問いと直感、その関係性について
「問いと直感」とはいったい何者だろうか。
今日はそんな問いに対して答えを出してみようと思う。
問いと直感
これらは一見、相反する概念のように見える。
うむむ、と悩んだり、考えたりすることが「問い」をすることであり、直感とはその工程をすっ飛ばして「ビビッ」と頭に答えやひらめきが思い浮かぶことだ、と認識している人が多いのではないだろうか。
その考え方にぼくも概ねは同意する。
さらに詳しくぼくの考えを付け加えると、
「問い」とは問う対象にまつわる「こと」や「それ自体」に質問をすること。
例えばそれは
「にんじんが自然に与える影響とは?」(こと)
「ニンジンの黄色はなんの成分か」(それ自体)
であるとぼくは考える。
一方、「直感」とはこれまでにぼくたちが「問い」に対して暫定的に出してきた「答え」の新たな組み合わせではないだろうか。
この「答え」についてもう少し詳しくぼくの考えを述べると、それは「経験値」であり、既存の知識と言い換えることができるものだ。
つまり既知の知識・知恵が何かと繋がる瞬間、これが直感のフィールドであり、それはひらめきとも言い換えることができるだろう。
何かを直感的に感じとるとき、その背景には膨大な経験とそれに伴う知識が必要になるはずだ。
そして
「この問題、進研ゼミで見たことある!」のセリフは新たな発見や知見を得たことを示すものではないが、これまでの経験が目の前の何かと繋がった瞬間であり、これもまた「直感」の一つであるだろう。
つまり「問い」と「直感」には前後関係がある。「問い」 (と答え)が示すこれまでの経験や既存の知識が前提となり「直感」が生まれる。
直感が新たな問いを生み出すこともあるが、「問い」が「直感」を置き去りにして僕たちの頭の中に浮かぶことは決してないだろう。
もしもそんな状況があるとすればそれは「夢」や「妄想」であり、直感とは違うものであるはずだ。そしてその夢や妄想を「直感」であったと捉えることはできないだろう。
「直感」とは今までに集めてきたジグソーパズルのピースが急に、1つに揃った瞬間であり、“どこにどんな形のピースがはまった結果のものか”の区別はつきにくい。しかし、完成したジグソーパズルを壊して後からピースの分類をすることは、僕たちに示唆に富んだ新たな知見を与えてくれるのではないだろうか。