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【世界遺産 高野山】紅葉前線2023

関西の紅葉の名所の中では、毎年紅葉が早い高野山
それでも今年は一週間ほど、遅れていたのかもしれません。
紅葉ピークの11月初旬に行くことができたので、取り急ぎ紅葉の写真を中心にまとめることにしました。

大阪から日帰りなので朝早くに電車に乗ったのですが、すれ違う戻り電車のほうが混んでるのにびっくり!(ほぼ西洋人の方々。)

南海電車+ケーブルカーに乗り高野山に着くと、下界とは気温と空気がすっかり変わっていることに気づきます。

今年は弘法大師御誕生1250年記念のイベント期間に何度も通ったので、今回は全く無計画。

この日は本数が少ない大門行きのバスも来ていたので、大門 → 壇上伽藍だんじょうがらん →  奥の院 の順にまわることに決めました。
ほとんどの方が奥の院行きのバスに乗ったようで、大門行きはすいていました。

高野町観光協会HPから引用

普段は奥の院行きバスのみの場合が多く、先に壇上伽藍金剛峯寺に行きたい場合は分岐点の千手院橋で途中下車して、歩く必要があります。
それでも日帰り観光の場合は、先に壇上伽藍へ向かったほうがその後バスに乗りやすくなるので、歩く距離は少なくてすむような気がします。

見上げる大きさの大門に到着。
昔の人は歩いて山を登り、ここから高野山に入ったそうです。(1872年までは女人禁制だったので、男性だけが通れた門。)

壇上伽藍だんじょうがらんまでの途中に、祓川弁天はらいかわべんてんがあるのですが、静かで落ち着ける、お気に入りの場所。
ここはの時期も美しいので、おすすめです。

階段を少し登ってお社へ。

お社からの景色

いつも空気が澄んでいて気持ちが良い高野山ですが、紅葉が美しいのでさらに歩くのも楽しい!



壇上伽藍に到着!

根本大塔

朝の光を受けるもみじは、いっそう美しく輝いていました。

いつもは控えめな西塔も、この日はキラキラ。

蛇腹道

紅葉で有名な蛇腹道じゃばらみちの近くに、空海さんの甥で一番弟子だった智泉さんのお墓が、ひっそりとあります。

わかりにくい場所ですが、新しく案内板ができていました。
京都・東寺のお役目で忙しかった空海さんの代理として、高野山創建に尽力されていたそうですが、37歳の若さで亡くなりました。

悟っているように思う空海さんなのですが、我が子を亡くした親のように、悲しみを隠さない記述が残っているそうです。

冬は極寒の高野山で、自分の代わりに無理をさせたことを哀れに思われたのでしょうか。
跡継ぎを亡くした喪失感と悲しみで、いっぱいだったのかもしれません。
※智泉さんは空海さんのような祈りの力(霊力)を持っていた逸話が残っているようです。

この秋、霊宝館で弟子たちにスポットをあてた、企画展をしているようです。


高野山はコロナ前から西洋人の旅行客が多かったので、紅葉シーズンも日本人と半々くらい。

余談なのですが先月、空海さん開祖の弥山みせんがある宮島に滞在した際、ほぼ西洋人ばかりのゲストハウスに宿泊していました。
会話して交流ができたわけでも全くないのに、なぜかできるお手伝いがあればしなければ、と思うようになりました。

不思議とそう思った途端に、『このバスは奥の院に行きますか?』『このケーブルで電車に間に合いますか?』といった内容の質問を、初めて何度か聞かれました。
(英語は話せません!が、なんとか大丈夫でした。)


金剛峯寺には今回は寄りませんでしたが、バスの本数が多い千手院橋のバス停まで歩き、バスに乗って終点の奥の院へ。

企業の大きなお墓の前を通り過ぎると、奥の院の紅葉の名所英霊殿が見えてきます。
普段はとても静かな場所なのですが、紅葉シーズンだけへいわばし周辺は写真を撮る人で賑わいます。

へいわばし
英霊殿

ここから、1200年近くずっと祈り続けてくださっている空海さんの御廟へ向かいます。

天上のようにキラキラ輝く玉川沿い

途中、社務所の手前に休憩所があるので、セルフのお茶をもらって一息つきます。

御廟橋からは撮影禁止の聖域

お参りがすんだあとは、有名な戦国武将たちのお墓が並ぶ小道を、奥の院口(一の橋)まで歩きました。

この道を歩かないで戻る方も多いようなのですが、奥の院の澄んだ空気を深呼吸しながら、ゆっくり歩きたい道です。


奥の院口を出てしばらく歩き、今年できたばかりの新店舗『角濱ごまとうふ』さんでお土産に生ごま豆腐を購入。(高野山のごま豆腐は当日中に食べたほうがよいのですが、他のごま豆腐が食べられなくなるほどおいしい!)
店中でも食べられるのですが、人気店なのでランチ時は並びそうです。
(店舗の写真は、撮り忘れてしまいました。)

燃えるような紅葉!

歩いているのはバス通りなのでいつでも乗って帰れるのですが、紅葉を見ながらさらに歩き、女人堂に到着。(ここまで歩くのは初めてなので、かなり疲れました…。)

女人堂からはバス専用道路になるので、バスに乗らないと帰れません。

女人禁制がなくなるまでは、女性はここまで、という場所。

かつては七つあったようですが、唯一残っている女人堂だそうです。

入ることができない女性は、女人道を歩き弁天岳からお参りをしたそうです。
数年前にそんな歴史を知らずに、この石段に魅かれて山へ入りました。
(この入口、なんだかワクワクしませんか…?)

ほぼ山登りの道のりでしたが、壇上伽藍を上から眺めることができました。
昔なら町から1日がかりの登山なのに、手を合わせるためだけに来る。
女人道は、祈りの道だったんですね。

パワースポットとして人気の嶽弁天だけべんてんを通ってそのまま進むと、最初に行ったの大門の横に出てきます。※に注意!の看板あり

大門側の女人道

私は女人堂から登っていましたが、この大門側から歩く人のほうが多いようです。
今回はあちこちでが出現!のニュースを見ていたため、怖すぎて諦めました。
(でも女人堂のバス停で待っていたら、西洋人女性2人が降りてきていました。)

夕刻の帰りはバスもケーブルも、乗りきれないくらい激混み。
この時期は、できれば泊まりのほうが安心かもしれません。(でも夜・朝はかなり冷えます。)

宿泊や夜の高野山については、昨年の記事を ↓

紅葉の写真メインのつもりが、文章を追加しているうちにどんどん長くなってしまいました。(高野山が伝われば幸せです!)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

もっと高野山について知りたい方は、金剛峯寺さんが公式HPで案内してくださっている『るるぶ高野山』デジタルガイドブックをどうぞ ↓


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