これからの「正義」の話をしよう②
みなさんはこれからする提案について、いくらもらえたらOKできますか?
1. 前歯1本を抜く
2. 片足の小指を切断する
3. 15センチのミミズを食べる
4. 野良ネコを素手で絞め殺す
5. 都会とはかけ離れた農村で一生暮らす
どれくらいもらえるならできると考えましたか?これは実際にとある社会心理学者によって行われた実験でしたが、対象者の回答結果はこうです。
1. 前歯一本・・・ 約60万円(もらえるならやる)
2. 足の小指・・・約800万円
3. ミミズ15センチ・・・約1000万円
4. ネコ殺害・・・約100万円
5. 農村暮らし・・・約4000万円
多くの人が残したこの結果と比較してみてどうでしたか?これは快楽や苦痛といった「人生の幸福度」は数値化できるのかどうかという実験ですが、果たして15センチのミミズを食べることは、前歯一本失うことよりそんなに代償がでかいのでしょうか?しかし結果を見ると前歯一本折る値段より10倍以上の値段ならでかいミミズを食べると回答したのです。
みなさんは自分の「命」に値段をつけれますか?
世の中には人の命を金銭価値として計算する考えがあります。一握りの層ではなく、大企業や政府機関においても用いられたことも考え方なのです。かつて幹線道路交通安全局では交通事故による「人の死」について、将来の生産性や医療費用、葬儀費用や犠牲者の苦痛などといったあらゆる面から考慮し算出した合計額として、1人の死=約3000万円だという結論もかつて出しました。
このように、企業などが1人1人の人間に価値をつけることで社会的利益を検討するという考え方はそう珍しくありません。この価値観は果たして正しいと言えるのでしょうか。道徳的かどうかと聞かれたらなんと答えるでしょうか。
爆発するガソリンタンク
かつてアメリカで最も売れていたフォード社の「ピント」という車はサブコンパクトカーとして人気でしたが、追突事故が起きるとタンクが爆発しやすいという欠点がありました。追突する度に火災が起き、計500人以上もの命が失われたため利用者が訴えました。するとタンクが爆発を起こしやすいという事実はフォード社はずっと前から分かっていて、それでもタンクの安全性を高める部品を付けて売る場合を計算すると充分な利益が得られなくなるという理由で見て見ぬふりをしていたことが明らかとなったのです。これはタンクの爆発による犠牲者の命の値段より、タンク部品の総コストの方が遥かに大きいという計算を実際に出していたのです。
同じようにコストとメリットのために犠牲を厭わない事例は他にも数多くあります。自動車による人の死はどの時代においても後を絶たないにも関わらず、自動車を利用する人は減らないのはなぜか。それどころか、速度制限を下げれば交通事故が減ると分かっているにも関わらず、速度制限を引き下げないのはなぜか。それは車の制限速度を引き下げても、その分1人1人の通勤時間が延び、経済的利益に影響を与えるという計算を出しているのです。
前回の投稿では「正義」とはなにかについて考え、コストとメリットの計算だけでは本当の正義は導きだすことはできないのではないかということをお話しました。メリット=利益を算出するために人の快楽や苦痛に値札をつけることは仕方ないことなのでしょうか?その計算によって世界中の人の幸福感を上げることができるとわかったとしたら命を犠牲にすることが許されるのでしょうか。
「喫煙者が多い国は医療費が高くなる傾向にある」と聞いて正しいと思いますか?タバコは長期的に肺や身体に害を及ぼしやすいため病院に通う人も多くなることは予想できるので正しいと思えそうですよね。しかしそんなこともありません。「喫煙者は早死しやすい」ため結果的に国が抱える社会保障費に多大な影響は与えないと大々的に宣伝したタバコ会社もあるのです。
自分の人生に値段が付けられていると思うと許せないと感じる人も多いと思います。死後その人が本来感じることになっていただろう幸福感を「仮定」として算出されることにみなさんは違和感を感じますか?
そんなことを考えさせられるような内容でした。
追記))
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この記事では、マイケル・サンデル(2010)『これからの「正義」の話をしよう ーいまを生き延びるための哲学』 を参考に書いてます。本の内容を通して一緒に考える時間を過ごしましょう。