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給湯室で踊る

 働くことは、なぜかくもつらいのか──

 見回せば、世の大多数の人間が、平気な顔をして働いているように見える。そんなとき、孤独を感じる。どうして、私には、働くということがこんなに苦痛なのだろうか、と。

 誰しもが楽しく働いているわけではない。今日は仕事に行きたくない、という人だってたくさんいるだろう。私たちが呼びかけるのは、働くことへの苦痛がさらに深く心に根を張り、とうてい無視できない人たちすべてだ。

 「働く」ということについて、語り合う場をつくることはできないだろうか。そう思い、私たちは「給湯室で踊る」を立ち上げた。

 「給湯室で踊る」とは、どういうことなのか。

 私たちは働くとき、労働に関わること以外の身体の動きを許されていない。そのように感じる場面が私には多くある。疲れたからといって好きなだけ横になることはできないし、落ち着かないからといって自由に歩き回ることもできない。規律は私たちの身体を縛りつけ、ついには精神にまでも労働の論理を埋め込む。

 そういった支配に抗うことはできるのだろうか。私たちが出したひとつの答えが、「給湯室で踊る」ことだ。

 実際に給湯室で踊ってみてももちろんいい。しかし、「給湯室で踊る」が提示することはそれだけではない。あらゆる支配の目をかいくぐり、自分だけの時間を取り戻すこと。心の豊かさを追求すること。

 声を上げるだけが抵抗じゃない。抵抗の声すら環境に奪われた人々がいる。そうした人たちが、せめてささやかに抵抗できることがあるとしたら──それは、労働のさなかに、それぞれ自分なりの時間を取り戻すことだと私たちは考えた。

 私たちは、私たちの活動を通して、あなたにあなたなりの「給湯室で踊る」手段を見つけてもらえたら、それよりも幸いなことはない。

 私たちの活動は、労働についてそれぞれの考えや思いを共有し、語り合うことのできる「開かれた場所」をつくることを目指す。具体的には、労働にまつわる本の読書会を開催したり、Twitterのスペースを利用して会話をしたり、肩肘はらずに働くこと全般について話し合える空間を作っていきたい。
 また、その活動をまとめて、noteのマガジンとして公開していく予定だ。

 第一回の読書会は、2023年11月12日。課題図書は佐藤忠男の「映画が語る働くということ」という本だ。

 「給湯室で踊る」という言葉に、少しでも惹かれてくれたあなたにぜひ参加していただけたら、私たちはとても嬉しい。

 私たちの読書会は、勉強会ではない。お互いを評価し合ったりする場でもない。目的を定めてそれに向かっていく趣旨もない。ただおのおのが思ったことを、気張らずに話せるような空間作りに私たちは尽力したいと思っている。もし、なにか課題を課して、それを達成するような場になってしまったら、それこそ私たちがまさに苦しんでいる働くことと変わらなくなってしまう、と考えたからだ。

 私たちは、働くことが苦しいあなたと話がしたい。どんな話でも聞きたい。逆に、私たちもどんな話でもしよう。そして、ともにこの苦しさについて考え、なにかのヒントを得られたのなら、もしかしたら明日給湯室で踊る勇気が生まれるかもしれない。

 私たちを支配する苦しみの目を盗んで、豊かな生活を取り戻すために。

 一緒に、給湯室で踊りませんか。

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