家族との距離は「脳内物質」によって決まっている!
今日は、家族との距離感が脳内物質によって決まっている、というお話です。内容としては「性格分類論」になります。
とはいえ、性格分類をして「あなたはこういう性格分類、プロファイルの方なので家族との距離は〇〇な感じですよ」と、詳細に分析をしてレッテルを貼る、決めていくものではないです。
今、さまざまな家族の形態や距離感のなかで、ひょっとしたらお悩みになっている方もいらっしゃるかもしれない。あるいは「そうでもないけれど、家族との距離感は、どうなっているんだろう?」と思っていらっしゃる方にとって、ひとつの新しい見方、知見として、それを今日のお話で受けとってもらうところが主眼になります。
これから脳内物質によってプロファイルのようなお話をしていきますが、みなさんがどのプロファイルに当たるのか、というお話はあえてしないつもりです。なぜかというと、むずかしいからです。パッと見ていただいただけでは「私はここ」というのがわからないのです。それによって誤認をされてしまう方が怖いと思っています。
なので、家族との関係はプロファイルによって決まっていますよ、こういうものですよ、というお話をしていきたいと思います。
そのプロファイルは「トライアングル」といわれているものです。どこでいわれているかというと、僕がずっと研究を続けている「エニアグラム」という界隈なんですね。エニアグラムは「9つの図」という意味で、9つのタイプにわかれています。
9つにわかれる前、大きな3つ組がいくつかあります。「センタープロファイル」「ハーモニクスプロファイル」「ホーナイプロファイル」といわれています。まず3つにわけて、その3つの中に3つ入っていて3×3で9になる、というようになっています。
このホーナイ・ハーモニクス・センターに関しては、エニアグラムにもいろんな学派がありますが、すべての学派で9つの前にこういった3つのわけ方がありますよ、といわれています。
プラス、もうひとつ。「トライアングル」と呼ばれるものがあります。でも、このトライアングルはすべての学派がいっているわけではない。まだ研究途上のものです。
では、このトライアングルが何かというと、親子関係です。家族との距離感というか、今日は親と子の関係で、このトライアングルがあるというのをご紹介していこうと思います。
トライアングルの3つ組は「拒絶の関係」「フラストレーションの関係」「執着の関係」です。これは生まれた瞬間に「執着の関係」の人たちは執着をもって生まれてきていて、拒絶の人は拒絶をもって生まれてきていて、フラストレーションの人はフラストレーションを抱えて生まれているという。それで、それは死ぬまで変わらないっていう考え方なんですね。
実際に家族との関係が執着だったり、拒絶だったりフラストレーションだったり、ドンピシャでいっていない場合もあります。僕もこの研究、自分の「サブリミナル心理学研究所」でやってきましたが、ドンピシャじゃない場合もあります。家庭環境でさまざまなパターンがありますので。けれど、「大枠そうだね」みたいなことになるという不思議なことがありました。
ちょっとイメージしていただきたいのですが、僕は弟がいるんですけれど、兄弟がいらっしゃる方、姉妹がいらっしゃる方は、自分と弟、あるいはお姉ちゃん・妹との親との関係「距離感が全然違うな、何かな?」「これどうしたんだろう?」と不思議に思った、そういう経験がある方もいらっしゃるのではと思います。
僕も本当にそうで、弟はけっこう親との距離感が近いんですよ。僕は遠くはないですけれど、弟に比べると遠いんですね。父は亡くなりましたので、母がまだ存命なんですけれど、何か困ったことがあると僕ではなくて弟に電話します。「母も距離感が弟の方が近いんだろうな。なんでかな?」みたいにして思っていたりしました。これがまさに拒絶、フラストレーション、そして執着の関係みたいなことだと、僕は今は納得しています。
執着の関係は、言葉がまたね。すごく強いので……。親に対してものすごく執着がある、と捉えがちですが、親との距離が近いと思ってください。執着の関係の中にさらに3つのタイプが入っていますが、お母さんとの距離が近いタイプとお父さんとの距離が近いタイプと両親との距離が近いタイプです。
いずれにしても、仲が良いです。もちろん反抗期もあったでしょうけれど「全体的に仲良いですね、親と」とか「親とそんなにケンカしたことないし、今もとても仲がいいです」とおっしゃる方って、この執着のグループの可能性がすごく高いです。さっきお話した、僕の弟。執着のグループにいるんですね。なので「すごく近いんだろうな」「仲がいいんだろうな」と感じています。
次が拒絶なんですけれども、拒絶という言葉がまたすごい強いので、バーンと親を切る感じに聞こえますが、そうじゃない。距離感がすごく遠い感じだと思ってください。「親は親として、リスペクトしますよ」「ちゃんと愛情もありますよ」ということですが、「ここからは僕の領域」「入らないでね」という、この距離の遠さというか1枚壁がある感じ。「親は親」「僕は僕」「私は私」みたいな。そういう距離感のとり方をしているのが、この拒絶のグループといわれている方々です。
拒絶のグループの方々と話をすると、人生の大事な話。たとえば大学を決めるとか就職を決めるとか結婚を決める、みたいなこともほぼ自分でまず決めて、それを事後報告的に親に話すみたいな方々がとても多いですね。
なので、「たしかにうち、別に親とそんなに仲悪くないし一緒に旅行も行ったりするんですけれど、『ここからは入らないでね』というこのバリアというか、エリアは確実にあります」とおっしゃる方々が、このグループだったりします。
フラストレーションのグループは、気を引こうと思っている人たちなんですね。ここも母親的なもの、父親的なもの、両親的なものがあったりするんですけれど、お母さんの気を引こうと思って活動をする。けれど、それは満たされない。だからフラストレーションがたまっていく、みたいなことですね。なので、これが一番わかりづらいと思います。
執着のグループは距離が近くて仲がいい。拒絶のグループは仲がいい悪いは別にして、距離は遠い。自分の壁をもっている。フラストレーションのグループは近づいていくんだけれど、満たされない気持ちを抱えているというような感じなんですね。僕自身はフラストレーションのグループに自分は入っていると思っているんですけれど、たしかにそれはあると思っています。
弟に電話したっていうと「え、なんで俺に電話してくれないの?」って思いながら「電話してもらっても重いしな…」みたいなところも同時に思ってしまう。ちょっと「親に対して何をしゃべったらいいんだろう?」とか「どう振る舞えばいいんだろう?」と考えちゃうんですよね。執着しているわけでも拒絶しているわけでもなく、「どうしたらいいかわからない」みたいな。そんなようなものが自分の中にあったりする。
ということで「期待に応えたい」といってもいいですし、「認めてほしい」といってもいいかもしれないですね。それはいつまで経っても叶うことはない、満たされることはない。それがフラストレーションになっていく、と。そんなようなところです。
冒頭にもお話しましたが「自分はどれなんだろう?」と考えこんでいくと、これ、たぶん迷路に入っていくと思います。なぜかというと、まだ確立している考え方ではなく、研究途上にあるものだからです。
「自分はどれなんだ」とはまりこむのではなくて、家族の中でとか、あるいはパートナーの中で、「自分のパートナーはめちゃくちゃ親と仲良いのに、僕はどうして……」と思ったとき、ひょっとしたらその仲がいいパートナーは執着で、自分は拒絶なのかもしれないな」と。そう思うと、少し家族との距離感が楽になってくる、思いつめないようになってくるんじゃないかなということを考えて、今日はこのお話をみなさんにしております。
くり返しになりますが「わかんねぇ!僕はなんだろう?」「私はなんだろう?」と、ハマりこまないようにしていただきたければと思います。以上、トライアングルのお話でした。
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