何故か?
始めたての頃は書きたいことが山程あってどんどん更新出来ていました。
その気持ちは今でもあまり変わっていません。今でも書きたいこと、伝えたいことは沢山あるのです。
しかし更新頻度が減ってきていることの原因は「それが一方通行に過ぎない」という事実を実感したからだと思います。
私は自分の記事を振り返って、"伝えたいこと"だけを書いているのではないか?と感じるようになりました。
この4ヶ月、noteとblogで書くということを続けてきて、そしてそれを振り返ったときに、冒頭でも少し綴ったとおり「伝えること」と「伝わること」に大きな違いがあるということを最近自覚したのです。
"伝えること"と"伝わること"の違い
まず伝えることと伝わることには、このような違いがあるのではないかと感じました。
伝えること…一方通行の心情の吐露
伝わること…双方の心情の対話
今までの私の記事は伝えることをメインとして書いていたように感じます。それは別に悪いことでは無いと思っています。日記のように毎日文章を綴る方がいるように、私も思ったことや感じたことをそのまま書くことも決して悪ではありません。
でも、=それが人に伝わっているかどうかは別問題です。
私の一方通行の記事でも、沢山の人がいいねを押してくれることは事実ですから、それはとても有り難い限りです。
しかし、読んでくれている人との対話がしたいという気持ちが生じるようになってしまったのです。
「伝わって欲しい」と感じる自分を意思を無視することが出来ません。
そこで自分の文章力の無さに嫌気が差して、書けなくなってしまいます。
どうしたら私の一方通行の思いを対話に変える事が出来るのか…
如何にも傲慢な考え方です。
この思考をどうにかするには、勉強あるのみですね。
伝わる文章の勉強法
そんな思考をどうにかするのにも、このnoteという媒体はとても便利なものです。
伝える文章から伝わる文章へ切り替えていくための方法を、私はこのnoteから少しずつですが吸収しています。
例えば
・記事の目的を明瞭化する
→訳に立つ記事が書きたい、笑わせたい、とりあえず知ってほしい etc.
・記事を多く書く
→読んでくれる人の数がどれくらい多いか数字で見える
この2点だけでも意識して書くことが出来れば、数字化して見える読者の数を元に、どんな記事の需要があるのかも分かる→記事の改善点が見つかり、さらにブラッシュアップが出来るというわけです。
人に読まれる記事だけを書きたいというわけではありませんが、自分が「これは読んでほしい」と思った記事に対してのフィードバックを数字化して見ることが出来るnoteは(blogもですが)とてもいい勉強の場になると思っています。
読まれる記事を目指して
こうして日々勉強を重ね、いつかは人の役に立てるような文章も、自己満足の文章も、さらさらと書けるようになりたいと思っています。
そのためにはまず自分の中で「役に立ちたい文章」と「自己満足でいいや」という文章の切り替えも大切なポイントになりそうです。
今回の記事は完全に自己満足な文章でした。
ここまでお付き合い頂いた方、ありがとうございます。
今後も私の文章の旅はしばらく続く予定ですが、そんなポイントも今後は意識して書いていこうかな。
という今日のつぶやきでした。