江戸時代に生まれた「通俗的道徳規範」という右の車輪と、左の車輪の不在について。

先日、著述家の菅野完氏がfacebookの投稿とYouTubeで語られていた、西洋社会で生まれたプロテスタンティズムと、日本の江戸時代の民衆から自然発生的に生まれた「通俗道徳」との類似性と、相違点のお話がとても良かったです。

それは、端的に云うと「人権意識」がなぜ西洋社会では根付き、日本社会では根付かなかったのか?という、重要な教養を学ばせていただいたからです。そこで、今回はその内容備忘録としてまとめ、一つの提言をしてみようと思います。


端的に云うと、西洋社会で「人権意識」が根付いたのは、プロテスタンティズムの根幹にある「人はすべてを創造した神において皆平等である」という思想観念が浸透したからだというものです。

一方、日本社会にはそのような「人権意識」を生むような「左側の車輪」を生む精神的土壌がなかったので、資本主義経済と「通俗道徳」との相性は良いので経済的な進歩発展はするのだが、もう片方の車輪が無かったがために、一方向しか進まないがゆえ、同じ過ちを繰り返すのだと。

※上記のリンク動画の1時間9分ごろから、日本の「通俗道徳」についての教養のお話が始まります。

その論考を通して着想したのが、日本社会に、「人権意識」を生むもう一つの車輪となるのは、「アニミズム信仰」ではないだろうか?ということです。

なぜなら、四方八方を海が取り囲む豊かな自然に囲まれた島国だからこそ、長年の厳しい自然環境との共存共生によって、人間の力ではコントロールできない森羅万象に対する畏怖や畏敬の念を抱きやすい環境にあった日本人には、アニミズム信仰が遺伝子レベルで自然に根付いて、「あらゆるモノに神を観る精神」として、「人権意識」を持つ上での「左の車輪」となり得る精神的土壌が今も潜在的にあるのではないでしょうか?

また、伝統的な日本発祥の禅や神道、能や落語などの「型」の文化のルーツには、アニミズム信仰があり、それは日本人の精神の源流として今も脈々と受け継がれ、日本人の深層意識に今も流れていると考えるからです。
だから、日本社会の「左の車輪」となる概念となる土台が、日本人の精神の内奥に息づくアニミズム精神として底流しているのが、『型の道文化』にあるのではないかと思っています。

そうした、「アニミズム的感性」を通した道の文化の再発見と復活が、日本社会に「人権意識」が根付くための大きな土壌となりえるのだと確信するからこそ、現代の日本を生きる一市民として、そこに一縷の希望の光を観るのです。

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