#0 私の双極性障害(気分障害)について
やっと書きますか。
私が現在の診断名「双極性障害」(「摂食障害」→診断書には書かれず、入院中には書かれる)にたどりつくまで、約10年かかった。
あ、うそ。初心から今までが、「約10年」だ。
※この記事は、あくまでも私のケースです。同じ診断名でも、人によって病状は変わります。
1.わたし
なんとなく、うつ病になる気はしていた。それくらい小さい頃から繊細で、傷つきやすかった。
親や先生の、何気なく放った言葉が、私の30歳までの人生を固めていった。
「考えすぎだよ」「気にしすぎだよ」
そう言われることが多かった。
小学生の頃から高校生まで、バレーボールをしていた。
小学生の頃初めて「離人感」を体験した。
わたしはとにかく泣き虫だった。(今もw)
バレーボールの練習中、泣いて泣いて過呼吸になることがたくさんあった。
そして1人だけ休憩させてもらった。
メソメソヒーヒー泣いてたら
「あれ?今どこにいるの?私ってなんだ?ふわふわする。誰?怖い!!」
ってパニックになった。
その時は大人の方がそばにいてくれてなんとかなった。
この時から、周りからは「メンタル弱すぎる子」「泣き虫」という印象がついていたと思う。
同時に、ある界隈?では「ずるい」「ぶりっこ(これは実際に言われてのちに三枚目キャラになる)」と思われるようになった。
ただ私には姉がいて、いつも守ってくれた。
友達が、家にきてドアをガンガン蹴り飛ばして「出てこいよ!!」とかやり出しちゃった時も、怖くて姉に助けてもらった。
小学生の頃って、学年が一つ上でも、かなり年の差感じるよね。
私にとって、「姉」はかなりのキーパーソンだった。
2.部活と書いて地獄とよむ
中学生までは順調だった(いじめられたこともあったが、あれはわたしが悪い)。
姉もいたし。姉の友達にも可愛がってもらっていた。
生徒会長にもなって、高校もそこそこ偏差値の高い公立高校に推薦で入学した。
わたしは結構、「人より優れていたい」みたいなところがあった。
テストも上位。
運動もできる。
絵も描ける。
友達が周りにいる。
バレーボールもそこそこ上手い。
みたいな。
あ、あと「かわいい」もだ。笑
見下していたところもあった。
それで安心していた。
「優秀な子ども」
そうでなくてはならないと思っていた。
「褒められたい」「認められたい」「姉に負けたくない」
そんな気持ちが根底にあった。
母に対しての気持ちだった。
母子家庭ということもあり、母に関心を持って欲しかった。
私はかなりの甘えん坊で、中学生まで母に依存していた気がする。
転機は高校入学、からのバレーボール部への入学。
ずっとやってきたことだし、なんとなく見学に行った。
でも私は高校デビューしたかった。(当時「高校デビュー」という漫画に憧れていたこともある)
でもバイトも禁止だし、なにかしらの部活には、入らなければならないと思った。
そのなんとなく見学に行った時、同じく見学していた子がいた。
「一緒に入らない?」
そう言われて、私は断れなかった。
先輩たちも優しそうだし、みんな楽しそうだった。
「入部してくれたら、超嬉しいんだけど!」と先輩にわいわい言われてしまったし、自分の力にもある程度自信があったし、なんとなく入部した。
ただ、見学に行った日は「外練」だった。
練習は過酷だった。
月〜木、土日(休みの日は1日練習というのもあった)部活。
金は自主練というなの強制参加練習。
地獄だった。
そして私なんて、ど下手くその部類だった。
圧倒的に、周りの子が上手い。
私はすぐ泣くし。
そして先輩も豹変。笑
ただ私のスキルとして、「おじさまに好かれる」というものがある。笑
これはハッピーなことばかりじゃない。
部活動の顧問の先生に、私はだいぶ可愛がられた。
(中学生の頃もそうだ)
だから練習試合とかにも積極的に出された。
ただ私は、完全に自信を失っていたので、練習で動けても、試合になるとダメになるタイプだった。
それがまた、周りからの怒りをかった。
「いいよね〜まよは先生のお気に入りだもんね〜」
よく言われた。傷ついた。
そして夏休みの合宿。
まさに鬼だった。
早朝起きてすぐに練習。
朝ごはん食べて午前練習。
昼ごはん食べて午後練習。
夕ごはん食べて夜練習。
1年生はそれから自分たちと、先輩たちの洗濯物をしなければならない。
他の部活の子達は、午前と午後だけ。
ご飯を食べる時もワイワイ、キャッキャ。
夜には花火大会にも行っていた。
(花部大会の日、先生が「目障りだからカーテンを閉めろ!」と言ったのを、今でも覚えている。笑)
後から友達に聞いたら、「女子バレー部だけ殺気だってて怖かった」とのこと。
そりゃそうさ。地獄だったもの。
この合宿がきっかけで、私はその後の部活に行けなくなった。
体が動かない。涙が止まらない。吐き気がする。頭痛がする。
先輩たちの怒鳴り声がフラッシュバックする。
そこで母は「休みなさい」と言ってくれた。
3.初めての抑鬱状態と引きこもり
毎日ろくに食事をとらず、お風呂にも入らず、ぼーっと過ごしていた。
涙も出ない。「無」だった。
あれが初めての、抑鬱状態だったのではないかなと思う。
救いだったのは家族の支え、受容だった。
ただこの間も、私を心配して毎日連絡してくれるバレー部の子がいた。
ただ、当時の私は、着信音まで怖くてパニックになっていたので、「電源切っておきなさい!」と言われた。
その子には「ありがとう」ということを伝えて、電源を切ることにした。
こんな状態の時に
「みんな心配してるよ」
「早く帰ってきてほしい」
「寂しいよ」
「先輩たちが怒ってるよ」
といった内容の長文メールが来ても、悪化するだけなのだ。
だからもし、あなたの大切な人が、鬱っぽくなった時、
「話を聞くことしかできないけど、何かあったら連絡してね」
程度の連絡で、あとは
そっとしておいてほしい。
もし同居しているのなら、見守っていてほしい。
変な行動に出ないように。
そしてあまりにも、食事を摂らなかったり、寝れていないようであれば、精神科(ハードルが高ければ、メンタルクリニック)に連れていってあげてほしい。
また、身体症状が主に出ている場合(頭痛、吐き気、嘔吐、下痢、息苦しさ等)は心療内科へ連れていってあげてほしい。
どちらにせよ、自分から精神科に行くことは、ハードルが高いのだ。
今も思う。母が精神科についてきてくれてたならな、と。
夏休み中私は引きこもりになった。
外が怖かった。
夏休み明けのことも考えると、恐怖でしかなかった。
でも、学校は休んでは行けないから、行かなくてはならない。
そんなことを考えていたら、夏休みが終わった。
今日はここまでにします。
お尻が痛いです。笑
長いね。
省略できた部分もあるのでは?笑
こんな感じで、少しずつ、双極性障害や摂食障害のことを書いていきたいと思いますので、よかったらまた来てください。
まよ
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あなたの優しさに救われます。いつもありがとうございます☺