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しぴ研究結社の蔵書点検~ぶりゃんの10冊

研究員の本棚を紹介!蔵書点検のコーナー😚📚
今回はぶりゃんの本を見てみよう♪


あげものブルース

あげものに取り憑かれた三人の男をめぐる数奇な運命

日本のポータブル・レコード・プレイヤーCATALOG

持ち運びできるレコードプレイヤーのカタログ🎵

こんな風にポータブル・レコード・プレイヤーに注目するようになったのは、ぺらぺらのソノシートを本格的なステレオ・セットで聞くのがどうもしっくりこないなと感じたことがきっかけでした。これらのレコードは、そもそもポータブル・プレイヤーで聞いていたのではないか。その方が体感的にとてもしっくりくるのです。<中略>考えてみれば、ヒット曲だって、当時のラジオやテレビのしょぼいスピーカーから流れてくる音を聞いて「ああ、いい曲だな」と思ったり、買ったレコードを、目の前で回る盤を眺めながら何度も何度も聞いたりするその風景とセットで人々の中で馴染んでいったはずです。

pp.2-3

COLUMBIA GP-3

 昨今のアナログ・レコード再流行に後押しされる形で、現行品でもポータブル・レコード・プレイヤーは数多く出ていますが、00年代に入って製造中止になってしまったにも関わらず、近年のポータブル・レコード・プレイヤーと言ったら、これを思い起こす人が多いのでは。
使い勝手の良さに加えて、ハイファイなレコードからソノシート、音楽からおしゃべりまで、何を聞いても過不足無い、バランスのよい音が魅力。電池の保ちの良さにも定評があります。90年代後半のアナログ・ブーム時にたくさんの限定モデルが出るようになり人気が再燃しました。

p.44

NATIONAL SG-503N

死ぬほどカワイイ。キッズ向けプレイヤーでしかありえない品。ターンテーブルのデザインがおもちゃ感満点!!
ふたをしめてもスピーカー穴があるデザインもいいです。まぁ閉めたらかけられないけど。

p.138

ソノシート↓↓

土偶界へようこそ

土偶コレクション。カラーで写真が見やすい✌️

アスファルト土偶

高さ24.0センチ
秋田県大館市 塚ノ下遺跡
大館郷土博物館蔵

悪いことなどしていないのに迫力満点な黒目のせいか、ちょっぴり怖い。目が黒いのはアスファルトが塗られていたからだという。なぜ作り手はそんなことをしたのだろう。もしかしたらこの子は特別な子だったのか。男女の性別など超越したこのシンプルな造形は、縄文人にとって何を意味したのだろう。黒目の奥に、その秘密が隠されている。

p.116
大館郷土博物館

音の鳴る遮光器土偶

高さ14.8センチ
岩手県宮古市 菅ノ沢遺跡
宮古市教育委員会蔵

赤く塗られた痕がはっきり確認できる土偶で、粘土の紐で作られた目と口がぽってりとして、愛嬌がある。その上、X線撮影によって、空洞の体内に粘土の塊があることが分かった、珍しい子だ。振るとカラカラと音がする。粘土は胎児のイメージだったのだろうか。縄文人の子宝に対する想いがぐっと胸に迫ってきて、感動してしまう。

p.144
Discover Japan

↑じっさいに鳴る土偶。この動画ちょっと音が小さい。

民間の古面

天狗面

木地上に黒漆を塗り、その上に朱漆を塗ってある。目・歯は金泥。天狗面の代表的形で、鼻のつけ根から急に高くなり、鼻の先端が上向きになっている。

p.16

鬼面

目鼻口に穴はなく、裏面は扁平で掘り込みになっていない。耳のあたりに紐穴があるが顔にあてたかどうか疑問。裏に墨銘で「永和五年三月十五日 原□(花押)」とあって、未完成でないことが知られる。

p.24

小面(表と裏)

暗黒神話

チブサン古墳や国東半島の磨崖仏などから始まり、ヤマトタケルとブラフマンが一体化する物語。

ゆきゆきて、神軍

昭和天皇にパチンコを撃った奥崎謙三を撮ったドキュメンタリー🎥

奥崎「人類によい結果をもたらす暴力ならば大いに使う」

破壊せよ、と笑いは言った

ギャグ漫画のセレクト集📖

杉浦茂「ブリーフ補佐官」

戦前から活躍する杉浦茂のナンセンス漫画がおすすめ!
この異様な構図。下書き無しのフリーハンドで描いてるらしい。

ギャグゲリラ

赤塚不二夫「大は小をかねない」

飛行場近くをねぐらにする泥棒
耳が遠すぎるせいで大声でタイホ👮

パロディ、二重の声

家から社会は変えられる

ぷろだくしょん我S

ぷろだくしょん我S(以下、我S)は、1969年から74年まで名古屋を中心に活動した作家8名 (途中から6名)で構成された前衛美術集団。グループ名の我Sは「個人としての自己主張でなく、皆を抱え込む屁のようなイメージ」に由来 して、「我」の複数形と「ガス」を表したものだという(高橋綾子「青春と蕩尽の匿名藝術「ぶろだくしょん我S」におけるポスト反芸術」、『REAR』 no.14、2006年、pp.49-53参照)。5年間の活動期間において我Sが発表した作品は、いずれもハプニング、イベント、パフォーマンスのような行為の芸術であったが、彼らの特質は、とりわけレコードや週刊誌といった当時の風俗と情報産業を代表する媒体を徹底して活用した点にある。

ザ・フォーク・クルセダーズのヒット曲「帰って来たヨッパライ」(1967年)風の早回しや読経のような節回しなど、一風変わった曲目を収録した自作のレコード 《我S DISK》は、木製ジャケットから帯や歌詞カードまでを機械生産に近似した品質で自作販売し、パロディ・マガジンと言うべき《週刊週刊誌》に至っては、本当の週刊誌として名古屋市内の販売流通ルートに乗せた。表紙以外の全ページが白紙の週刊誌 (次第に話題となって発行1100部の4割を売り上げるほどにもなったという)を半年にわたって刊行し続けるという、実際の市場に潜伏した表現行為は、ちょうど同時期に盛り上がりを見 せた大衆誌に反した少人数向けのミニコミ誌運動をもう一度裏返すような、類例のない荒業と言える。情報の洪水を疑問視してナンセンスに徹するという発刊の辞からは、本展出品の島州一や郭徳俊らと共通する姿勢も窺えよう。

p.79
週刊週刊誌

人間は盗みズラ

長谷邦夫

今日の二次創作の原点と言えるパロディ漫画の領野を切り拓いた長谷[ながたに]邦夫 (1937 年-)。貸本漫画を経由して、1960年代に石森章太郎や藤子不二雄らが設立したスタジオ・ゼロに赤塚不二夫とともに参加、次いでフジオ・プロダクションに参加した長谷は、永井豪による石森のパロディ 「豪ちゃんのふあんたじぃ・ わらうどバン」(『COM』68年4月号掲載、「章太郎のファンタジーワールド ジュン」のコマ割りや場面を参照したもの)に感化され、翌年からパロディ漫画シリーズを『COM』誌上に発表。同時代の人気漫画の描法を次々と飲み込んで滑稽化し、70年からは『バカ式』をはじめと する6冊のパロディ漫画集を刊行した。

あえて「盗作」と銘打った(パロディという言葉の認知度の低さ、児童を含む読者に対するわかりやすさなどが理由だったというが、自ら盗作を開き直る態度そのものがパロディ的である) その作品群には、形式としては翻案、パスティーシュ、パロディが入り混じるが、つげ義春の「ねじ式」の主人公をバカボンのパパに挿げ替えた「バカ式」は代表的なパロディだろう。疑似 「ねじ式」の世界を彷徨うパパは、ギャグ漫画における文脈を無視した荒唐無稽な論理と、つげ作品の根にある脈絡を切除するシュルレアリスムの方法の構造的な類似をさらけ出していく

表向きはパロディながら、長谷は当時「ねじ式」を芸術として激賞した天沢退二郎などの評論家への批判を込めたという。「僕はむしろ漫画批評家たちに対して [・・・] 「余計なことを書くから、つげ義春が描けなくなるんじゃないか」と思ったわけです。「つげの作品は深遠で高級だ」と言われれば言われるほど、つげさんは困るわけです」。石子順造らが『漫画主義』(1967-74年)を始めたこの時期、思弁的で高踏的な漫画評論に対する長谷の疑念は深く、それらに対抗して作家の立場から、つげの「でたらめなものがつながっているというおもしろさ」を誇張すべく、パロディの形式を選んだのである(以上、「類例なきパロディ漫画に向かって——長谷邦夫さんに聞く」、『彷書月刊』2000年6月号を参照)。

なお、掲載するパロディ漫画は長谷がフジオプロに所属していた時代に、赤塚不二夫のキャラクターなどを用いて制作した作品である。

p.106

長谷邦夫のパロディ集…高い😇💴

響きあう身体

響きの経験とは、生きられる中心で起こっている出来事に関する身体的経験である。響きは、直接的で内向的であり、個人的で親密な感覚をともなっている。さまざまな響きはまき散らされながら、身体という中心において接近しあい、密接につながりあう。<中略>その感覚は皮膚にとどまるのではなく、身体の内部にまで達して、内と外の差異や、「ここ」と「そこ」の差異を弱める。この侵入力はいうまでもなく、響きの内向性や直接性によるものであるが、それは身体の深いところに心安まる感覚や陶酔をとどけるとともに、はかなさや脆弱さをももたらすのである。

響きは、その直接性と内向性とによって、わたしたちという存在の「生命の中心」に触れ、それとともに共鳴する。すなわち響きの経験というはかなくもか弱い経験が、わたしたちが世界に生きているという感覚を強化し、わたしたちと世界のきずなを肯定し、両者の統一感を強めるのである。 響きはまた、身体への浸透力をとおして、身体の「内=ここ」と「外そこ」の対立を中立化し、わたしたちが「世界内存在」であるという感覚を育んでくれる。響きの経験は、ほかの経験ではありえないようなやりかたで、わたしたちと世界との心地よい結びつきや、わたしたちが「生きていること」それ自体を肯定するのである。

p.14

響きというものを肯定的に捉えすぎじゃない?
ドラムの響きで人を殺せるという、ミルフォード・グレイヴスの立場はどうなる?

結び

ぶりゃんの本棚はここまで!
他研究員のコレクションも乞うご期待😂

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