「写らないもの、でしょうか」
こんにちは。haruです。
タイトルは、「四月になれば彼女は」の伊与田春が言ったせりふを引用したものです。
映画が最近公開されましたが、皆さん観に行かれましたでしょうか。
私はまだ観に行っておらず、行きたい気持ちをうずうず我慢しているところです。
さて、そんな今日はまた写真を撮ってきた記録となります。
なんだか私の撮りたいものが分かってきたような気がして、能動的にこうして文章に残している次第です。
私の撮りたいもの
昨日、ふと思い立って夜にカメラを持って車を走らせました。
最近の私は「何処か映えるスポットは無いか」と探し続けていました。しかし昨日の写真を現像して、今日実際に自分の目で確認したときに「場所じゃないんだ」という気持ちが生まれました。
私の撮りたいものは、場所じゃない。リアルだ。
何枚もその場で、被写体をしてくれた青年たちにああでもないこうでもないと指示を出しながら撮ってみたはいいものの、それは指示された動きであって、決して"リアル"ではない。
リアルというのは、そのままの意味でもあるのですが、もう一つ大事な意味もあります。
それは、感情。
この写真には、感情が写っていると私は思います。
撮られる側の少し気恥ずかしそうな姿と、撮る側の意思。
「こういう構図にしたいから、もう少しこっち向いて」
「こう?」
「うーん、もう少し、こう…」
それを伝えあえる二人の関係性。友情。
この写真を見て、「ああ私はこういうものが撮りたいんだ」と思ったのです。
しかしこういった構図も好きなのも事実です。
指示をして、ポーズを取ってもらう。
この写真、自分で言うのもなんですが悪くないとは思います。
ただ、それだけじゃ嫌なんです。そこに何か"気持ち"が乗らないと。
ひととおり写真を撮り終わったあと、彼は「撮られられないからついぎくしゃくしてしまう」と言いました。この写真を撮っていたときも、そんな気持ちが心のなかにあったのかなあと思うと、中身のない写真のように感じてなりません。
ぎくしゃくしてしまうなら、その照れくさい表情ごと撮ればよかった。
これもなかなか好きな写真のひとつです。
夜の交差点。
大きな交差点ですが、一瞬車通りが少なくなった瞬間でした。
ですが喧騒はまだ遠くの方に残っています。たくさんのエンジン音や、信号の音が聴こえてくる感じがしますが、この写真には車が写っていません。深夜の交差点の静寂を思い出させてくれるような気もします。
この写真を見た人は、一体どんなイメージを持つのかな。
静かなのか、遠くに聞こえる喧騒なのか。
まだまだ下手くそなのは変わらないですが、少しずつ、私の撮りたいものが分かってきたような気がして嬉しいです。
被写体の感情、曇ってる日の憂鬱、何か思いついたときのこうした高揚感。
さあ、次は何を撮ろうか。