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#0 私の双極性障害(気分障害)について

やっと書きますか。

私が現在の診断名「双極性障害」(「摂食障害」→診断書には書かれず、入院中には書かれる)にたどりつくまで、約10年かかった。
あ、うそ。初心から今までが、「約10年」だ。

私にとって、「姉」はかなりのキーパーソンだった。

優秀な子ども
そうでなくてはならないと思っていた。
褒められたい」「認められたい」「姉に負けたくない
そんな気持ちが根底にあった。
母に対しての気持ちだった。

この合宿がきっかけで、私はその後の部活に行けなくなった。
体が動かない。涙が止まらない。吐き気がする。頭痛がする。
先輩たちの怒鳴り声がフラッシュバックする。
そこで母は「休みなさい」と言ってくれた。

毎日ろくに食事をとらず、お風呂にも入らず、ぼーっと過ごしていた。
涙も出ない。「無」だった。
あれが初めての、抑鬱状態だったのではないかなと思う。
救いだったのは家族の支え受容だった。

だからもし、あなたの大切な人が、鬱っぽくなった時、
「話を聞くことしかできないけど、何かあったら連絡してね」
程度の連絡で、あとは

そっとしておいてほしい。

もし同居しているのなら、見守っていてほしい。
変な行動に出ないように。

自分から精神科に行くことは、ハードルが高い

※この記事は、あくまでも私のケースです。同じ診断名でも、人によって病状は変わります。

1.わたし

なんとなく、うつ病になる気はしていた。それくらい小さい頃から繊細で、傷つきやすかった。
親や先生の、何気なく放った言葉が、私の30歳までの人生を固めていった。
「考えすぎだよ」「気にしすぎだよ」
そう言われることが多かった。

小学生の頃から高校生まで、バレーボールをしていた。
小学生の頃初めて「離人感」を体験した。
わたしはとにかく泣き虫だった。(今もw)
バレーボールの練習中、泣いて泣いて過呼吸になることがたくさんあった。
そして1人だけ休憩させてもらった。
メソメソヒーヒー泣いてたら
あれ?今どこにいるの?私ってなんだ?ふわふわする。誰?怖い!!
ってパニックになった。
その時は大人の方がそばにいてくれてなんとかなった。

この時から、周りからは「メンタル弱すぎる子」「泣き虫」という印象がついていたと思う。
同時に、ある界隈?では「ずるい」「ぶりっこ(これは実際に言われてのちに三枚目キャラになる)」と思われるようになった。

ただ私には姉がいて、いつも守ってくれた。
友達が、家にきてドアをガンガン蹴り飛ばして「出てこいよ!!」とかやり出しちゃった時も、怖くて姉に助けてもらった。
小学生の頃って、学年が一つ上でも、かなり年の差感じるよね。

私にとって、「姉」はかなりのキーパーソンだった。


2.部活と書いて地獄とよむ

中学生までは順調だった(いじめられたこともあったが、あれはわたしが悪い)。
姉もいたし。姉の友達にも可愛がってもらっていた。
生徒会長にもなって、高校もそこそこ偏差値の高い公立高校に推薦で入学した。

わたしは結構、「人より優れていたい」みたいなところがあった。
テストも上位。
運動もできる。
絵も描ける。
友達が周りにいる。
バレーボールもそこそこ上手い。
みたいな。
あ、あと「かわいい」もだ。笑

見下していたところもあった。
それで安心していた。
優秀な子ども
そうでなくてはならないと思っていた。
褒められたい」「認められたい」「姉に負けたくない
そんな気持ちが根底にあった。
母に対しての気持ちだった。

母子家庭ということもあり、母に関心を持って欲しかった。
私はかなりの甘えん坊で、中学生まで母に依存していた気がする。

転機は高校入学、からのバレーボール部への入学。
ずっとやってきたことだし、なんとなく見学に行った。
でも私は高校デビューしたかった。(当時「高校デビュー」という漫画に憧れていたこともある)
でもバイトも禁止だし、なにかしらの部活には、入らなければならないと思った。

そのなんとなく見学に行った時、同じく見学していた子がいた。
「一緒に入らない?」
そう言われて、私は断れなかった。
先輩たちも優しそうだし、みんな楽しそうだった。
「入部してくれたら、超嬉しいんだけど!」と先輩にわいわい言われてしまったし、自分の力にもある程度自信があったし、なんとなく入部した。
ただ、見学に行った日は「外練」だった。

練習は過酷だった。
月〜木、土日(休みの日は1日練習というのもあった)部活。
金は自主練というなの強制参加練習。
地獄だった。

そして私なんて、ど下手くその部類だった。
圧倒的に、周りの子が上手い。
私はすぐ泣くし。
そして先輩も豹変。笑

ただ私のスキルとして、「おじさまに好かれる」というものがある。笑
これはハッピーなことばかりじゃない。
部活動の顧問の先生に、私はだいぶ可愛がられた。
(中学生の頃もそうだ)
だから練習試合とかにも積極的に出された。
ただ私は、完全に自信を失っていたので、練習で動けても、試合になるとダメになるタイプだった。
それがまた、周りからの怒りをかった。
いいよね〜まよは先生のお気に入りだもんね〜
よく言われた。傷ついた。

そして夏休みの合宿。
まさに鬼だった。
早朝起きてすぐに練習。
朝ごはん食べて午前練習。
昼ごはん食べて午後練習。
夕ごはん食べて夜練習。
1年生はそれから自分たちと、先輩たちの洗濯物をしなければならない。

他の部活の子達は、午前と午後だけ。
ご飯を食べる時もワイワイ、キャッキャ。
夜には花火大会にも行っていた。
(花部大会の日、先生が「目障りだからカーテンを閉めろ!」と言ったのを、今でも覚えている。笑)

後から友達に聞いたら、「女子バレー部だけ殺気だってて怖かった」とのこと。
そりゃそうさ。地獄だったもの。

この合宿がきっかけで、私はその後の部活に行けなくなった。
体が動かない。涙が止まらない。吐き気がする。頭痛がする。
先輩たちの怒鳴り声がフラッシュバックする。
そこで母は「休みなさい」と言ってくれた。


3.初めての抑鬱状態と引きこもり

毎日ろくに食事をとらず、お風呂にも入らず、ぼーっと過ごしていた。
涙も出ない。「無」だった。
あれが初めての、抑鬱状態だったのではないかなと思う。
救いだったのは家族の支え、受容だった。

ただこの間も、私を心配して毎日連絡してくれるバレー部の子がいた。
ただ、当時の私は、着信音まで怖くてパニックになっていたので、「電源切っておきなさい!」と言われた。
その子には「ありがとう」ということを伝えて、電源を切ることにした。

こんな状態の時に
「みんな心配してるよ」
「早く帰ってきてほしい」
「寂しいよ」
「先輩たちが怒ってるよ」
といった内容の長文メールが来ても、悪化するだけなのだ。

だからもし、あなたの大切な人が、鬱っぽくなった時、
「話を聞くことしかできないけど、何かあったら連絡してね」
程度の連絡で、あとは

そっとしておいてほしい

もし同居しているのなら、見守っていてほしい。
変な行動に出ないように。

そしてあまりにも、食事を摂らなかったり、寝れていないようであれば、精神科(ハードルが高ければ、メンタルクリニック)に連れていってあげてほしい。
また、身体症状が主に出ている場合(頭痛、吐き気、嘔吐、下痢、息苦しさ等)は心療内科へ連れていってあげてほしい。
どちらにせよ、自分から精神科に行くことは、ハードルが高いのだ。

今も思う。母が精神科についてきてくれてたならな、と。

夏休み中私は引きこもりになった。
外が怖かった。
夏休み明けのことも考えると、恐怖でしかなかった。
でも、学校は休んでは行けないから、行かなくてはならない

そんなことを考えていたら、夏休みが終わった。



今日はここまでにします。
お尻が痛いです。笑
長いね。
省略できた部分もあるのでは?笑
こんな感じで、少しずつ、双極性障害や摂食障害のことを書いていきたいと思いますので、よかったらまた来てください。


まよ

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