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潜在的に壁を作る人

悔しくて眠れない夜がありました。
久しぶりに薬を飲んで
子ども達にも
『夜中もしも目が覚めても母、起きないかも』と
ごめん、と念を押して。
そうでもしないと眠れなくて
溢れそうになる感情を無理に抑えてやり過ごした
夜でした。

うさ一奥さんの記事の中から引用しました。

うさ一奥さんに向けて書かれた文章ですが
これは今、現在の私を
過去の幼かった頃の私に無理やり引き戻す様な
強い言葉達でした。

マイノリティ、つまり少数派が十分なコンプレックスである、
そしてそれがもろもろの困難を作ったと
それを目にして、
『あぁ、これが現実なんだな』と思いました。

私は障害者福祉の世界で働いていますが
『障害者』と言う表記をあえてしています。
それは
いつもは穏やかな法人の理事が
時に激昂しながら言う事が理由です。
『障がい者と見栄えの良い事だけで納得する様な、そんなぼやかした扱いをしてもらいたくない。
障害は人では無く、社会にあるのだ。
その障害が無くならない限り
障がいと上っ面だけの優しさだけでは誤魔化されたくない』

私もその考えに賛同しています。
なのであえて障害者と表記している事は
以前、何かの記事でも触れました。
気になっていらっしゃった方がいれば
申し訳ありません。
理由は上記に書いた事で、
私も障害は人になく
社会が作っていると思います。

マイノリティが十分なコンプレックスだと
マジョリティ(多数派)が思っているだけ。
その恩恵を受けていることも知らないから故
もろもろの困難を作ったなどと言えるのでしょう。
建物の全てにエレベーターが付いているのは
障害者の方が自由を求めて
少々過激とも思われる活動をされた歴史があるからです。
多目的トイレも
バスや電車の乗り降りがしやすいように
タラップが付いているのも
信号機の押しボタンが低い位置についている事も
誰にでも使い易い様にと
マイノリティの声を元に改良され
今の形になっているのです。

子どもを産み、育てる中で
それはとてもありがたかった。
便利だし優しいと感じるものでした。
障害がなくても、一時的に怪我をされたり
高齢の方にとっても同じ事でしょう。
マイノリティの声を如何に掬い上げるか
それが今の企業の取り組みであり
未来に繋がる事と先進的な考えにはあります。

私も言葉を借りるなら
『生まれながらの一種のマイノリティ』でした。
スタートが弱者ですから
それは時に年齢も関係なく
酷い言葉を聞く事もありましたし
そう言う扱いをされた事も少なくありません。

記憶にある強烈な出来事があります。
私と、幼馴染が駄菓子屋に行った時です。
幼稚園の年長か、小学1年生くらいだったか
私は弱者、
幼馴染は両親共に学校の先生で
こんな思考の方ならば由緒正しいお家柄とでも
表現されるのかも知れません。
『Noriちゃん、このお菓子持って帰ろ』と
彼女は言うのです。
私は『お金払ってないよ』と言ったけれど
彼女はお菓子をポケットに捩じ込むと
店の外に歩いて行きました。
私はお店のおじちゃんと幼馴染の顔を
交互に見ながらアタフタと後を追いました。

もちろん、直ぐ捕まりました。
おじちゃんが私と幼馴染を引っ張って
店内中に響き渡る様な大きな声で
『どんな悪い事かわかっているのか』と怒鳴ります。
その目線は私でした。
駄菓子屋は家の近くにあって
店のおじちゃんは子ども達の事を
よく知っていたのです。
明らかに私に向けた罵声でした。

しばらくして私の祖母と
幼馴染の母親が店に来ました。
おじちゃんが電話でもしたのでしょう。
幼馴染の母親は
『そそのかされたとは言えダメでしょう』と
私を横目で見ながら言いました。
私は祖母に
『私はやっていないよ』と言いました。
祖母は『本当か?』と2回聞き、
私は2回ともやっていないと答えました。

祖母が
『孫はやっていないと言っていますが』と言い
服のポケットやバックなどを
改めてくれと差し出しました。
幼馴染の母親は半ば呆れた様にしていましたが
彼女が
『私がしようって言ったの』と言った時
本当に目が落ちてしまうんじゃないかと
そう思うくらい目をひん剥いて自分の娘を見ていました。
彼女は自分がしようと言い、Noriちゃんは止めようって言った事を店主にも話して
その場は終わったのですが、
その後の
祖母の怒りは私の想像を超えていました。
祖母が怒ったのを見たのはこの時が
最初で最後です。
私でなく、お家柄の良い彼女が犯人だと
分かった時、店主も手の平返して
『お代を貰えば良いんですよ』と笑顔になり
幼馴染の母親も
『払うのを忘れたのかしらねー』と愛想笑いし
そんな光景をみて
祖母が一言、
『もう2度とここで買わなくていい』と
私だけに聞こえるように静かな怒りで
立ち去りました。
この時、祖母は余りに怒りすぎて
目の血管が切れてしまったくらいでした。

生まれや
性別、性の嗜好や
ただ違うと言うだけでマイノリティと呼び
壁を作るのは、こんな人達です。

近い未来、
きっと多くの人が疑問に思うだろう言葉があります。
それは『普通』や『当たり前』と言う言葉。

今はマジョリティの中
雑多の中に隠れて
その他大勢の一部で良いのかも知れません。
しかし個性が尊重し
それが俗に言う『強み』となり得る可能性は
多大にあります。

壁を作るのは人です。
1人ひとりが違いを知る事からのスタートなのです。
人のカテゴリー分けは国籍でしょうか、
生まれた環境でしょうか、
学歴でしょうか、
資格でしょうか、
それとも障害の有無でしょうか。
そもそもカテゴリーに分けるとは何でしょうか。

うさ一奥さんの記事で
私自身とても考えさせられましたし
多くの人に考えて貰いたいと思いました。

そして今、私は私でいる事を幸せだと思います。
愛する人たちに囲まれ
人の優しさ、強さ、弱さを知る仕事に就き
壁の無い社会を目指す人たちを一緒に活動出来る
マイノリティだとか
そんな事で私個人を見ない大切な人たち。
小さな世界で生きていない人達が側にいてくれるのは心強い事です。

私は母として、
世界を見ること、
多くの違いを見る事を勧めています。
人は人を見る時
その人そのものを見る様にと、
周りの取り巻く事柄ではなく、
その人を見る大切さを伝えて行きたいと思います。
マイノリティがコンプレックスだなんて
もう誰1人として思う事ない社会を望みます。



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