美術の実験のはじまり
ギリシャの都市国家のなかで、美術史上とびぬけて有 名かつ重要なのがアッティカ地方のアテネである。なんといっても、美術の歴史全体を通じて最大の、 もっとも驚くべき革命が、 ここアテネで実を結んだのだ。この革命がいつ、 どこで始まった かはよくわかっていない。それはたぶん、ギリシャで最初の石造の神殿が建てられたのとほぼ同じ頃、紀元前6世紀のことだっ ただろう。それ以前、古代オリエント帝国の芸術家たちは、独特の完成形を追求してきた。彼らは父祖伝来の美術をできるだけ忠実に守ろうと心がけてきたのだ。いままで学んできた神聖な法則 を厳密に守るのが彼らのやり方だった。
これまでは、形式を教わるだけだった。現代で言わば、学習塾で受験に受かるために学び、プログラミングスクールで、就職のための必要最低限のコードを書くためにあるような、そして伝統的な型を守ることに重点が置かれていました。
そのことがすべて悪いとは言わない。法則を守ることで、高い品質を、多くの人々が技術を身につけ何千年もの間その品質を維持、私たちが今でも過去の作品を目にできるのは、そのおかげとも言えなくはないと思います。
この彫像を作った芸術家は、どんなにすぐれた定式でも、ただ定式に従うだけで満足できず、みずから実験に乗り出そうとしている。たとえばこの作者は、明らかに、 膝が実際にどう見えるかを自分の目で見て探りだそうとしている。 努力が実を結んだとはいいにくい。手本となったエジプト彫刻の膝にも劣るかもしれない。しかし、大切なのは、作者が古い定式に服従するのではなく、自分の目で見ようと決意したことだ。
実はエジプトにおいても、文化交流の中で、新しい情報に触れて、こうした試みはあったが、実は何度か失敗に終わっています。新しい取り組みを成功させるのに必要な、違いはなんだったのでしょうか。
エジプトの美術は知識にもとづくものだったが、ギリシャ人は自分の目を使いはじめたのだ。いったんこの革命が起こったとなる と、もうとめようがなかった。彫刻家たちはそれぞれの工房で人体表現の新しい考えや方法を実験した。 新機軸が打ち出されると、だれもが熱心にそれを取り入れ、自分自身の発見をそれに加えていった。
それはいかにも、親御さんがさしたる課題意識や子どもの成長を親身に考えたわけではく、流行っているという知識や情報に基づき、プログラミングをやらせることに似ていると思いました。知識ではなく、心から揺さぶられるような想いが、創作する意欲を突き動かし、新しい実験の取り組みを成功させるのだと思ってなりません。