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いち障害者が考える「これからの仕事術」

 いきなりだが、私はいわゆる「社会人経験」というものがゼロである。単純に言えば、フルタイムで働いたことがない。アルバイトの最長記録は四ヶ月半、最短は三時間。バイト探しは何度もしているが、いわゆるガチの「就活」は、経験がない。

 申し遅れました、私は八壁ゆかり(「やかべ」だよ、「はちかべ」じゃないよ)。んでもって、15歳で精神疾患を発症した精神障害者です。
 病歴は20年以上。その長さに別に誇りや自負は持ち合わせていないけれど、色んな人々と接したり、なかなかレアな体験をしてきた、という自覚はある。

 今回はそれらを交えて、「これからの仕事術」について語る。最後まで付き合っていただければ幸いである。

「オープン」と「クローズ」

 皆さんは、就労に望む際、「オープン」「クローズ」という選択肢をご存知だろうか。
 これは、自分自身の精神障害について、雇い主に打ち明けるか、隠して働くか、という意味である。
 今でこそこうしてオープンで仕事をいただき在宅でお仕事をさせていただいている私だが、私の若い頃、それ即ち大昔、世間にはまだ精神疾患に関するネガティブなイメージや先入観、忌避感がバリバリ残っていた。
 だから私は隠して、つまり「クローズ」で働くしかなかった。

 加えて私は身体も弱い。立ちっぱなしでいると貧血を起こしぶっ倒れる。
 だから実家時代、換言すれば『哀愁のチバラキ』でのバイト探しは困難を極めた。条件が多すぎて、あんな田舎には私ができるようなアルバイトはほとんどなかったし、あったとしても医者の提示する「就労時間の目安」から大幅にはみ出ていた。ちなみにその当時の私の労働時間の目安は、一日四時間週三回、であった。ねーよ、そんなバイト……僻地には……。

「健常者のふり、健常者のふり……」という呪文

 最長記録のバイトは、コールセンターでの受信業務であった。
 これは夜四時間、週に三、四回のバイトで、コールセンターという環境の性質上、二回は休憩をもらえたので楽だった。

 最短記録は、成田空港まで足を伸ばした接客業的なナニカ。
 事前に担当者に「立ち仕事はできません」と念を押していたにも関わらず、いざ入ってみたらカウンターの奥で立ったり座ったりを繰り返す業務で、結局自律神経やられて二時間で視界の四割が銀色に光るキラキラで覆い尽くされ、嘔吐し、早退しようと思ったらすでに私の同意なしで翌朝のシフトが入っていたので、退職願を出した。

 ドクターストップで辞めたバイトもあった。喫茶店でのバイトだ。
 私はクローズで働いていたが、そこの制服は半袖だったのだ。つまり、私が若い頃にガンガン切りまくっていた自傷行為の傷跡が丸見え、という状況。
 寒い時期は「冷え性なので」と言って長袖の羽織り物を着て隠していたが、暑くなってくると流石に不自然になってきた。医者との相談の末、傷を隠さずバイトに行くことになった。
 結果的に反応は二つに分かれた。一緒に入っていた同世代の女子は、おずおずと、

「それ、自分で切ったの……?」

 と尋ねてきたので、「いや〜若気の至りっすよ〜」と受け流したが、問題は別の曜日に一緒に入っていた中年女性であった。
 彼女はストレートには聞いてこなかった。誘導尋問。私が自白するような会話をするようになった。
 たとえば、客がいない時に、鬱病の特集記事を読みながら、

「まあ最近は、こういう病気をカミングアウトするのも、珍しくないわよねぇ?」

 と、言って意味深な流し目を寄越してきたり。
 だけど私は、あくまでもクローズで押し通した。
『健常者のふり、健常者のふり……』と、内心で魔法の呪文のように唱えながら。

 しかし限界はやってきた。
 主治医が、「診断書を書くからもう辞めなさい」と言ったのだ。
 内心でホッとしながらも、それを提出しに行くと、上記の中年女性はまたぶちぶちと嫌味を垂れながらしてきた。詳細は省くが、最後に彼女はこう言った。

「こんなに簡単な仕事ができないんじゃ、社会に出られないわよ」

 皮肉なことに、これはその後数年間、呪詛のように私に絡みつくことになる。 

オープン&在宅、楽ぅ〜!

 そうこうしている内に夫と出会い、一年交際してから上京した。
 東京なら、私の条件に合うバイトなりパートがあるだろう、と思っていた。
 実は私は十代の頃、ニューヨークで一年生活した経験がある。今でこそ「留学」と言うが、当時私は本気でNYに永住するつもりだった。向こうでは英語学校を経て大学に通っていたが、自傷行為の悪化が親にバレ、相性の悪いセラピストに当たったこともあり、父が即日JFK空港に降り立ち、強制帰国(精神的に)と相成った。

 だが、私の英語のスキルは錆び付いていた。2006年に英検準一級、2013年にTOEIC840を取得したものの、周りは900越えしかいないので何の自慢にもならないし、当時は860以上ないと上級者とは見られなかった。

 ところで私は文章を書くのが好きだ。
 特に小説を書くのが好きで、今も新人賞に応募予定の話を詰めているし、気晴らしにカクヨムに軽い読み物を投稿してもいる。

 上京して慣れない家事に目を回しながら、それでも私はバイトを探した。数件応募したが、良い結果は見られなかった。

 そんな折り、以前私が自分の精神疾患について書いたものを読んでくださった編集者さんからお声がかかった。

「こういうものを書ける人を探してるんですが、書いてみませんか?」

 やります書きますやらせてください! と即答した。
 WEB媒体だったので、リアルでの打ち合わせは一度だけ。あとはスカイプやメールでのやりとりで、全11回の連載を書ききった。
 その編集者さんは元々私の精神疾患をご存知だったので、「八壁さんのメンタル最優先で、連載完結が目標です」と、様々な配慮をしてくださった。

 無論、連載テーマがめっちゃ重いものだったので執筆は熾烈を極めたが、私は初めて、

「私の文章力は、金になる」

 という大発見をした。
 そしてそれを機に、どんどん自分でサンプル原稿を書いては自分に合いそうな媒体に送りつけて、単発の寄稿や連載枠をもぎ取ったりしてきた。もはや殴り込み営業である。

 ライター業務は、もちろん在宅&オープンでの仕事だ。

 これがまた気楽でな!!

 オープンだから、納期を長めにとってもらえたり、ノルマや〆切りがなかったり、様々な配慮をしていただける。

 さらに「通勤」という行為がない、これは予想以上に楽なことだった。
 私の症状のひとつに、「聴覚過敏」「人混みが無理」というものがあり、ラッシュ時の電車なんか乗れるわけがないし、乗れたとしても立っていられないし最悪嘔吐する。
 自宅ないしは近隣のカフェで原稿を書く、時間になったら家事をする、という生活リズムができあがっていった。

 また、英語力についてだが、これは某アプリで知り合ったアメリカ人の女性のおかげで飛躍的に向上した。最初の音声通話で一気に「ベスト・フレンズ」となるほど意気投合し、以降半年以上、彼女と毎日最低一時間、ビデオ通話で喋りまくる、という習慣を続けた結果、元から得意だったスピーキングと、やや不得手だったリスニングも格段に上達した。 
 今年中には、オープンでは無理かもしれないがオンライン英会話講師の仕事を開始したいと思っている。

 ここでひとつ、付記しておきたいことがある。
 私には、たまたま「文章を書く」という趣味があり、たまたま「英語が話せる」というスキルがあった。
 もしこれを読んでくださっている方の中に、

「僕・私にはそんなスキルはない……」

 と項垂れている方がいたら、私は声を大にして言いたい。

 私は文章力も英語力も、生まれ持った才能などではなく、自力で努力して会得した、ということだ。
 私にだってできたんだから、きっとまだ、遅くない。
 もちろん、皆が皆、何らかのスキルを100%習得できるよ★なんて無責任なことは言えないが、「特技」や「やっていて苦にならないもの」はいくつか自覚的になっていてもいいかもしれない。

希望:障害者雇用の拡大と、差別・偏見の根絶

 私の知人や友人、親戚などで、障害者枠で働いている人々が少なからずいる。
 雇用主や職場の環境次第ではあるが、彼らが多く訴えるのは、健常者社員との「扱われ方の差」だ。腫れ物扱いされたり、逆に厄介者扱いをされて悪目立ちしてしまう、といった体験を何度か耳にした。

 また、よくある話だが、「軽く見られる」、「なめられる」、「能力が低く見られる」という声も多く耳にする。それはその人次第だが、言うまでもなく残念でならない話だ。
 精神疾患を抱えていてもIQが非常に高く、特定の分野においてはその辺の健常者よりも突出した結果を出す人もいる。あくまでたとえ話ではあるが。

 こうした精神疾患を抱えた労働者への差別や偏見は、国が抜本的改革で以て根絶すべき事案だ。
 それに、彼らを「軽く見る」人々にも、私は警告したくなる。

 だって、誰がいつどういったきっかけで精神疾患を発症するかなんて分からないじゃないか。

 たとえばこの記事を読んでくれているあなたが精神疾患を持たない健常者で、フルタイムで働いている人だとする。
 あなたは定年まで、絶対に、「精神を病まない」と確信を持って宣言できますか?
 もしかしたら仕事が激務になって鬱病を発症したり、何らの事故に巻き込まれてそれがPTSDとなって通勤が困難になったり、ストーカーが現れてその恐怖から強迫性障害を発症したり、例を挙げていけばきりがないが、そういう可能性が、「絶対にない」と言い切れますか?

 精神疾患は、誰がいつ落ちるか分からない落とし穴のようだと、私個人は考えることが多い。
 昨日まで嘲笑していた障害者に、明日はあなたがなっているかもしれない。決して遠い世界の出来事や他人ごとではないのだ。

個々人のワーキング・スタイルを尊重できる社会へ

 だからこそ私は、今回の新型コロナウイルスという脅威がもたらしたものの『よかった探し』として、テレワークの一般化や、オフピーク通勤の上昇などを、コロナ収束後も残すべきだと思う。

 もちろん、通勤が必須の業務もある。
 私の父は建設系の会社に勤めているので、現場を見に行かなくては仕事にならないし、接客業やその他、もう少し話を広げると舞台や映画、ミュージシャンのライブなども今悲惨な状態にあることは言うまでもない。

 在宅勤務が一般化すれば、これまた極端な話だが、「株ニート」なんて呼ばれていた人種だって立派な労働者として換算されるだろうし、私だって在宅ワーカーとしてもう少し胸を張れるだろう。

『みんな違って みんないい』

 この有名な一節は、個人的な解釈だが、「みんな」から取りこぼされてしまった人々もいるのではないかと、私は勝手に邪推してしまう。
「みんな」の輪に入れなかった人間もいる。そういう人種は「違うみんな」からさらに「違う」。

 だから私が希求するのは、まずそういった人々の認知と、彼らの生き様、ここで言えばワーキング・スタイルを、尊重することだ。
 容易なことではないし、時間がかかることも分かっている。
 だけど、誰かが声をあげないと、変化はない。

 別に私は精神障害者のスポークスマンを気取るつもりはないのだけど、「言える時は言ってしまえ!」というポリシーの持ち主ではある。
 何故なら、声をあげ続けることができないからだ。一度不安発作が来たら、もう動けなくなる。

 というわけで、長々と書いてしまったが、ここらで筆を置く。
 願わくば、追随してくれる方が現れますように。 

#これからの仕事術

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